第497話 好きな場所と共に

「いないってどういうこと??」

だって、ここにいるよ? 不安になって、尾形さんの柔らかな背中を撫でた。

「言葉の通りだ。その姿の生き物はいない」

そ、そうなのか……。でも、召喚すると、この世界の生き物に合わせた姿になるんだと思っていたけど。

『主、この世界にいない生き物を召喚したのかー』

――だから、あんなに魔力を消費したの。

だけど、地球にいた頃の姿とももちろん違う。当然ながら羽なんて生えてなかったもの。


「強いて言うなら、グリフォンの亜種だろう」

ルーの『また面倒なものを喚びやがって』とありあり伝わる視線が痛い。

「グリフォンの亜種! そっか、きっとそうだよ!」

もしかすると、猫系の魔物や神獣にこういう亜種はいるかもしれないよ。こんなに多様で特殊な容姿の生き物がいるんだもの、翼猫くらいいてもいい気がするのに。

「じゃあ、カロルス様たちにはグリフォンの亜種、って言おうか!」

小さい姿なら目立った外見じゃないし、脅威を感じることもない。普通の人は魔物や幻獣の種類なんて知らないから、特に目立たずに行動できるんじゃないかな。

『ねえ! 尾形さんのお名前は?』

物珍しげに翼を嗅ぎ回っていたシロが、しっぽを振って振り返った。


そっか! 名前……せっかくだからみんな色で揃えたいね。

「だけど……茶色? ブラウン……って言うよりオレンジだよね。橙? 蜜柑ちゃん――だとかわいいけど尾形さんっぽくない気がするし……」

『好きに呼べばいい』

茶色やオレンジの名前って難しい。頭を悩ませるオレを横目に、尾形さんは大きなあくびをした。なんかもう、そのまま尾形さんでいい気もする。

「そのまま……あ、じゃあチャトラでチャト! なんて、どうかな?」

「にゃう」

いいらしい。さっそくうつらうつらし始めたチャトは、どうでもいいと言いたげにしっぽを揺らした。モモは不満そうだけど、呼びやすいしいい名前だと思う! 


『ねえ! ねえ! おが……チャト、飛べるの?! ぼく、見たい!』

ぐるぐるとチャトの周囲をまわっていたシロが、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

『あとでな』

目を閉じたままあしらわれ、うずうずする大きな耳がへたりと垂れた。それでもぶんぶんと振られるしっぽが健気だ。きゅーんと鼻を鳴らしてそっとつつくシロに、いつかの光景が思い起こされる。

そう、こうだったね。あの時の幸せのかたちはこんなだった。

小さな胸がぎゅうっとして、鼻をすする。

『泣かなくて、いい』

蘇芳が小さな手でオレの頬をこすった。ああ、オレ、泣いていたんだ。

「悲しくないよ、大丈夫。うん、泣かなくていいね。笑ったらいいんだよ」

大きく口の端を引いて笑う。その拍子に、またぽろりと涙が伝った。

みんな、姿は違うけれど、あの時のままに。


――ユータ、嬉しいの? 嬉しい時の涙?

心細げに耳を垂らしたラピスが、瞳を潤ませてオレを見つめた。

『主は嬉しくても泣くからな! 俺様が守ってやらないと、まだまだ泣きべそだから仕方ない!』

『あうじ、だいじょぶよ。あえはがちゅいてうし、おやぶがまもったえる!』

小さなぬくもりが、オレの肩へ集まって来る。

「ピピッ!」

もう、肩や頭が大渋滞だ。登ってこられないムゥちゃんまで、じいっとオレを見上げている。

「そう、嬉しい涙だよ! ね、ルー!」

小さな胸は、とっくに溢れて涙がどんどん零れていく。オレは縋るように大きな漆黒の身体を抱きしめ、顔を埋めた。

あの時の仲間だけじゃない。こんなにオレの『大切』は増えた。

ああ、あのまま終わっていなくて良かった。

次々溢れる涙は止められなくて、そして、今は止めたくなかった。

よかった。……よかった。

オレは、顔を埋めたルーの毛皮がびしょびしょになるまで泣いた。



泣きつかれて眠って、どのくらい経ったんだろう。暑いな、と思ったら、オレを中心にみんなが大集合していた。しぱしぱする目をこすって笑う。みんなも暑いだろうに。くっついている部分が、オレの汗でぺちゃんこになっている。

「……あっ?!」

あることに気付いて、バッとチャトに目を向けた。ピクッと反応した耳は、確信犯だ。絶対起きている。

「……チャト? どうして、オレに魂を預けたの?」

彼は自由にしたいんじゃないかと思った。一緒に住んでいても、常に気ままなマイペースを貫き、さほどオレを頼りにした様子もなかったのに。

じっと見つめるオレに観念したのか、彼はちろりとこちらを見た。

『……おれは、好きな場所にいる』

「うん、そうでしょう。だから、好きな場所に行ける方がいいんじゃないの?」

緑の目が少し細くなった。

『これで、おれは好きな場所を失わない』

それだけ言うと、チャトは伸びをして、そしてオレの中へ飛び込んだ。

オレは目を瞬いて、それからきゅっと唇を結んだ。

……だから、あの時逃げなかったの? オレが思うよりずっと、『ここ』はチャトの大切で好きな場所になれていたんだろうか。

「――ありがとう」

くすんと鼻を鳴らして、オレはそうっと微笑んだ。



「――それで? ユータ様、その方はどこに?」

「ユータ様、私その方に少しお伝えしたいことがありまして」

どうせ紹介するのだからと、ごちそうはロクサレン家で準備してある。その時はにこにこしていた執事さんとマリーさんだったのに、いざ帰ってみると随分ピリッとした雰囲気が漂っていた。

「え? あの……どうして怒ってるの?」

途中で寝ちゃったけど、そんなに帰宅が遅くなってはいないと思うんだけど……。戸惑うオレに、2人はにっこりと圧力を伴う笑みを浮かべた。

「「怒ってなどいませんよ」」

う、嘘だ!! じりじりと後ずさる身体が、ひょいと持ち上がった。

「……成功した顔だな」

じっとオレを見つめたブルーの瞳が、ホッと和らいだ。オレだけが写っている瞳に、また喉の奥がぐっと詰まってきて、慌てて固い体を抱きしめた。

「も、もちろん!」

こっそり肩口で雫を拭いてから、胸を張ってにっこり笑ってみせる。コン、と額を合わせたカロルス様も、にやっと大きな口で笑った。


「……よし、ご馳走食おうぜ! あ、どこにいるんだ、そいつ?」

ここか? なんてオレを塩コショウの容器みたいに振る。肩に乗っていたチュー助が勢いよく落っこちた。

「にゃあ」

耳慣れない鳴き声に、室内の視線が一斉に一カ所へ集まった。

『これがチャトだよ! 素敵でしょう!』

ぶんぶん振られて目を回している間に、シロが飛び出していた。その口にチャトをぶら下げて。

されるがままにだらりと長く垂れ下がったチャトが、もう一度鳴いた。


「こっ、ここここれが、その、ユータ様を苦しめた……かわい……ではなくて!!」

マリーさんが混乱している。オレはチャトを抱き上げてにっこり笑った。

「そう! これがチャトだよ。かわいいでしょう! チャト、ご挨拶は?」

「にゃー」

「ぐふっ?!」

マリーさんが何らかのダメージを負ってうずくまった。チャト、念話はしないんだ。

「予想はしていましたが……これは……。せめて、そのねずみのようであったなら」

額に手を当てた執事さんが、ため息を吐いて頭を振った。

『俺様、キュートなキュートなねずみなのに……ねえ、主そうでしょう?』

うん、チュー助はとってもかわいいねずみだよ。だけど、何でだろうね、ちょっと違うというか。


「ねえユータ、すっごくかわいいんだけど、それ、何? 羽生えてない? そんな幻獣いたっけ?」

セデス兄さんが鋭い所をついてきてギクリとする。

「え、えっとね、多分グリフォンの亜種かなって!」

「グリフォンか……その大きさでその顔ならまあ……強そうには見えねえし、グリフォンにも見えねえから大丈夫、か……?」

『あのねえ! チャトは大きくなれるんだよ! ねえ、見せて!!』

ぐいぐいと鼻で突かれ、迷惑そうにしたチャトが、ぶるるっと身体をふるった。途端にふわっと膨らむようにそのシルエットが大きくなる。

「えっ……?!」

「あ、あー……。その、後で言おうと思ってたんだけどね! チャト、大きくなれるみたい」

そういうこともあるよね? オレはちょっと眉尻を下げてえへっと笑った。




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