第496話 君が思い出せるように

今度こそ、今度こそ……。

待たせてごめんね、きっと、来てくれるよね。


魔力保管庫もいっぱいになったし、王都から帰ったら挑戦するつもりだった。

思いの外いろいろあって遅くなってしまったけれど、おかげで迎える準備も万端だ。

「ごちそうも作ったし、デザートもばっちりだよ! だけどちょっと好き嫌いがあるからなぁ」

オレは足を投げ出して座り、漆黒の毛並みに身体を預けた。きらきらと透き通る生命の魔石を光にかざし、ぼんやりと眺める。


ラ・エンは生命の魔石が保管庫代わりになると教えてくれた。それはきっと、この時のために。

本当はオレの魔力だけで魔石を作った方がいいんだと思う。やっぱり自分の魔力が元になった方が取り出しやすいし、無駄なく吸収できる気がする。だけどオレの魔力だけで魔石にするには、ちょっと時間が必要だ。

せっかく保管庫がいっぱいになってるんだもの、待ちきれない。せめてと、ルーの泉で魔素を借りて魔石を作っておいた。ここの魔素をあまり減らしてしまってもいけないし、ゴルフボールくらいのひとつだけ。

「きっと、ここが好きだと思うんだ。気まぐれだから、オレのそばにいてくれるかどうか」

不安が顔を出さないように、たくさん面影を思い出しておくんだ。

ことんと頭を寄せると、伏せたまま何も言わないルーに感謝した。


ねえ、尾形さん。この世界をきっと気に入るよ。今度はオレが教えてあげるね、ふかふかの苔に涼やかな風、ぽかぽかと温かい日差し。ここはとっておきの場所だから。

ぱたりと手を下ろし、目を閉じた。森の匂い、ルーの匂い、湖の匂い。

ほっぺに当たる柔らかな毛並み、ちらちらとまぶたの向こうで踊る木漏れ日、ちゃぷちゃぷと揺れる湖の音。ここにあるもの全部、オレを穏やかにする。

うん、大丈夫。……ひとつ、深呼吸して目を開けた。

「じゃあ……始めるね」



『いい、無理はしないのよ? 急ぐ必要はないの』

『ぼく、応援してるからね』

『きっと、うまくいく』

召喚の魔法陣を前に、みんながオレを見つめているのを感じる。

――全力でやるといいの。それだけでいいの。

「ピッ!」

両頬がふわりと温かくなった。研ぎ澄ませた心も、ほうっと温かくなって、目を閉じたまま微笑んだ。


ねえ、尾形さん。一緒にいよう。

ううん、ずっと側にいなくてもいいんだ。気付けばそこにいるような、そんな尾形さんでいいんだ。

最期のとき、巻き込んでしまってごめん。君は、逃げられたはずじゃなかったの? どうして、動かなかったの? オレを見た大きな瞳は、迫る危機を分かっていたのに。

思い浮かべるのは、彼の柔らかな体、気まぐれな後ろ姿。そして、真っ直ぐつんと立てられたしっぽ。

注がれる膨大な魔力が圧力を伴って髪を揺らし、はたはたと服がはためいた。


「話を、聞かせて。……その声を、聞かせて! 尾形さん、お願い、ここへ来て!!」

カッと目を見開いて歯を食いしばった。

底抜けの釜のようにみるみる吸い込まれる魔力に、ひやりと身体が冷たくなる。魔力消費のスピードが、早い……! だけど、一筋縄ではいかないって分かってる。

「ごちそうがっ……あるんだよ! 一緒に、食べるんだ! 柔らかい毛布も買ったんだよ! きっと、きっと気に入るんだ!!」

だから、今日、喚ぶんだ!

尾形さんにじゃない、オレ自身に向けてそう言った。冷たくなった身体がじわりとぬくもりを取り戻していく。見つめるみんなの瞳を見回して、にこっと笑った。


「――召喚!!」


ぎゅうっと魔石を握りしめ、保管庫も空にするつもりで魔力をほとばしらせる。いいよ、いっぱい魔力を貯めたからね、君のための魔力だよ。いっぱい使っていいよ。

だから、望む姿で。君が望む姿で、ここへ来て。

荒くなる呼吸を自覚しながら、魔力の嵐の中で踏ん張った。

大丈夫、大丈夫!! 

そう自分を叱咤したとき、ふつりと魔力の流出が止まった。つんのめるように倒れた身体を、大きな漆黒のしっぽが受け止める。

同時に、魔法陣から放たれた光が一帯を真っ白に染めた。


大丈夫、今度は、つかまえた。しっかりこの手に気配を握りしめた。だけど、尾形さんに会うまでにオレの意識が途切れてしまいそう。

「そのための石じゃねーのか」

掠れた意識の中で、低い声がぼそりと呟いた。石……ああ、魔石! 朦朧とする中、握りしめていた魔石から魔力を吸収した。

しびれるほどに冷たかった手足が、お湯を注がれたように温かくなっていく。とくんとくんと心臓の音がやけに大きく聞こえた。

「ありがとう、ルー。楽になったよ」

良かった、尾形さんがこの世界に来たのに、オレが倒れてちゃダメだ。

いつの間にか側にいたみんなに微笑んで、徐々に消えていく光を見つめる。


「えっ……?」

小さく小さくなっていった光は、最後にフッと消えた。そこに確かに存在する生き物に、思わず目を瞬いた。

「尾形さん、その姿……」

彼は、ゆらりとしっぽを揺らして、じっとオレを見つめた。

どうして、どうしてその姿なの?! もつれる足を運んで膝をつくと、両腕の中へ閉じ込めた。ぐにゃりとするほど柔らかな身体、柔らかな毛並み、そしてまっすぐなしっぽ。

「……にゃあ」

ぽたぽたと落ちる雫に、緑の瞳が迷惑そうに瞬いて、三角の耳が平たくなった。腕に掛かる温かな重み、揺れるたびに当たるしっぽ。

尾形さんだ……尾形さんだ。あの時の、そのままの尾形さんがここにいる。

「き、来てくれて、ありがとう……どうして? どうしてそのままの尾形さんなの?」

懐かしさに、胸がつぶれそう。


大きな緑の瞳も、オレンジがかった茶色の縞も、お腹側だけ白いのも、全部そのままに。

『……お前は、きっとおれが分からない』

ぼそりと聞こえた声は、尾形さんだろうか。溢れる涙を拭って、じっとその顔を見つめた。

「分からないって、どうして?」

『姿が違えば、きっとお前は、おれがわからない』

だから、どうしても。だから、この姿じゃなきゃダメだった。

『きっと、お前は忘れてると思った』

視線を逸らしたまま、茶トラの猫は頭をすりつけた。


『この姿なら、思い出すだろう? この色なら、思い出すだろう? この声なら、思い出せるだろう?』

にゃあ、と鳴いた猫を、目一杯抱きしめた。

「忘れるわけ、ない! 尾形さんがどんな姿だって、オレは分かるよ! 大好きだよ!」

『そうか』

素っ気ない声に、ああ、尾形さんだとおかしくて、嬉しくて、熱いしずくがぼたぼた落ちた。抱きしめる腕にも、茶トラの毛並みにも滴って、ぷるるっと小さな頭が振られた。

と、腕に当たる妙な感触に気がついた。

「あれ? 尾形さん、背中に何か……え?」

あまりに元の姿と同じ衝撃で気がつかなかった。

当たり前のようにそこにあった、折りたたまれた翼。

『これがあれば、飛べる。お前を乗せて、飛べる』

「……オレを乗せて?」

そう言った猫は、ひょいと腕から抜け出して翼を広げると、ぐっと伸びをした。


「わっ……?!」

オレはぽかんと口を開けてその姿を眺めた。

『わあ! すごい!! どうして大きくなったの?! すごいね!』

はしゃいだシロが、大型の犬ほどになった茶トラ猫の回りを飛び跳ねた。尾形さん……大きさが変えられるの? 

悠々と広げた翼、堂々とした体躯は、まるでグリフォンみたいだ。

「翼の生えた猫。こんな生き物がいるんだ……ねえ、これは何て言う生き物なの?」

振り返ったルーは、珍しく驚いた顔をしていた。

「そんな生き物は、いない」

……えっ?

オレは毛繕いを始めた尾形さんとルーを交互に見やった。





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昨日はコミカライズ版更新日でしたよー!

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