第495話 獣の温度

心地良い気配の中で微睡んでいた竜は、ぱちりと目を開けた。

ゆっくりと首をもたげるにつれ、サラサラとタテガミが滑る。

『……もう来たのか』

抑えた笑い声に、ひっそりと立っていた美丈夫が眉間にしわを寄せた。本当に、変われば変わるものだと金の瞳を細め、そっと翼を持ち上げる。


『ユータや、お迎えが――』

「お、起こすんじゃねー!」

慌てた男の声に、ラ・エンが目を丸くする。

次いで苦しげに笑い出した巨体に、ルーはますます不機嫌な顔をしてずかずかと歩み寄った。

『これこれルーディス、そんな無造作に扱うものではないよ。そうっと抱きなさい』

「うるせー」

眠るユータを引っつかんで持ち上げたルーに、ラ・エンがやれやれと首を振った。

『そんなでは、起きてしまうと思うが?』

「……っ」

ラ・エンに答えるように、むずがったユータが手足を突っ張って身をよじった。慌てたルーが取り落としそうになるのを温かな翼が支える。

『ほら、両手でそうっと抱えるのだよ。尻を支えて、右手はそちらに……そう、うまいじゃないか』

ぎくしゃくと抱え直され、不満げだった腕の中の表情がとろりと再び弛緩した。

ほっと肩の力を抜いたルーを頭上から眺め、ラ・エンは必死に表情を取り繕っている。

これがあのルーディスだろうか。

冷たい拒絶を浮かべた金の瞳。全てに関心を失っていた、あの――。


ふくふくした寝顔をじっと見つめているのは、無意識なのか。その顔は相変わらずの無表情であったけれど、その瞳に確かに宿る温度に、ラ・エンはそっと微笑んだ。

『かわいいものだねえ、食べてしまいたいとはこのことだ』

頭上から降り注いだ声に、ルーはハッと幼い寝顔から視線を外した。

「……てめーが言うとシャレにならねー」

『何を言う。そなただって獣であれば似たようなものであろうに』

己の姿を棚に上げ、鼻で笑ったルーに、ラ・エンも呆れて笑った。

「笑うんじゃねー! こいつが起きる」

くるりと背中を向けて肩を怒らせた姿に、ラ・エンは遠慮なく慈しみの視線を注いだ。きっとこの獣は振り返らないから。

『また、おいで。一緒に来るといい』

「行くわけねー!」

だけど、迎えには来るんだろう? 

古の巨竜は、良かった、と安堵した。憤って毛を逆立ててみせる獣を前に、不似合いな表現かもしれないが。

『ああ、そうだ。ユータに伝えておいてくれ――』

決して振り返らないけれど、今の彼ならきっと伝えてくれる。ラ・エンは何の疑いもなく去りゆく背中に声を掛けた。



* * * * *


「……あれ?」

ああよく寝た、と伸びをしたところで、触れる感触の心地よさに気がついた。そう言えばラ・エンのところで寝たはずだったけど……。それはしなやかな鱗でも長いタテガミでもなく、ましてや寮のうすっぺらいお布団なんかでもなく。

「おはよう、ルー。オレ、朝まで寝ちゃったんだ」

大きな身体も、閉じられたまぶたも反応しないけれど、ピピッと動いた耳が、ぴこぴこ動いたしっぽの先端が、ちゃんと起きていると示している。


「あったかい。ルーは気持ちいいね」

ふかっと全身でしがみつくと、温かな毛並みに両手を滑らせた。やわやわと指の間をすり抜けていく柔らかで滑らかな感触に、うっとりと目を細める。

「また、ブラッシングしようね」

「……いらねー」

ぼそりと呟かれた言葉に、驚いて目を瞬いた。ブラッシングだけは嫌がらないルーが、一体どうして。視界の端では、長いしっぽが不機嫌そうにぶんぶんと左右に振れている。

「どうしたの? どうして怒ってるの?」

困惑して顔を上げると、ふいと顔を背けられた。これは……何やら盛大に拗ねている。

「怒ってねー」

決して視線を合わせないまま、むっすりとむくれていることだけは分かる。こういう時はブラッシングが効果的だったんだけどなぁ。

ひとまず収納からブラシを取り出すと、大きな身体がピクリと反応した。

「……竜くせえ」

竜? 首を傾げて気がついた。……そっか。だって大きなブラシはこれしかなかったから、ラ・エンにもこれを使っちゃった。ラ・エンは森と土の匂いがしたよ、竜くさいなんて、そんなことあるだろうか。

「そっか、だから怒ってるの? でもこのブラシは一番いいブラシだから、ルー用なの。ラ・エンには別のブラシを買うね」

「なんで買う。必要ねー」

そんなこと言って、ルー用のブラシを使えば怒るんだから仕方ないでしょう。少し機嫌を直したらしいしっぽに目をやって、一応ブラシに洗浄魔法をかけてみせた。


すうっとブラシを滑らせると、もう何も言わない。

「昨日はね、依頼で気になった洞窟に行ったんだよ。そしたらそこに世界樹の根っこがあってね――」

相槌ひとつ打ってくれないルーだけど、時折ちらりとこちらを確認する瞳を知っているから、オレはたくさん話す。聞きたいのか、聞きたくないのか分からないけれど、オレが話していることは嫌いじゃないみたいだから。もしかすると、ルーにとって鳥のさえずりや虫の声と似たようなものなんだろうか。

「それで、ラ・エンも真名を教えてくれたからびっくりしちゃって――」

「……なんで真名を聞いた」

全く聞いてないと思っていたから、突然返されて心底驚いた。

「なんでって……聞いたわけじゃないよ、そうなっちゃっただけ」

「フン……」

ルーは加護を重ねられると怒るらしい。以前サイア爺の時も怒っていた。マーキングみたいなものだろうか。ルーの加護があるから他の加護はたいした効果がないみたいだし、上書きされているわけじゃないんだから、いいんじゃないだろうか。オレとしては加護をいただけるのはありがたい限りだ。

ここでラ・エンの加護のことを聞いたって、絶対答えてくれないだろうなと笑った。


胸回りの豪華な被毛を梳きながら、ふと今朝のことを思い出した。

「そう言えば……。昨日はラ・エンのところで寝ちゃったんだけど、どうしてここにいるの? ラピスが連れてきてくれたのかな?」

だけどラピスなら、寮のベッドに連れて行きそうなものだ。それに、ラピスはまだ聖域にいるみたい。

「……知らねー」

そわそわするしっぽを不思議に思いつつ、ラ・エンと世界樹が送ってくれたのかなと見当を付ける。あそこで眠って、起きたら明るい聖域を見たかったのだけど、仕方ない。

転移で行けるのかどうか分からないけれど、ラ・エンや世界樹にも会った今、自由に行き来できるように思う。

『あんまり行くと、きっとルーが怒るよ』

シロがオレの中でくすくすと笑った。確かに、そんな気がする。機嫌が悪くなるから、サイア爺のところもあんまり行けないもの。

それに、『聖域』だから。オレみたいな一般人が気軽に行き来していい場所じゃない気がする。

『主は一般人じゃないと、俺様思うけど』

『神獣の加護を3つも持ってる一般人って、いるのかしら』

……そうかもしれないけど! オレ自身は勇者だとか賢者だとか、そういうものじゃない。

だから、次の機会がいつになるか分からないけど。

「今度は、明るい時に行きたいな。ラピス部隊とも遊びたいし」

「行く必要はねー」

やっぱり少々不機嫌に細められた瞳に、くすっと笑う。

「必要はないけど、行きたいなあ。あっちで寝ちゃったら、またルーのところで目を覚ますのかな?」

何か言おうとしたルーが、グフッとむせた。

「なあに?」

「何でも……ああ、伝言だ。てめーなら生命の魔石から魔力として取り出せるだろうと」

礼の代わりだと不愉快そうに言ったルーにしばし首を傾げ、ラ・エンの伝言かと思い当たった。圧倒的に台詞が少ないと思うんだけど? 絶対もっと色々言ってたでしょう!

「……だけど、何のこと? 生命の魔石から取り出せたとして、そんなに魔力を使うこと――?!」


オレはハッと目を見開いた。もしかして、生命の魔石から魔力を取り出せるなら、それを保管庫代わりに使えるってこと?




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もうすぐコミカライズ版更新予定日ですよ!!


多分6/23!!お見逃しなく!!

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