第492話 世界樹のもとへ
オレは今、どうなっているんだろう。
淡い意識がやんわりとオレをつなぎ止め、ただ不思議に思う。
熱くも冷たくもない光の中で、完全に脱力した身体は……身体? あれ? そもそも、身体はあるのかな?
オレは今、目を開けているんだろうか。この光は、オレを包んでいるんだろうか。それとも、これがオレなんだろうか。
当たり前だったことが、分からなくなった。
身体ってどうやって動かしていたっけ。息をするのってどういうことだっけ。
分からないけれど、別にこれでいいような気もする。
だって、心地いい。深い海の底でたゆたうような、高い雲の上で眠りにつくような。
「ピピッ!」
ティアの声が聞こえた気がして、オレはどうやら開いていたらしいまぶたを、もう一段階開けた。
――ユータ、ユータ!
ラピスの心細げな声が聞こえて、頬にぺちぺちと小さな肉球を感じる。
……すぅ、はあ。
独りでに胸郭が動いて、開いた目にはたくさんの緑が映り込んだ。弛緩していた口元が締まって、こくっと喉が鳴った。小さな胸を満たした空気は、きらきらと身体の中を通り抜けていく。
「……あれ? オレ、ぼうっとしてた?」
ちゃんと立っている自分にむしろ驚いて、ゆっくりと瞬いた。
大きく深呼吸すれば、小さな胸がいっぱいにふくらんで上下した。
ちまちました手を握って、開いてみる。
思った通りに身体が動く。すごいものだな、なんて人ごとみたいに思った。
――ユータ、大丈夫? 動かないから、心配したの。
すり寄ったラピスを撫でると、ごめんね、と微笑んだ。
「オレの転移の時みたいだったよ。ふわっと広がって……それが長く続いたみたい」
大丈夫だよ、と笑うと、垂れていた耳がようやく持ち上がった。オレは、心地良かっただけなんだけどなあ。
『……溶けてしまうかと、思うたよ』
ゆったりとした声が、波紋のように広がった。覚えのない声に戸惑って辺りを見回すけれど、辺りは一面の緑。そして、視界の一部を木製の壁が遮っていた。
――ラ・エン、ユータが来たの!
嬉しげに肩で跳ねるラピスの声に、思わずぎょっとした。
だって、それ、長でしょう?! そんな、いきなり登場するとは思わないよ!
「ら、ラピス?! それって天狐のお偉いさんでしょう? オレがいきなり会ったりしたら失礼だよ! ちゃんと手順を踏んで……」
慌てるオレを、群青の瞳が不思議そうに見つめた。
――ラ・エンは誰でも会っていいの。いつでも会えるの。それに、ラ・エンは天狐じゃないの。
「えっ? 違うの? だって天狐や管狐の長でしょう?」
オレはきっと近くにいるのだろう、小さなお偉い毛玉を探して彷徨わせていた視線を戻した。
――そうだけど、違うの。ラピスたちも、ラピスたち以外も、全部の長なの。ユータは聖域の一番奥まで来たの。きっと、ラ・エンに会いにきたの。
「えっ?! つまり聖域の長?! そんな凄い人に会えないよ!」
オレはぶんぶんと首を振って後ずさった。それって精霊王とかでしょう?! オレの脳内イメージ画像は煌びやかな衣装のチル爺だったけれど、きっともっと荘厳で近寄りがたい人に違いない。
世界樹を辿って聖域に来たら、最深部まで行ってしまうんだろうか。それともティアの導きがあったからだろうか。何はともあれ、そんな王様みたいな人に会うのはご遠慮願いたい。
なにかと王様やお姫様なんかと知り合ってしまうオレだけど!
『――おいで。
類い希なる器? 不思議な言い回しに首を傾げる。どうやら、オレからは見えないけれど、ラ・エン様にはオレが見えているらしい。直接招かれてしまえば、断る方が不敬になってしまう。
――ユータ、行くの! ラ・エンは時々変な物の言い方をするから、気にしなくていいの!
ら、ラピス!! 慌てて小さな口を押さえたけれど、ラピスは気にした素振りもない。
だけど、ラ・エン様の穏やかな雰囲気が変わらないことにホッと安堵した。どうやら本当に気さくな方らしい。
――早く行くの~!
ラピスに急かされるままに、大きな木の壁へと歩き出した。
ちょっと変だなと思ったんだ。こんな森の中、はるか高くそびえ、どこまでも続くこの壁。何のための建造物かと思ったけれど、そうじゃない。
触れる距離まで近づいて見上げてみたけれど、上端が見えなかった。
そっと触れてみると、ずっとはっきりと感じるあの感覚。
まるで、生き物……。撫でた木壁は、継ぎ目などなく滑らかで、デコボコしていて、そして鼓動まで聞こえそうだった。
「……これが、世界樹……!!」
オレの目では、どこまでも続くただの木の壁にしかなり得ない。世界樹を木と認識するには、どのくらい離れて見る必要があるんだろうか。本当に大きなものって、小さな者からはその大きさを知ることはできないんだな。
世界樹に自然と手を触れながら歩いていると、ふとラピスが先へと飛んでいった。
慌てて後を追って駆けだした脚が、ピタリと止まる。
「で……っかい……」
『ああ、本当に良い器の子よ。ようやっと会えたものだ』
まるでホールのように木々が拓けたそこには、世界樹にもたれかかるように巨大な生き物が座していた。
オレの頭ほどもある巨大な金の瞳が、柔らかな光をたたえてオレを見つめている。
「ど、どら、ごん……?」
目をそらすことも出来ないまま、喉を上下させた。
――ユータ、これがラ・エンなの!
ラピスが竜の背を滑り台よろしく滑ってはきゃっきゃとはしゃいだ。
「は、はじめまして……?」
まだ唖然とする頭を叱咤してなんとか挨拶すると、改めてその巨体を眺めた。
森の中にしっとりと馴染む、落ち着いたグリーンや茶色を基調とした体色は、その穏やかな心を表しているように思えた。スッと伸びた首、がっちりと猛々しい体躯。そして、大きな口から覗く牙と、大きな翼。戦うに適した強者の造形は、まるで雰囲気と相反するようにも、強き心の在りようにも見えた。
これは、ドラゴンだ。
だけど、光沢の失われた鱗、既に半ば白っぽくなっているタテガミ……。『一番長く生きている』その言葉が頭の中に響いた。
「……だけど、どうして?」
生き物が年老いていくのとは明らかに別の現象に、オレは困惑してその老ドラゴンを見つめた。
「だって、それじゃあ動けないでしょう? どうしてそんなことに……」
逞しかったであろう四肢も、自由に空を飛ぶはずの翼も――まるで融合するように半ば木壁にめり込んでいた。
表情を曇らせると、半身を世界樹にめり込ませたまま、ラ・エン様がゆったりと微笑んだ。
『やりたくてしておるよ、他に方法が思いつかなかったものでなぁ』
「方法?」
『そうとも、私と、私以外が生きながらえるための方法。おかげで随分と長く生きておるだろう? 何も悲しいことはない、そんな顔をするものじゃないよ。ほら、どうしたね? 泣きべそをおやめ』
からからと笑う声に、憤慨して金の瞳を見つめ返した。泣きべそなんて、かいてない! ちゃんと見てよ、ほら、濡れてないでしょう。
「ラ・エン様は――」
『私にそんな物言いをする必要はないよ』
遮られて小首を傾げると、ひとつ頷いた。
「ラ・エンはどうしてそんなことをしたの? オレ、何か力になれる?」
『ふーむ、あることもなく、ないこともなく』
ラ・エンは楽しげにタテガミを揺らした。
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寝落ちて投稿忘れてました…
すみません
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