第493話 ラ・エン
「何? オレにできることって何があるの?!」
勢い込んだオレに、ゆったりとラ・エンが首を寄せた。頭が下がるにつれ、サラサラとタテガミが流れて目元を覆っていく。金色の澄んだ瞳が隠れたことが残念で、ついつま先立ちで手を伸ばした。
そうっと目元を避けて後ろへ流すと、タテガミは1本1本が太くて、重い。だけど、しなやかで柔らかかった。
『ありがとう、まだ幼き器』
間近にある大きな瞳が少し細くなった。また変化した呼び名に首を傾げる。
「器って、どうして? 何の器なの?」
『さて。私がそう思うからそう呼ぶにすぎぬよ』
はぐらかすような返答に、唇を尖らせた。
――ラ・エンは好き勝手に呼ぶの。だから、ちゃんと名前を教えるの。ラピスも、変な名前で呼ぶからちゃんと教えてあげたの!
偉そうに鼻先を上げたラピスに、ラ・エンはますます目を細めた。まるで孫を見るような愛しげな金の光。
『覚えておるよ、若き可能性のラピス。よい名をもろうたな』
――ラピスだけでいいの! ラピスはもう若くないの、オトナなの!
ラ・エンからすれば、他の生き物全てが若いことになるんじゃないかな。憤慨するラピスに、大きな竜はからからと笑った。
『では、そなたも名前をくれるのかな?』
ついと金の瞳は視線を滑らせると、ラ・エンはそのままオレにも温かな光を注いだ。
ああ、どうしてラピスがそんなにも物怖じせずに話せるのか分かる気がする。大きな瞳から確かに伝わる光は、むしろ切ないほどに小さな胸を満たした。
……大きいな。ラ・エンは本当に大きい。
惜しみなく注がれて胸の内を満たすのは、愛される心地よさ。何を言ったって、どんな態度を取ったって、ラ・エンがオレを見る目が変わるはずがない。
だって、ラ・エンはオレというひとつの命を愛している。
それは、世界樹のように。ラ・エンの場合においてだけ、揺らがない感情。それが失われることがないという確信は、こんなにも心を安定させる。
オレはぎゅっと大きな頭にしがみついた。ラ・エンはオレの名前を知っているだろう。だけど、きっとオレが名乗ることに意味があるんだ。
「うん……オレはね、ユータだよ。あのね、元の名前は――」
もう、とうに忘れていた名前が浮かんで、そっとその耳に吹き込んだ。きっと、二度と使わない名前、ラ・エンの中に置いて行こう。
何も事情を知らないはずのラ・エンは、ただじっと聞いて瞬いた。
『……ユータ。よい名だ』
その口からオレの名前が紡がれたことに、震えるほどの誇らしさを感じる。そっと首をもたげた竜と正面から瞳を合わせ、オレは上気した頬で微笑んだ。
『では、私も改めて名乗ろうか。しかと聞いておくれ』
少しイタズラっぽい顔をしたラ・エンに、オレは真剣な目で耳を傾けた。
『私の名は、ラルコキアス・ガナ・エンディーナ。……ラ・エンと呼んでおくれ』
え、と瞳を見開く間もなく、胸の内に温かな光が宿った。
『ルーディスに、怒られてしまうな』
呆然とするオレの前で、真名を告げた竜の神獣は楽しげに笑った。
「あの、オレ、真名を聞いちゃって良かったの? 会ったばっかりなのに……。真名って加護なんでしょう?」
最古の神獣の加護、それも聖域の主の加護。恐れ多いなんてものじゃない。何かの間違いなんじゃないかと、ひとり焦ってラ・エンを見つめた。
『そなたは私を知らないが、私はそなたを知っているよ。……この世界に来た頃から、ずっと。今日、ようやく会うことが叶った』
暗に別の世界から来たことまで知っているとほのめかされ、どきりとした。ラ・エンは、そんなことまで知っているんだろうか。どうして知っているんだろうか。
「ピッ!」
優しく髪をついばまれ視線を移動すると、ティアがパタタッと飛び立った。
「あ、ティア!」
小さなティアがちょん、と竜のツノにとまると、ぽうっと光を帯びた。世界樹の根っこにとまった時みたい。まるで世界樹と融合したようなラ・エンの姿。それは、本当の意味で世界樹とひとつになっているということだろうか。
『知らなかったかな? フェリティアは世界樹の目。私の目でもあるよ』
「ピピッ!」
誇らしげに胸を張ったティアは、再び羽ばたいてオレの頭に乗った。
「あ……! 世界樹の、目……!!」
確かに、そう言っていた。でもそれって、伝説のようなものかと……。だって、世界樹は樹だもの。見るっていうのは象徴的なものかと思っていた。
『ティアと、世界樹と共に、私もユータを見ていたよ。ルーディスの加護が出張っているから大きなことはできないが、私自身にもユータと繋がりを持たせておくれ』
オレを見下ろして目を伏せたラ・エンが、自由になる片翼を広げた。一帯が日陰になるほどの大きな翼は、そっとオレの方へと伸ばされる。分厚い翼は、器用にオレを抱え込んで引き寄せた。
わぁ、あったかい。
翼膜から直接伝わる体温は、とても高かった。だけど、ことんと寄りかかった身体からそれは感じない。鱗があるからだろうか。それとも……。
「そうだ! ねえ、オレは何をすればいいの?」
オレを抱き寄せたままうつらうつらとしていたラ・エンが、ぱちぱちと大きな瞳を瞬いた。
『ああ、そんな話をしていたのだったか』
真剣な瞳で見つめるオレに、ラ・エンも表情を引き締めた。
『では、ユータに頼んでも?』
大きく頷いて、きゅっと唇を結んだ。
『つらいと思うが、できるか?』
「うん!」
オレができることなら、なんだって!
『投げ出さずに、やり遂げられるか?』
「うん!!」
やってみせるから! ぐっと拳を握って金の瞳を見つめ返すと、澄んだ瞳がふんわりと柔らかくなった。
『……分かった。では、任せよう』
ラ・エンは不自由な身体で身じろぎすると、なるべく地面へと身体を横たえた。
『……どうして、怒っているのかな?』
ラ・エンが堪えきれずに笑った。大きな身体がふるふると震えている。
「怒ってない!!」
ほっぺがふくらんでいることを自覚しているけれど、目を閉じたラ・エンには見えていないはず。あ、しまった、ティアが見ているんだった。
だって、思うじゃないか。もっと重要な任務だって。
オレは、ふくれっ面で小刻みに手を動かした。
絡み放題のタテガミは、まず毛先から順に梳かさなくてはいけない。
サラサラと流れ落ちるように見えるタテガミも、いざブラシを通してみればこの有様。そりゃそうだよね、ラ・エンにブラシをかける人なんてここにはいないだろうから。
そう、オレはせっせとドラゴンのタテガミを梳いている。
確かに重労働だけど、面積と手間で言えばルーの方が大変じゃないかな。長いとは言え、ラ・エンはタテガミだけだもの。
『ふむ、このような心地なのか。よいものだ』
くたりと弛緩した表情に、少し機嫌を直した。オレだってドラゴンにブラッシングできるなんて、とても楽しい。徐々にスムーズに通り始めるブラシとともに、心も弾みだしてくる。
――その通りなの! ユータのブラッシングは、とっても気持ちいいの!
「「「きゅう!」」」
唱和するような声に周囲を見回すと、いつの間にやら管狐がたくさん舞っていた。繋がりを感じるということは、どうやら見知らぬ管狐じゃなくみんなラピス部隊だ。そっか、ラピス部隊はいつも聖域で過ごしているんだもんね。
「後で、みんなもブラッシングしようね」
にっこりすると、ふわふわしていた管狐たちが目まぐるしく飛び交い始めた。きゅっきゅと喜んでいるらしい様子に、あの数全部ブラッシングするのは中々骨が折れそうだと苦笑した。
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