第428話 セデス兄さんの用事
「あれ? セデス兄さんどこ行くの?」
珍しく朝からちゃんと服を着て起きているなんて、きっと特別なお出かけだ。階段の上からぽんと飛び降りると、セデス兄さんは難なくキャッチした。ふわっと涼やかなハーブみたいな香りが鼻を掠める。
「ユータ、今日はギルドに行かないの? 僕と一緒に行くかい?」
「いいの? 行く!」
どこに行くのか知らないけれど、きっと良いところだ。オレは満面の笑みで見上げた。
「ねえ、どこに行くの?」
オレは普段着よりも少しおめかしした服に着替え、手を繋いで街を歩いている。セデス兄さんといると、急に貴族になったような気分になるから不思議だ。
「すぐ近くだよ。王都にいるなら顔を出してほしいって言われていてね~」
ふふっと笑ったセデス兄さんは、ハッキリとは教えてくれないようだ。繋いだ手をきゅっと握って、早く行こうと引っ張った。
「そんな引っ張ったって、どっちへ行くか知らないでしょ?」
「そうだけど、引っ張らないとセデス兄さん遅いもん」
「そうだけど、こっちだよ」
クスクス笑ったセデス兄さんが、ひょいとオレを抱き上げ、通りを曲がった。長い足がすいすいと歩を運び、サラサラと髪がなびいた。うん、こっちの方が早そうだ。行く先を知らないオレは、遠慮なくもたれかかって歩幅のリズムに揺られた。
知らない道、知らない匂い。白の街はあまり出歩かないから、このあたりはほとんど知らない。大きくてしっかりした建物が多くて、まるで外国に来たようだ。
「あれ? お城みたい。あれなあに?」
目の前に一際大きな建物が現われて目を見張った。まるで横幅の広いお城のようだ。個人宅にしては、いくら貴族様と言えども大きすぎやしないだろうか。
「あそこに行くんだよ」
「えっ?」
気負った様子もなく近づいたセデス兄さんが、門兵さんと一言二言交わすと、門脇の小さな扉を開けてもらった。
「んー、懐かしいってほどでもないかなぁ」
周囲を見回しながら、勝手知ったる風にずんずん進むセデス兄さんに、気が気じゃない。
「ね、ねえ! ここ、オレが入ってもいいところ?! 偉い人のところじゃない?」
「大丈夫だよ、ユータぐらいの子もたくさんいるから」
オレくらいの子もたくさん? 改めて建物を眺めると、ふと既視感を覚えた。豪華さが全然違うけれど、雰囲気は見たことがあるような。
「気がついた? ここはね、僕の学校だよ」
「えっ?! セデス兄さんの学校?!」
それって、貴族学校じゃないの? 勝手に入っちゃって大丈夫? 特にオレ……。くるくる金髪のお嬢様が、薄汚い庶民の来る場所じゃなくってよ! なんて高笑いするところじゃないの?!
「……ユータが何考えてるのかは知らないけど、それは違うんじゃないかなってことは分かるよ」
セデス兄さんが苦笑したとき、奥の建物から誰か走ってきた。
「やあ、元気みたいだね」
のほほんと手を挙げたセデス兄さんに、走ってきた男性は息を切らして肩を掴んだ。
「お前ね! 戻って来てるなら言ってくれてもいいんじゃないのか? そもそも、どうして田舎に行ったきり戻って……うん?」
びっくりしたオレの見開いた目と、憤る男性の目が合った。
「うぉわ?! なんだ?! お前、それなんだよ!」
オレよりもずっと驚いたらしい男性が、もの凄い勢いで飛び退いた。セデス兄さんの方が年下に見えるけれど、もしかしてご学友? でも、もう卒業してるよね?
「なんだって言い方はないんじゃない? 見てよホラ、こんなにかわいいんだよ?!」
にまにましたセデス兄さんが、ずいっとオレを差し出した。もう! やめてよ、ペット自慢じゃないんだから! バタバタ暴れて下ろしてもらうと、きゅっと服の裾を握った。
「えっと、それ、お前の……?」
「そう、僕の弟だよ!」
ふふん、と胸を張ったセデス兄さんに、男性が脱力した。
「お、弟かよ……」
ぐったりとしゃがみ込んだ男性は、ろくにオレの顔も見ずになでなでと頭を撫でた。
「お前に先を越されるとか、終わってるからな……」
ブツブツと呟かれた言葉は、聞こえなかったことにした。そ、そんなことないよ、セデス兄さんはきっとモテモテだよ! 中身とのギャップが大きすぎてお付き合いに至らないだけで……。
「それで? ラスはなんで僕をここへ呼んだの?」
「なんでって、文に書いたろうが。剣技の手本を見せてやれって」
ラスと呼ばれた男性は、居心地悪そうに身体を硬くしている。膝に乗せられたオレを無理に退かせるわけにもいかず、大変困っているようだ。でも、この人も貴族だろうし、オレが勝手に膝から飛び降りたら、それはそれで失礼かもしれない。
ラスさんの膝で話を聞くに、どうやら彼は学校側に頼まれて、時々後輩の指導に訪れているそうだ。特に戦闘関連についての授業のようだけど、剣技は使わないので代わりの人を探していたらしい。
「それで僕~? やだよ、他の人にしてくれる?」
「剣技できるやつがそうホイホイといるかよ!! ちゃんと給金は出るからさ」
「僕、給金いらないから」
「くっ……この貴族のボンボンがぁ~!」
話は終わりとばかりに立ち上がったセデス兄さんに、ラスさんが歯がみした。ラスさんも貴族のボンボンでしょ?
「ねえ」
くいくいと服を引くと、ラスさんがビクッと飛び上がった。
「しゃべった……!」
当たり前でしょ?! オレぬいぐるみじゃないよ! 憤慨しつつ、じっと男臭い顔を見上げた。
「セデス兄さんの剣技が見られる?」
「お、おう。……そうだ! な、お前だって見たいだろ? にーちゃんの剣技。そうそう見られねえもんな、ここならじっくり落ち着いて見られるんだぞ?」
セデス兄さんがしまった、と顔を歪め、オレはぱあっと顔を輝かせた。
「見たい!!! ねえ、セデス兄さん、オレ、見たい!」
「ほーらほら、お前のかわいい弟がこんなに見たがってるぞ? ん? どうする?」
んー? と、ラスさんが悪者みたいなにやけ顔でセデス兄さんを肘でつついた。一気に形勢逆転して、セデス兄さんがクッと唇を噛んだ。
「ユータ、騙されちゃダメだ! 別にここでなくても見られるから! また見せてあげるから!」
「本当?」
「出た! 弟よ、大人の使う『また』は絶対に来ない未来だ! 騙されるな!」
「ちょっと! それ僕の弟だから! ラスの弟みたいに言うのやめてくれる?!」
ええい、話がごちゃつく!
オレはまたラスさんの服を引っ張って、ラスさんはまた飛び上がった。
「ねえ、オレ、授業見てみたい」
「俺の授業は戦闘訓練だぞ? 文系なら……」
「ううん、戦闘の授業が見たい!」
瞳を輝かせたオレに、ラスさんがにやりと笑った。
「よし、俺の授業で良ければいくらでも見ろ! それでいいか?」
オレはこくりと頷いてにこっ……にひっと笑った。掲げられた大きな拳に、ちっちゃな拳をこつんとやる。
「契約成立、だな」
勝利の笑みを浮かべたラスさんが、顔を上げた。
「行けっ! 弟!」
「だから! ラスの弟みたいに……」
かけ声と共に飛びついたオレを、セデス兄さんがむくれて抱き上げた。
「ねえ! セデス兄さん!」
「うっ……」
間近で浴びせる弟の輝く眼差し! こうかはばつぐんだ!
「オレ、セデス兄さんの剣技見たい! 今!」
ぎゅうっと首筋を抱きしめて囁いた。
「かっこいいの、見たい。オレ、セデス兄さんがみんなにかっこいいって言われてるの見たい」
そっと埋めていた顔を上げて、じいっと緑の瞳を見つめる。
「ねえ、おにーちゃん!」
ちょっとはにかんで笑うと、ぐっと腕が締まった。肺が一気にぺちゃんこになって、息が詰まる。
わなわなと身体を震わせたセデス兄さんが、固く拳を握って燃え上がった。
「オーケー野郎ども!! 見せてやろうじゃないか! 兄ちゃんのカッコイイ姿! ユータ、見てなよ、君の兄ちゃんは最高にカッコイイから!!」
すっかりやる気になってくれたセデス兄さんに、オレは半分潰されながらぐっと親指を立てた。すっかりドン引いているラスさんも、乾いた笑みで親指を立てた。
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