第413話 ピンと張った糸
何かを叫びながら駆け寄ってくる騎士さんたち。鎧の鳴る音と怒号めいた声は、随分と遠く聞こえた。
オレはストンと表情を落とすと、横たわったミックに駆け寄る人たちをぼんやりと眺めた。
いない……いなくなった?
本当に、いなくなった?
オレの方へも駆けてきた騎士さんたちが、何か声を掛けながらオレに触れた。されるがままになりながら、ゆっくりと瞳を瞬く。
もう、いいかな。もう、安心してもいい?
固い手がぺしぺしとオレの頬を叩いている気がする。オレはぼんやりと目の前の真剣な顔を眺めた。
「離せ! ユータは?!」
「ミックさん落ち着いて! あっちに――」
遠くの方で覚えのある声がしたかと思うと、目の前の騎士さんが横に放り投げられた。ミックの汚れた顔が目の前いっぱいに広がって、がしりと痛いほどに両肩をつかんで揺さぶられる。
「――ユータっ!!」
突如間近く聞こえた声に、ハッと我に返って息を吸い込んだ。途端に周囲のざわめきがうるさいほどに耳に飛び込んで来る。
人が、いっぱいいる。ミックが、ちゃんと生きている。
肺が凝り固まったような気分だ。吸って、吐いて、オレは意識して呼吸をする。
「そうだ、いい子だ、ゆっくり息をして。大丈夫、もう怖い思いはしない」
オレの顔を両手で挟んで、ミックは大人の顔で言った。震える小さな手で固い手の甲に触れると、ざらざらした土と、カピカピになった血液を感じた。でも、それでもその手は温かかった。
「……お前、そんな状態で……お……私の心配をしているだろう。そんなものはいらない、例え私が死んでも悲しんだりしないでくれ! 頼むから!」
きつく、きつく抱きしめられて、温かな体と血なまぐさい匂いに包まれる。
そんなこと言ったって、どうしようもないよ。無茶を言うミックの体をそっと抱きしめて、固まった頬をゆっくりと引き上げて笑った。そして、そのままくしゃりと顔が歪むのを感じる。
「ふうぅ……うっ、うわああああん!」
もう、いいよね。
オレは肩の力を抜くと、腹の底から声をあげた。ミックをバシバシと叩いて泣いた。
怖かった……どうしようかと思った。
ミックが死んじゃったら……
そして、みんなが、オレが、死んじゃったら……。
きっと、カロルス様たちが悲しい。
きっと、タクトやラキが悲しい。
きっと、ギルドの人が悲しい。
たまにしか会わない人だって、まだオレを知らない人だって、きっと悲しい。
死んじゃうっていうのはそういうことだ。
これ以上に悲しいことはない。
オレは、とても怖くなった。
* * * * *
「寝た、か……」
ミックは、ガチガチになっていた体からようやく力を抜いた。
「その、ミックさん怪我は……? すごい量の出血ですよ? どうして平気なんです?」
その子を預かりましょうと差し出された手に背を向けて、ミックは静かに立ち上がった。鎧を損傷するほどの攻撃を受けているのに、傷が見あたらない。ただし、ユータからもらったお守りは、外袋を残して消えていた。
ミックは空になったお守り袋を無意識に握って、ぽつりと呟いた。
「お守りが……あった、から?」
「お守り……?」
訝しげにする騎士に答えず、どうしたものかと腕の中のぬくもりを眺めた。
……私に力があれば、こんな思いをさせなかったのに。
武力ではどう足掻いても才能に勝てないと割り切ったつもりだった。それ以外で役に立てばいいと切り替えたつもりだった。
だけど、どうだ。こんなに悲しませるなんて……。
長いまつげに散った水滴と、頬に残る涙の跡に胸が軋んだ。
「兵に預けてギルドにでも連れて行きましょう。冒険者のようですし、ギルドならこの子の家も分かるでしょう」
「……いや、ゴホン、私が家を知っています。迷惑をかけた詫びもしなくてはいけません、私が行きます」
用意されようとした馬車も供も断って、ミックは静かに白の街を歩いた。
まるで人形のように軽い小さな体は、大泣きして驚くほどに熱かった。眠りの中でさえしゃくりあげる様子に、なんとか楽にしてやりたいと願う。
「まだまだ、子どもだな。どうだ、私はこんなに大きくなったんだぞ? ……なのに、守ってやれないなんて、なあ?」
苦々しく俯くと、見上げる淡いブルーの瞳と視線が絡んだ。
『いいんだよ、ぼくだってモモみたいにシールドを張れないし、ラピスみたいにたくさん魔法を使えないけど、できることがあるからいいんだよ』
『シロ、念話を繋げなきゃ伝わらないわよ?』
シロはにっこりと笑った。
『いいの、言葉で言ったって伝わらなきゃ意味がないんだよ。言葉が伝わってなくても、大丈夫って伝わっていたらいいんだよ』
二人の会話を知るはずもなく、シロと視線を交えたミックがふと表情を和らげた。
「ありがとう。君は真っ直ぐ見つめるんだな、私は迷ってばかりなのに。そうだな、私にはできることとできないことがある。為せることに全力を尽くそう」
ユータを片手で抱え直し、ミックはシロの毛並みに指を滑らせた。
『いいのいいの! 迷って寄り道が多いとお土産はたくさんになるからな!』
ぴょんと飛び出したチュー助が、ミックの腕に駆け上がって偉そうに腕組みした。
『そのかわりちゃんとお土産を持って帰らないとダメだぞ! 若者、お土産があればそれで万事解決だ!』
うんうんとひとり頷くチュー助に、驚いたミックが苦笑した。
「ユータはいろんな生き物を飼ってるんだな。しゃべるねずみの幻獣か? 土産、か……。まさかねずみにまで諭されるとはなあ」
『おやぶ、さとするの? かっこいー!』
『アゲハ、さとするんじゃなくて、諭した、って言う……? 俺様、諭したの??』
訳も分からず喜ぶアゲハと、混乱するチュー助。
腕の中に視線を戻したミックは、少し目を見開いて柔らかく微笑んだ。
皆の声を聞いたせいなのか、どうなのか。きゅっと丸くなって苦しげに眉根を寄せていたユータは、いつの間にかくたりと脱力して、すやすやと穏やかな寝息をたてていた。
* * * * *
「……おなかすいた」
寝ぼけ眼で起き上がろうとして、ちっとも叶わず目を瞬いた。
周囲は真っ暗だ。今何時だろう? なんか、体が重苦しいんですけど。顔だけきょろきょろさせると、右にエリーシャ様、左にカロルス様。眠っていれば彫刻のように美しい二人の顔が間近にあった。そして双方の片腕がオレの胸と腹に乗っかって、結構な重量感だ。
どうしてオレこんな状況に? 記憶を遡ろうとしたけれど、どうもあやふやだ。まだ十分明るかったはずなのに……。
「あら、ユータちゃん目が覚めたの? もう遅いからこのまま寝ちゃうといいわよ」
微かな身じろぎで起こしてしまったろうか。エリーシャ様が微笑んでオレの額を撫でた。柔らかな指がするりと髪を梳き、そのまま眠ってしまいそうだ。
ぐぅ……
うとうとしかけた所で腹の虫に起こされた。どうやら寝かせてはもらえないみたい。
ほんのり赤くなって見上げれば、クスクスと笑ったエリーシャ様が体を起こした。
「お腹空いちゃったのね。用意してくるから待っててくれる? 眠かったらそのまま寝ちゃっていいわよ」
優雅な動作でベッドから滑り降りると、もう一度オレの額を撫でて部屋を出て行った。
オレはこくりと頷いて見送ると、再びうつらうつらしかけて、バチッと目を開けた。今、エリーシャ様が用意してくるっていった?! もしかしなくてもそれって食事だよね? ……お、追いかけた方がいいかな?!
あまりに不安な台詞にガバッと体を起こすと、強い腕が腰に巻き付いて引き寄せられる。
「心配すんな、ジフが用意してあるからよ」
胸元に抱き込まれて、おでこにチクチクと無精ひげが刺さった。どうやらカロルス様も起こしてしまったらしい。くあ、とあくびに伴って硬い胸が大きく膨らんで、沈んだ。なぜか途端にじわっと涙が溢れてきて、ぎゅうっと温かな体に身を寄せた。
「ん? どうしたよ」
寝ぼけて力加減を若干間違っているナデナデに頭を強く揺さぶられながら、一気に昼間の記憶が蘇ってきた。自分の心臓が猛烈に早鐘を打ち始めるのを止められない。
「……ここにいるぞ。大丈夫だ」
「……ちゃんと、いてね。ずっと、いてね」
包み込まれる安心感と、失う不安が同時に押し寄せて、小さな体は張り裂けそうだった。
「ずっとは無理だな!」
カロルス様が朗らかに笑って、オレは涙に濡れた瞳を上げた。
「でも、今は『ずっと』ここにいるぞ」
いつものようににやっと笑うカロルス様が、ぎゅうと力を込めた。痛い……そんなに力を入れたら、オレの胸が潰れちゃうよ。
「明日になったら明日が今だろ、いいじゃねえか、今いるんだから」
ぐりぐり、と顎で背中をくすぐられて、思わず笑った。涙をぽろぽろしながら笑いも止まらなかった。
「――でもよ、お前はずっといろよ?」
ぼそっと呟いた声に、そんなの理不尽だよ、と笑った。
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昨日ついにコミカライズ版2巻が発売されましたね!
もう入手されました? 表紙をめくった所にルーのあんよがにゅっとしてるのが個人的にツボでした!かわいい…
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