第346話 好きな時間

「はいよ、いらっしゃ……おや、ぼうやじゃないか」

「キルフェさん、お久しぶり! あのね、ライグーのお裾分けに来たんだよ!」

ライグー討伐の依頼は大成功、参加した他のパーティにも喜んでもらえたし、きっとオレたちパーティの株も上がることだろう。依頼がうまくいって、オレはにこにこだ。

「料理が美味いって噂が広がってもね~」

「なんかそれカッコ悪いぞ……」

続いて店内に入ってきた二人は、どこか微妙な表情。贅沢だなぁ、いい噂なんだから、それでいいじゃないか。


「ユータ君いらっしゃい、どうだい? 驚きのおいしさだったろう?」

「プレリィさん! うん、すごく美味しかった! あんなに臭かったのに美味しくなるなんて、プレリィさんすごいね!」

「いやいや、レシピだけでちゃんと再現できたんだろう? 君の腕前だよ」

すごいじゃないか、と細い指がオレの頭を撫でてくれた。お料理をしていたのだろう、その手からはほんのりと美味しそうな香りがした。

「そうさ! 誰だってできるもんじゃないさ。もういっちょ前の料理人さね、胸を張りな!」

バン、と勢いよく背中を叩かれてつんのめる。師匠たちに認められたようで、オレの頬も独りでにほころび、はにかんで笑った。

「だからさぁ、ユータは料理人じゃねえっての。お前も食われないように気をつけろよ~」

タクトがエビビ水槽を揺らすと、エビビがピチッと跳ねた。失礼な、もっと大きくないと食べないよ。でも、アミエビのふりかけとか、栄養満点で美味しいよね。

「ユータは何を目指してるんだろうね~」

「オレは普通に冒険したいだけだよ。でも、美味しくない保存食とか、焼いただけのお肉生活はちょっと飽きちゃうでしょ?」

冒険だって、ぐっすり寝て美味しいごはんがあった方がもっと楽しいに違いない。たまには、冒険者飯を楽しむのもオツかなとは思うけど。

「それは『普通に冒険』って言わない~」

「ははっ、冒険者にとって『外』での食事はエネルギー補給でしかないからねぇ」

みんな、やろうと思えばできるはずなのに、こういうものって思い込んじゃってるんじゃないかな。自分たちで調達すれば、保存食を買うより安上がりだし、オレたちを見て、もっと食事を楽しむ余裕をもった人が増えるといいね。




「さぷらーいずっ!!」

「うぐっ!」

転移で直接真上に出ると、転がったもふもふのお腹にダイブした。ぎゅっと引き締まった体の中で、唯一柔らかなお腹は、飛び込むのにもってこいだ。人型になったらお腹も固いのに、獣型だと柔らかいのは不思議だね。

腹でオレを受け止めてむせたルーに構わず、するっと下りると満面の笑みで振り返った。だって、知ってるよ、ルー、オレに気付いて避けずに受け止めてくれたでしょう?

「ねえルー! ライグーって食べたことある?!」

「『ねえ』じゃねー!!」

きらきらと目を輝かせて金の瞳を覗き込むと、ルーがグルゥッ! と唸って睨んだ。鼻面に寄った深いしわに、指を突っ込みたい衝動を抑えてにっこり笑う。

「プレリィさんに教わったレシピだとね、くさ~いライグーが絶品になったんだよ!」

知るか! とそっぽを向こうとしたルーの耳が、ピクリとこちらを向いた。

「ルーも食べてみたいかなって思って、持ってきたんだよ!」

「いいだろう、そこへ出せ」

偉そうに向き直ると、自分の前へ顎をしゃくった。食べてやってもいいと言いたげな顔とは裏腹に、しっぽが興味深げにぴょこぴょこと揺れていた。


「美味しいでしょ? ライグーってすごく臭いんだよ。だからね、オレたち作戦を考えて――」

ふんふんとあからさまに適当な相槌を打ちながら、ルーは皿まできれいに舐め取ってライグー料理を平らげていった。美味しいって言わないけど、とてもご満悦の様子だ。知らず知らず前肢をきれいに揃えて食べる様子は、なんとも上品で笑えた。人型だったら、どんな風に食べるんだろう。荒っぽいかと思っていたけど、案外スマートに上品に食べるんだろうか。

ぺろり、ぺろりと口の周りと、周囲の空気までひとしきり舐めて余韻を楽しむようなしぐさ、無意識なんだろうけどよっぽど美味しかったんだなって思えて、誇らしくてくすくすと笑った。


そのまま伏せて前肢の毛繕いを始めたルーに、こてんと背中をもたせかけた。ふわっと柔らかな被毛の感触と、奥にある鋼の体。ルーが顔を動かすたびに、オレの背もたれも揺れて、視界も揺れた。ふさ、ふさ、と揺れるたび耳に当たる柔らかな毛がくすぐったくて、しがみつくように向きを変えると、ぐいぐいと顔をこすりつけた。

「……あったかいね」

「クロスリーフの花が咲く。もう寒くはならん」

美味しいごはんでご機嫌になったルーは、ちゃんと返事を返してくれる。あったかいのは、ルーだったのだけど、言われて見れば、湖の周囲にも色とりどりの花が咲き始め、日差しは柔らかく漆黒の毛並みをぽかぽかにしていた。

「ルーは、物知りだね」

「お前が、ものを知らん」

フン、と鼻で笑ったルーが、どさっと体を横たえた。

「わ……」

ルーにもたれていたオレの体も、巻き込まれてころりと後ろへ転がった。ぱさっと髪が広がって、ルーの漆黒の毛並みと一緒になる。不思議だね、同じ色なのに、ルーの毛とオレの髪は全然違うものに見えた。


ごそごそとルーの前肢まで移動すると、勝手に腕枕にして背中を胸毛に埋めて横になった。

「……おい」

「気持ちいいね。見て、ちゅくしが生えてる。ルーはあれ好き? この間料理したんだけどね、お肉じゃないから好きじゃないかなと思って――」

地面すれすれになった視界には、萌え立つ小さないのちがたくさん映って、どこか嬉しい気持ちになった。

お日様に温められたルーの被毛の匂い、押し上げられて香る土、若い草木の匂い。生き物の、生きている匂い。ふんわりと微笑んで、ふっと力を抜くと、オレからも命の香りがする気がした。

「……無防備すぎる。魔力を漏らしすぎだ」

ルーの不機嫌な声が体に響いて、ぼんやりしていた心を引き上げた。

「そう? ダダ漏れだった? でも心地よくて」

――そんなに生命の魔素を増やしたら、一時的に聖域みたいになるの。ラピスも気持ちいいの!

「ピピッ!」

ラピスとティアが嬉しそうに空中をくるくる回って、きゃっきゃと笑った。

「……目立つだろうが」

ちらっとルーが視線を走らせた先には、こそこそと森の中に見え隠れする尻尾や角。あれは……森の幻獣たち、久し振りだね! ブラッシングしてあげたいけど、今はルーがいるから無理かなぁ。


「おうおうおう、見せつけおる」

突然響いた声に、オレは思わず飛び上がり、ルーの瞳は不機嫌そうに細められた。

「サイア爺! どうしたの?」

「ぬしの心地よい気配を独り占めは、ずるいと思わぬか? のう? そこの黒いの」

ちょいちょい、とつつかれて、ブン! とすごい勢いで尻尾が飛んで来た。思いの外身軽な動作で避けたサイア爺が、くるっと回って着地する。

「ふぉふぉ、若いの」

「うるせー! 来るな! 帰れ! 地面の下で大人しくしてやがれ!」

ばし、ばし、と苛立たしげにしっぽが地面に打ち付けられて、反抗期の子どものようだ。

「おうおう、怖いの。ぬし、こちらへ来るといい。膝を貸してやろうぞ」

既にほやほやした気分だったオレは、ぽんぽん、と膝を叩いたサイア爺にこくりと頷くと、素直に立ち上がった。

うつらうつらしながら足を踏み出すと、まふっと顔が何かに埋まった。

「……? ルー?」

離れた場所へ陣取っていたはずのルーが、オレの目の前で壁になっている。向こう側ではサイア爺が大爆笑していた。

「……どうしたの?」

「……うるせー! てめーも、てめーも全員帰れ!」

目の前の温かな体を抱きしめると、不機嫌MAXな獣の、グルグルと唸る低い声が体に直接響いた。

「ぬしは面白いの……わかった、わかった、このくらいにしておいてやろうかの。ユータ、次は地底湖に遊びに来るがよい」

半分閉じた視界から、サイア爺がフッと消えたのが分かった。まだ若干背中の毛を逆立てている大きな獣に苦笑して、そうっと撫でた。

「ねえ、せっかくのお昼寝起こされちゃったね。もう一回寝直そうよ……寝ないとオレ、帰れない」

「………」

小さく響いていた不機嫌なうなり声が徐々に消え、フンと鼻息を吐くと、乱暴に横になった。

「一緒にお昼寝すると、気持ちいいもんね。オレ、ルーの所でお昼寝するの好きなんだ」

ルーも、一緒にお昼寝するのが好きだといいなと思いながら、限界突破したオレの眠気は、あっという間にオレを夢の世界へ引きずり込んだ。



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