第345話 悪臭も薄まれば香水
「あっちに風呂があるから、みんな臭くなくなるまできれいに洗うんだぞ!」
「……なんか遠くない?」
「なんで風呂が……いや……もういい、助かる」
疲れた顔の面々が、ぞろぞろと用意したお風呂場の方へと向かった。男女で分けて壁を作って……と考えていたのだけど、ラキに笑顔で首を振られた。全裸になって入るわけじゃないのでお湯さえあればいいらしい。ワイルドだねぇ。
洗浄魔法をかけたら早いけれど、そうもいかないのでニオイが取れるまでにはかなり念入りに洗っていただかないといけないだろう。
タクトがお風呂へみんなを誘導している間に、さっそくお料理、もとい下準備を始めよう。
さあ、と向き合うと、血抜きしたライグーはいつも料理する生き物よりも大きくて、少し手が止まった。
『丸々として美味しそうだね! 臭くなくなったらぼくも食べられるかな』
決して出ては来ないシロが、オレの中でにこっと微笑んだようだった。
「そうだね。うん、きっと美味しくなるよ!」
オレもにっこり笑うと、スッと刃を滑らせた。
「これ、臭くないからそのままで大丈夫じゃないの~?」
「うん、それがね……」
ぐっと開くと、なんとも言えない刺激臭が鼻を突いた。
「あ、臭い~! やっぱりだめ~食べられないよ~!」
ラキは素早くオレから距離を取った。覚悟はしていたけど、これを食べるっていうのは中々……チャレンジした人はツワモノだなぁ。
ちょっぴり涙目になりながら、用意しておいた人肌の薬湯に次々お肉を放り込んでいく。
『主ぃ……これも臭いけど』
「そう? ニブヤモギが多いからかな?」
プレリィさんのレシピによく登場する薬湯は、森人の知恵らしい。色んな薬草やハーブを束にして煮出したもので、ブーケガルニみたいだ。とても汎用性が高くて、配合具合によって調味料や料理のベースにもなる優れものだ。中々に慣れがいるけれど、オレも基礎の薬湯は使えるようになってきた。
今回はプレリィさんから教わった、ライグー専用の特種な薬湯だ。ニオイと苦みの強いニブヤモギが多いので、深緑に染まった薬湯自体からもなかなかすごいニオイがする。鍋をぐるぐるやれば、まさに魔女の大鍋……でも、おかげでライグーの刺激臭は和らいだ気がした。
ライグーをしばらく浸けながら他の料理を用意し、頃合いを見て引き上げた。さらに別の薬湯で下茹でをして、準備は完了だ。
「ユータ! 腹へ……ってない! 俺向こう行ってくる!」
戻って来たタクトは駆け寄ってきたかと思うと、素晴らしい速度で距離を取った。くっ野生の勘か……敏感なヤツめ。
「ねえタクト、こっち来て! ちょっと手伝って」
「………なんだよ?」
にっこり優しく微笑んで手招きすると、タクトがそろそろと近づいてくる。
もう少し、もう少し……
ガッ!!
「な・に・しやがる!」
「味見だよ、あ・じ・み! いつもタクト喜ぶでしょ?」
反射神経のいいヤツ……。すんでの所でガッチリと掴まれた腕はビクともせず、オレたちの攻防にギリギリと音が鳴りそうだ。
「残念だったな! 俺に力で勝とうなんて100年早いぜ!」
そのままひょいと軽く手を押し戻されて、はっはっはと笑うタクトにぶすっと頬を膨らませた。
「ねえ、タクト~」
「なんっ……?!」
振り返ったタクトの口に放り込まれたのは、下処理を済ませたライグーのかけら。ラキ、グッジョブだ。大丈夫大丈夫、モモは美味しいって言ってたから。
口へ入れてしまえばはき出すことはしないタクトは、驚愕の表情の後、恨みがましくオレたちを睨むと、もぐもぐと急いで口の中の物を咀嚼した。
「おいしい?」
嫌そうな表情が、「お?」と言いたげに変わり、ごくり、と動いたのど仏に思わず身を乗り出した。
「うーん、そうだなぁ……これは……」
「これは?」
目を輝かせると、電光石火の早業でオレの口に何かが突っ込まれた。
「そんな味だっ!」
調理台の上にあったかけらが、今度はオレの口の中で存在を主張し、思わず口元を押さえた。せっかくタクトに食べさせたのにー!
「まあ、でもマズくはねえよ」
しれっと呟いたタクトが、ぺろりと口元を舐めた。
『美味しいって言ったじゃない、私の舌は一級品よ!』
信じなさいよ! とモモは伸び縮みして怒るけれど、だってモモ、ライグーの不要部分だって美味しいって食べたじゃないか……。それと、スライムに舌はない。
恐る恐る味わってみると、何の下味もつけていない、茹でただけのそれは、淡泊で柔らかな中にほんのりと香木のような上品な香りが漂う、不思議な味だった。
「すごい……高級品みたいな味だね!」
「ちょっと物足りねえけどな」
そりゃまだ味付けしてない素材だもの。それなのにあの臭みはどこへいったのかと思う風味に、感動すら覚えた。
うまく下処理できていることに気を良くし、ふんふんと鼻歌を歌いながら料理していると、タクトが簡易テーブルに顎をついて不満げに口を尖らせた。
「ライグーって時間かかるんだな……もうさ、さっきの味薄いやつにソースでもかけて食ったらいいんじゃねえ?」
普段より時間がかかるのは仕方ないじゃない……そもそもプレリィさんのレシピだからこだわりも多いし。
オレは料理に対する冒涜発言に、じろりとタクトを睨んだ。
「僕はちゃんと待ってるから、美味しいの食べたいな~」
ラキは、結局いくら勧めても下茹でしただけのライグーは食べなかった。ちゃんと美味しくなってから食べるって……素材だけでも美味しかったのに。
「ユータ、マジ優秀! お前らいつもあんな快適冒険生活してるわけ?!」
「ユータ、助かった。まさかここで風呂に入れるとは……魔力の無駄使いも捨てたものではないな」
賑やかに戻って来た二人と、その他みんなは、すっきりおふろに入って着替えたようだ。ライグー討伐に着替えは必須らしい。でないと街に入れてもらえなくなっちゃうからね。
「これ、何の匂い? とってもいい香り」
「お、お前達こんな所で料理してるのか……なんだそのすげー料理……」
ナックさん達が鼻をひくひくさせ、簡易テーブルにせっせと並べ出した料理を見て顔を引きつらせた。
「みんながお風呂入ってる間に、みんなの分作ったよ!……材料はたくさんあったし」
どうやらみんなライグー料理だとは思っていないようだ。見た目も美しい料理は、サラダ以外どれもライグーが入ってるんだけど、言わない方がきっと美味しくいただけるよね。
「こ、これが……噂の料理……!! 俺が想像してたのと違うんだけど?! めちゃくちゃ本格的なんですけど?!」
「う、うむ……これは真似できそうにないな」
そんなことはいいからいいから! アレックスさんとテンチョーさんもぐいぐい引っ張って席に座らせると、気取って料理をサーブしていった。
「う、うそ……これ君が料理したの? 高級レストランみたい……」
「こ、これおいくらかしらぁ? お姉さんあんまり裕福じゃないのよねぇ」
モンリーさん達がちょっぴり不安げにオレを見つめると、ハッとした面々が一斉にすがるような目でオレを見た。
「あ、お金は……」
「サービスで銅貨5枚でいいよ~!」
ラキの台詞に、目を輝かせた一同がいそいそと財布を引っ張り出した。
「………」
「だって、調味料とか色々使ってるでしょ~? 実際破格のお値段だよ~?」
じっと見つめると、ラキはそう言ってにっこり微笑んだ。
『うんうん、あなたたちのパーティにラキがいて安心だわ!』
モモだけは満足そうにもふんと揺れた。
「おおお……なんだこれ?! この肉! すげー美味い!」
「このスープも! ねえこれ何のお肉なの? 銅貨で食べちゃって大丈夫?!」
無言で食べるのに忙しい人、やたらと美味いと言いながら食べる人、みんなそれぞれだけど、共通するのは美味しそうだってことだ。
遠慮無くがちゃがちゃと響く食器の音が、それを物語っているようだった。
「ユーータ! これめちゃくちゃ美味いな! 苦労したかいがあるな!」
「本当に美味しい~それに、鍋底亭っぽい感じもする~!」
がつがつと貪る二人ににこっとして、オレも料理に手をつけた。下処理したお肉にたれを絡め、遠火でじっくり炙ったメインの肉料理、お野菜と共に、ほろりととろけるほど煮込まれたライグーのスープ、細かく割いてハーブと和えた添え物。勿体ないから、いっぱいライグーを使ったよ。残ったお肉はプレリィさんに持っていくんだ。
メインのライグーにナイフを入れると、皮目がパリリと良い音をさせた。スッとナイフの通る肉は、きらきらと透明の肉汁が溢れてソースと混じり合う。
「!!」
これは……! まさか、ライグーがこんな風に化けるとは……! 美味しくないはずはない、そんな見た目に違わず、香ばしい皮目と柔らかな肉質。ただ、ライグーはそれだけじゃなかった。
「これ……この香りどこかで……」
ライグーは、肉そのものに上品な香りがついていた。それはコース料理で出てくるような……そう、トリュフのソースを思わせるような独特で上品な香りで、ただの肉料理をワンランクもツーランクも上に押し上げるものだった。
「あんな臭かったライグーの臭いも、ちゃんと処理すればこんないい香りになるんだねぇ……」
しみじみと呟いてもう一口頬ばった時、ふと静かな周囲に気がついた。
「? どうしたの?」
ラキとタクトを除いた全員の視線が注がれている。きょとんと首を傾げると、アレックスさんが怖々と口を開いた。
「な、なあユータ? ……聞いていい? これとこれと……なんの肉?」
「もちろん、ライグ………」
あ、言わない方がいいんだった。途中で気付いて、えへっと笑って誤魔化したけれど、ちょっと無理があったようだ。
「う、うそだぁー食っちまった!! でも美味かったけど!!」
「いやぁー! 私の鼻と舌、ダメになっちゃってるの?! どうしてこんな美味しいのぉー!」
阿鼻叫喚の騒ぎになってしまった。
「兄ちゃんたち、いらねえなら俺がもらうけど」
「あ、モンリーさんたちいらない? じゃあ僕が……」
「「「いる! 食う(食べる)から!!!」」」
ここぞとばかりに他人の皿を引き寄せようとした二人に、ヤケクソのような大声が響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます