第331話 小さな器

――ユータ!ユータ!!

肩から温かな魔力の流れを感じて、重いまぶたを持ち上げた。

いつの間にか苔むした地面に横たわっていたらしい……どうやら意識がなかったみたい。でも、ラピスの様子からしてほんの数秒ってところかな。

「ピッ?!」

ティア……ごめんね、一生懸命サポートしてくれてたんだね。

『ゆうた、大丈夫なの?』

『苦しいの?つらい?』

心配そうに見上げるモモと、小さなお手々で一生懸命頭を撫でてくれる蘇芳。

――心配したの!どうしたの?

ラピスの潤んだ瞳に、ごめんね、と呟いて小さく笑った。


『ゆーた、大丈夫!』

俯いたオレのおでこに自分のおでこを合わせ、シロがしっかりと言った。思わず顔を上げると、綺麗な水色の瞳が、真っ直ぐにオレを見つめていた。

『……大丈夫!』

口を開こうとしたオレに、シロはゆっくりと首を振ると、にこっと笑って言った。何もかも見通すような水色の瞳に、ぐっと喉が詰まって、小さく頷いた。

嫌がったんじゃない、きっと何か理由があったんだ。シロがそう言うなら……きっと、大丈夫。


「……てめー、家に帰れ」

顔を撫でた優しいしっぽと、そっぽを向いた冷たい台詞。困惑してルーを見上げると、ふいと下がった視線がオレと絡んだ。漆黒の中に浮かぶ金色の瞳は、複雑な光を帯びてオレを射貫くと、もう一度、家に帰れ、と言った。

――ユータ、帰るの。あのね、ユータ辛い顔してるの。きっと、帰った方が良いの。

言うが早いか、ふわっと光に包まれた。オレ、どんな顔してるんだろう。本当は、ルーを抱きしめて眠りたかったけれど、寮に帰ってお布団にくるまっているのもいいかもしれない。


「……?」

てっきり学校に帰るものだと思っていたのに、光が収まったそこは、見慣れた家の中だ。

――ルーは『家に』帰れって言ったの。今ユータに必要なことなの。

今のオレに、必要なこと……。それがどういうことなのか分からないけれど、重い足は自然と動き出した。


オレは辿り着いた扉の前で少し佇むと、そっとドアノブに手を伸ばした。

軽い音をさせて開いた扉から、そろりと体を滑り込ませて後ろ手に閉めると、机に座っていた人が顔を上げた。

「おうユータ、随分………お前、どうした?!」

ガタッと立ち上がったカロルス様を見上げ、オレはぎゅうっと自分の服をつかんで唇を引き結んだ。まるで飛びかかるように抱え込まれて、固い胸板と腕が痛かった。

カロルス様だ……ここは、大丈夫な場所。震えるほどに握りしめていた拳を開くと、そうっと大きな体に腕をまわしてしがみついた。大きいな……少し早鐘をうつ鼓動に、驚かせてしまったと申し訳なく思う。

「何があった?!大丈夫だ、もう大丈夫だぞ」

体に直接響いた低い声に、心の底から安堵して力が抜けた。そうか、オレこんなに力が入っていたんだ。

「………ふ、うっ……」

途端にカッと体が熱くなって、もう一度ぎゅっと固い体を抱きしめた。

「う、うわあああぁ、うわああああぁーー!」

まるで冗談のように大きな声と、大粒の涙がぼろぼろと溢れて溢れて、もうどうにもならなかった。

「……おう、しっかり泣け。全部出てから話をしような」

無骨な手が、オレの小さな背中をそっと撫でてくれた。

こんなに大声で泣いたこと、あったろうか。オレは、まるで赤ん坊のように、力一杯声をあげて泣いた。



* * * * *


「寝たか……」

しゃくりあげながら瞳を閉じた小さな体に、胸が軋んだ。

何がこんなにこいつを悲しませたって言うんだ……。感情の抜けた顔で入って来たユータに、まずいと思った。……だが、これだけ泣ければ、ひとまず大丈夫だろう。

こいつは抱え込んじまうからな……少し大きくなって、余計にその傾向が強くなったか。こんな小さな体で抱えられることなど、ほんのわずかしかないってのに。

寝息をたてながら、ひっく、ひっくと震える体を抱え、他にしてやれることはないのかと思う。濡れて束になった長いまつげが儚くて、こいつ、このまま泣き続けたら消えてなくなるんじゃないかと思った。

「ユータ様……お労しや……」

「ユータちゃん……なんてこと……」

扉付近で静かに泣いていた二人が、ユータが寝たのを見計らってやってきた。


「どうしたっていうの……かわいそうに」

「今はゆっくりと休むことが先決ですね……大人びていますが、まだこんなにお小さい」

痛ましげな顔をしたもう二人も、眠るユータを覗き込んだ。

「そうだな……しっかり寝かせて、話せるなら聞こうか」

ユータを部屋へ運ぼうとした所で、エリーシャがぽん、と肩を叩いた。

「部屋へ寝かせて、そのまま戻ってこないでよ?」

「どういうことだ?」

うん?と首を傾げると、肩に置かれた手がぎりっと食い込んだ。痛ぇ、指埋まってる。

「こんなに大泣きするようなことがあったのよ?今、安心して寝てるの。起きるまで側にいなきゃダメよ」

なるほどな。エリーシャは名残り惜しげにユータの額にチュッとやると、早く行けと背中を押した。



* * * * *


ぐったりと重い体は、油の海に浸かったようだ。喉が痛くて、顔が、目がとても熱い。そして、まぶたがとっても腫れぼったい。

ぺろり、と温かい舌が頬を舐めて覚醒を促した。

「シロ……おはよう」

「ゆーた、もうおそようだよ」

水色の瞳は、じっとオレを見つめてにこっと笑った。


『ふう、大丈夫そうね。ただちょっと熱っぽいかしら』

『心配した』

ぽん、と額の上に乗ったモモと、ぐい!とオレの両まぶたを持ち上げた蘇芳が言った。

「ピピッ?」

――ユータ……良かったの。

紺色の瞳が涙に潤んで、ほっぺにしがみついた。ティアがオレの顎下に頭を擦りつけているのを感じる。

「ごめんね、みんな心配かけたんだね。大丈夫のつもり、だったんだけど……」

まだまだ、オレの心と体では受け止めきれなかったみたいだ。横になったまま、順番にみんなを撫でると、ぽっと心に灯が点った気がした。

『主も、まだまだ赤ちゃんだもんな……俺様、しっかりするよ』

『あのね、あえは、まもったえる』

うーんと、守ってあげるって言ってるのかな?アゲハは頼もしいね。さすがにオレ、赤ちゃんじゃないよ?!それにチュー助よりはしっかりしてると思うんだけど?でも、チュー助も最近お兄さんらしくなってきたもんね。

「……カロルス様」

小さく呟いて、オレを抱え込んだ固い腕をきゅっと抱きしめた。深い寝息に上下する胸に、そっと顔を寄せると、ゆったりとした鼓動がオレを揺らした。

もやがかかったみたいだった頭が、随分とスッキリしている。その代わり、全身が気怠いけれど。


「ん……起きたか」

わしわし!と頭を撫でて、オレごと起き上がったカロルス様が、ぬいぐるみのようにオレを持ち上げて、あっちこっちと方向を変えて眺めた。

「……?カロルス様?どうしたの?」

「おう、大丈夫そうだな」

ニッと笑った顔に、再びぐっと喉が詰まりそうになって、大きく深呼吸した。

「うん、ごめんなさい、ビックリさせちゃって……」

「なんでお前が謝る……偉かったぞ、ちゃんと頼れたな」

ううう……なんでそんなこと言うの!せっかく引っ込んでいた涙が、再びほろりと頬を滑った。悔しくて、ばしっと固い腕を叩くと、カロルス様は元気になったな、と大きな口を開けて笑った。

「元気じゃないよ!」

釣られて笑いそうになる頬を押さえて、オレは精一杯のふくれっ面を作ってそっぽを向いた。






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