第330話 雨の日

ふんふ~ん。

ご機嫌に鼻歌を歌いながら、とん、とんとフライパンをあおった。ふつふつと揺らいだ液体がみるみる形を成していくのが面白い。オレの動きに合わせて、くるりくるりと手前までやってきた卵焼きに笑みがこぼれた。よしよし、焦げなし、破れなし、とてもきれいな柔肌だ。

おだしの入っただし巻きは、とっても柔らかくて崩さず巻くのが難しい。でもね、やわやわ出来たてのそれ、箸で掴めばじゅわっとだしがしみ出るような……それはもう芸術だ。シンプルな料理なのに、これほど繊細で美味しいものはないと思う。

普通のフライパンだと重いけれど、このラキ特製の卵焼きフライパンは、オレ専用に共同開発してあるからとっても使いやすい。やたらと凝った装飾は気になるけれど、それ以外は文句なしだ。


くるり、くるり、じゅわー。段々大きくなっていくふんわり黄色い卵焼き。うん、上出来かな。

「……器用だよなー」

訓練は終わったのか、タクトがさっきから頬杖をついてオレの手元を眺めている。

「タクトもやってみたい?」

くすっと笑ったオレに、タクトが慌てて首を振った。残念、やってみたら楽しいかも知れないのに。そんなに興味があるなら、今度お菓子作る時にでも誘ってみようかな。

再びぼんやりと手元を見つめる視線に、なんだかオレ、お母さんみたいだと思って密かに笑った。

どこか懐かしい香りに包まれながら、卵焼きをするりとお皿へ滑らせると、端っこを少し切り落とした。

「はい、あーん」

「え……」

よだれを垂らさんばかりに凝視していたタクトが、驚きの表情をするやいなや、差し出した切れ端に勢いよく食いついた。

「うまー!もっと!」

お母さんじゃなくて、飼い主だったかもしれない。きらきらした瞳のタクトには、高速で振られる尻尾が見える気がした。

「ダメだよ、お昼ご飯なくなっちゃうからね」

今日は秘密基地でランチを食べたいと言うので、オレはせっせとランチ定食作りをしている。恨めしげに卵焼きを見つめるタクトを横目に、お味噌汁とご飯の具合を見つつ、つけ込んだポルクのお肉を取り出した。今日は生姜焼き(?)定食なんだ。つけ込んでいるのはオレとジフ渾身の特製だれ。生姜はないけど似た植物はあるので、それと共にお醤油やお酒、だしを使った改心の出来だ。


じゅわあっ

「うおおお~~!!」

熱したフライパンにお肉を乗せると、小気味よい音と共に、香ばしい香りがこれでもかと広がった。腹ぺこのタクトがもう机をかじりそうになっている。この香りは罪だよねぇ……生姜の香りをアクセントに、お肉の食欲をそそる香り、そして濃縮されていくたれの香ばしさ。たれに絡んだお肉が艶を増していくのを眺めていると、たらりとよだれが垂れそうになってあわててお口を拭った。

少し厚めにしたお肉を焼く片手間に、キャベツもどきを千切りにしてお皿に盛っておく。

「なあ、これは食っていいだろ……」

「い、いいけど……」

耐えきれなくなったらしく、残った生キャベツの葉っぱをパリパリやりだした姿がなんとも切ない。もうちょっと待ってね……。


「ただいま~!うわあ!いい匂い~!」

「「おかえり~」」

お、ラキいいタイミングだね。ちょうど仕上げてお皿に盛り付けていると、タクトがお味噌汁とごはんをよそってくれた。

オレたちの分はテーブルに、座卓よりもさらに低いテーブルにみんなの分を配ったら、さあ、いただきますだ!

ほかほかと湯気をあげるごはんに、たっぷりたれを絡ませた生姜焼きを乗せ、大きなおくちでばくり!白いごはんに肉汁と濃いめのたれが絡んで、ごはんとポルクの甘みを一際感じる。うーん、これはもう一杯ごはんのおかわりが必要かも!

「うんめえぇー!!この肉美味い!オレ毎日ユータの飯食いたい」

「美味しい~!この卵好きだな~!」

ガツガツとかっ込んだタクトは、既にごはん2杯目に突入していた。ラキはこういうの好きだもんね~!卵焼きもちゃんと収納に入れておいたから、熱々の出来たてだ。お箸をいれるとふるっとするほど柔らかで、とろりとほどけるように繊細な舌触り……しみじみと美味しい。


「これからは、雨が降ったらユータの飯だな!」

「雨じゃなくても食べたいなあ~」

お腹いっぱい食べたら、シロを枕にふかふか絨毯に寝転がって幸福の余韻を噛みしめていた。雨の中依頼を受けるのは上級者向けだし、何より楽しくないもんね。3人で依頼を受けたかったとガッカリしていたタクトも、すっかりご機嫌が直ったようだ。

「おーし、腹が落ち着いたら作戦会議しようぜ!」

「何の作戦~?」

「えーー……まあ、今後のこととか?」

二人の会話を聞きながら、段々と重くなっていくまぶたを感じる。寝ちゃっても、いいかな?

お腹が空いてごはんを食べて、眠いときに眠る。こんな幸せなことってあるだろうか。徐々に遠くなっていく会話をBGMに、こうして3人でゆったりと過ごせる雨の日も、悪くないなと思った。



「……よし、準備は万端かな」

いっぱいになった魔力保管庫を抱え、オレはきりりと顔を引き締めた。

魔力は満タン、体調も万全、ごはんも食べた。

尾形さん待っててね、オレ頑張るからね。


毎回毎回、みんなたっぷり魔力を消費してくれるので、魔力回復薬なんかも必要かも知れない。

『あの子はどんな姿で来るのかしらね~』

『きっと、こだわりが強い』

自分のことをすっかり棚に上げた蘇芳の言い分に、思わずくすっと笑った。確かに、尾形さんもこだわりは強そうだ。相当魔力を使うことを覚悟した方がいいね。

『楽しみだねえ!』

弾むようなシロの声に、オレもわくわくと期待が高まってきた。

――じゃあ、ルーのとこに行くの!


「……また変なものを喚ぶのか」

「変なものなんて喚んだことないよ?!」

ルーの言葉はいつも通り冷たいけれど、その視線はどこか気遣わしげだ。召喚の儀式は必ずここで、そう決めて魔方陣も刻んである。ルーも、この時ばかりは来るなと言わないんだ。

魔方陣に損傷がないか丁寧になぞってから、魔力保管庫を抱えて座し、居住まいを正す。ふう、と息をついて顔を上げると、きらきらと揺らめく湖面を見つめた。

「……うん、大丈夫。いくよ!」

――ユータ、がんばるの!

「ピピッ!」

ラピスとティアが、両側からオレを支えるように寄り添った。

『危なかったら途中でやめるのよ?また今度にすればいいから』

『スオー、応援する』

『ここで支えてるからね』

腕の上でぽんぽんと跳ねたモモが、心配そうにオレを見つめた。蘇芳は膝の上で一緒に保管庫を抱え、シロは背中を支えるように寄り添ってくれる。

全身で感じる温かさに、胸が震えた。早く、喚んであげたいよ。君は寂しがりではないけれど、一緒にいるのは好きだったでしょう?


「………召喚!」


キッと気合いを込めて魔方陣を見つめると、全身の魔力を高めて召喚魔法を発動した。

どうっと魔力を根こそぎ奪われるような激しい衝撃に、ぐっと歯を食いしばって耐える。もう何度も召喚しているもの、オレだって成長している。慣れたものだとは言えないけれど、まだ、大丈夫!

「尾形さん、また、一緒に……!」

体ごと引っ張られそうな勢いで魔力が抜かれ、保管庫の魔力もどんどんと消費していく。ティアが必死に支え、召喚魔法を維持しつつ、可能な限り周囲の魔素を取り込んで……それでもまだ、消費が止まらない。

「うっ……多い……!!」

「ユータ!やめろ、それ以上は危険だ」

ルーの声が微かに聞こえた気がした。みんなも何か……まずい、オレ、朦朧としている。

パシュン!

唐突に消費が止まり、渦巻いた魔力が魔方陣に吸い込まれると、湖は何事もなかったように凪いで、森は静かな姿を取り戻した。

ただ、魔方陣の上には誰も、何も、いなかった。


断ら、れた………?


呆然と宙を見つめた視界が、ぐらりと傾いたのを感じた。



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