第222話 金色の瞳

「あんたは…?助かった、ありがとう…」

いつの間にか目の前まで来ていたカロルス様…さすがだけど、あのままだったらカロルス様まで巻き込んでいたんじゃないかとゾッとした。

男はぽいっとオレを投げ渡すと、女の方へ一歩踏み出した。

金の瞳、黒い髪。ぎゅっと引き締まった均整のとれた身体。その姿は、こんな時でなお、雄々しく美しいと思った。

「……どうして」

女の表情が驚愕に染まって後ずさる。

「なんだてめえは!」

必殺の一撃をかわされ、背後の男が憤った。一体なぜ生きているのか…首から下の衣服は真っ赤に染まっているのに、やはり傷はない。事切れていたはずなのにいつ、どうやって回復をしたのか…。

男は、白い頬にべったりと淡い金髪を貼り付かせ、幽鬼のような形相でこちらを睨む。

「邪魔するな!!」

ひるがえった鞭に、カロルス様がオレを抱えて身構えた。

じっと女を見ていた黒髪の男は、ちらっと憤る男を見て、煙るような金の瞳を細めた。何の気負いもなくスッと手を振ると、数多の鞭が一斉に反転し壁面に貼り付く。突然力の向きを変えられて、男がたたらを踏んだ。

「大人しくすれば手は出さん。…借りを返しただけだ」

壁に貼り付いた鞭は、よく見れば小さなクナイのようなものが刺さっている…明らかな実力差に、男が顔色を変えて後ずさった。


「あっ!?」

黒髪の男の視線が外れた瞬間、前にいた女が身を翻した。

「待てっ…!」

咄嗟に追いすがろうとしたカロルス様たちが逡巡する。オレを連れて行けない、戦力を分断すれば勝てない。追いかけたとて勝てねば意味はない。

「…っくそ」

小さな呟きと共に、振り返ると血濡れの男の姿も消えていた。男は文字通り消え、レーダーにも写らない…が、女の方はどんどん上に向かっている…。

「ラピス!みんなの所へ!戦わなくていいから、逃げて!守って!!」

「きゅっ!」

既に味方は全員地下組織の外で待機している。避難さえできれば、敗走する女がわざわざ手出ししていくこともないだろう。


「…追わなくていいのか?」

ラピス部隊が援護に向かったのを確認して、カロルス様が、うかがように男へ尋ねた。

「そこまでてめーらの味方をするつもりはない。」

フン、と顎を上げた男は、どこか悲しそうに思えて、オレは思わず駆け寄った。

「ルー!ありがとう…!!」

ちっとももふもふしない、固い身体をぎゅうっと抱きしめる。何を聞いても、きっと答えてくれない気がして、少し悔しかった。

ルーは、力一杯抱きしめると、ピクリと身体を揺らした。

「………なぜ分かる」

「なぜって……その格好のこと?ルーって人の格好になれたんだ…ビックリしたよ」

ルーは少し呆れた顔をした後、がしっとオレの顔をつかんだ。

「これで借りは返したぞ。もう助けねー!次も俺が助けに来るとは思わないことだ」

借りって…浄化のことかな?そっか、そのことをずっと覚えててくれたんだ。オレはルーの大きな手をのけると、にっこりと見上げた。

「うん!来てくれてありがとう!」


「その方は…ユータ様のお知り合いですか?ご尽力感謝致します。」

執事さんがすっと進み出ると、さりげなくオレを自分の後ろへ誘導した。執事さん、これルーだよ?オレが口を開こうとしたら、金の瞳が「黙ってろ!」と睨み付けた。

「それで…大変不躾で申し訳ありませんが、ご関係を窺っても?」

「別に…何も関係ねー。ただ借りを返しただけだ。」

プイとそっぽを向いたルー。どこからどう見ても人間だけど、同時にどこからどう見てもルーだって気がする。

「その髪…もしや、お国の繋がりで?」

そう言えばこの辺りでは珍しい黒髪。お揃いだ…オレは嬉しくなった。

「うん!えーと…親戚の、お兄ちゃんにする!」

「なっ……て、てめー?!」

「お前…それは違うって言ってんのと同じだろうが…」

「……左様ですか。まあ、ユータ様が心を寄せていらっしゃるならいいでしょう…」

半ば諦めたように執事さんも首を振った。

「私たちが詮索できる人じゃないわ。味方をしてくれただけ、感謝しないとね!本当にありがとう!」

「その通りです。ユータ様をお守り下さって、心より感謝申し上げます」

ルーは注目を浴びて気まずそうだ。

「……俺は好きで関わったわけじゃね-。てめー、俺を送れ。」

「送れって…転移は?転移で来たんでしょう?」

「お前を辿って来ただけだ。転移はできん。」

そうなんだ…ルーなら走って帰れるだろうけど…今獣型に戻ったらバレバレだしねぇ…でも、カロルス様たち、薄々気付いてると思うけどな。


一緒に帰ろうって言ったけど、頑として拒否するので、カロルス様たちに断って一旦ルーを森の湖まで送った。

「ねえ、どうして人の姿だったの?」

湖につくなり、金の光をまとって漆黒の獣に戻ったルー。

「あんな狭い場所にこの姿で行けるか」

ああ…確かに。現われた瞬間いろいろ踏みつぶしてそうだ。さっそく寝る態勢に入ったルーに、どさりともたれ込んで、柔らかな毛並みに顔を埋める。

「ねえ、いろいろと…知りたいよ。教えてはくれないの?」

「……俺はてめーを見張ってるだけだ。味方じゃねえ…忘れるな。次はてめーが死んでも助けねえ」

「……分かった。オレ、もっと頼れる男になるよ。ルーがオレを頼れるぐらいになったら、いろいろと教えてね?」

「……てめー…俺の話を聞いてるか?」

その悲しみに、いつか寄り添えますように。どこか憮然とした獣にぎゅうっと抱きついて、そう願った。



あれから、どのぐらいたったのか。どうして、どうして俺はあの時飛び出していかなかったのか…俺はこれからもこうしてヤツラの片棒を担ぎ続けるのか。

ユータが連れて行かれてから、ミックは悶々と考え続けた。どうして自分はこんなに力がないんだろう、ヤツらの悪事を知っていても、訴えることさえできない。もし、もし妹とここを出られたら、文字を習おう。せめて自分にできることを探そう。薄暗い馬車の荷台で、ミックは先のことを考える自分が少し可笑しくなった。

その時、突如激しい馬の嘶きと共に、馬車が大きく揺れた。ミックはたまらずゴロゴロと転がって壁に頭を打ち付ける。何…?!こんなボロ馬車に、野盗?!

「なんだこれは?!」

「どうなってやがる?!」

荒くれたちの怒号が響く。一体、なにが…!?

襲われてる…死にたくない…ここを出て、文字を習って…それで、新しく…生きていきたい。うずくまって震えるミックは、自分の考えにふと、違和感を覚えた。そうか、俺…生きたいんだな…。

割とどうでもいいと思っていた、自分の命。ただ、妹が心残りでだらだらと生を繋いでいただけ。

でも…

飯が、美味かった。あんなに美味しいもの、初めて食べた。

人と、話せた。自分のことを話して、分かってもらった。人は話している時、あんなに長く顔を見るものなんだって思い出した。

あんな小さいのに、俺を助けるなんて言った。どうしても胸の内に生まれてしまった希望は、叶えられなければただの苦しみになるかもしれない。でも、生きたいって思いは決して不快なものじゃなかった。

「……」

ミックの震えは止まっていた。胸の内にある希望を抱きしめて、顔を上げる。もし、この馬車が襲われているなら、それこそ脱出の好機。ここにいても妹は助けられない、脱出さえできれば助けを求められるかも知れない。この扉が開いた瞬間に、一か八か、飛び出してやる…!

ミックは、生きたいからこそ、その命を燃やす決意をした。


ざわざわと大勢の人の気配がする。ミックは扉の側で耳をそばだて、息を潜めた。

ガチャ、ガチャリ…

思いの外ガバッと開かれた扉に、真昼の日差しが差し込み、ミックは思わず目を細めた。

「…遅くなってごめんね、ちゃんと、助けに来たよ?」

眩しい日差しを背負って扉を開けたのは、小さな小さな人影。限界まで張り詰めていた緊張がぷつりと切れて、ミックはへなへなと座り込んだ。……まさか。

抗えない希望を押しつけて出て行ったあいつは、にっこり笑って手を差し出した。

「さあ、行こう?」

思わず伸ばした俺の手は、日の光に晒されて随分と貧弱で…それでも、その光は温かかった。


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