氷上の革命
ゼラニウム
Scene.58
ゼラニウム
疾風は屋根を渡り、螺旋を描いて雪を舞い上げる。そして、舞い上がった雪が、私の頬を掠めてゆく。
逃げ惑う人々に銃口を向けて、彼らは引き金を絞った。
突然現れた武装集団が、白昼の街中で銃を乱射する。その惨劇の中心、オレンジ色のコートを纏う少女の傍らで黒衣の女が冷たい笑みを浮かべて――嬉しそうに――、その光景を眺めている。
蒼く、空は、晴れている。突き抜けるように、蒼く。
あの日もこんな色の空だった。
私は、その惨劇を眺めていた。よく晴れた昼下がりのエイプリル・ラン。
私は、両親が死んだ場所に立って、確かな憎悪を抱いて、確かな殺意を持って、銃爪を引いた。銃声も、悲鳴も、遠くに聞こえるサイレンも全て、分厚いガラスを通して見ているようで、何もかも、呆気なく、砕け散った。
この世界には、どうしようもない絶望があちこちに転がっている。
極彩色のネオンが輝き、欲望の中で踊り狂う華やかな大都市さえ、聳え立つ摩天楼の根元には恐るべき貧困が存在している。私は本当の地獄というものを未だ垣間見たことは無い。けれど、このちぐはぐな世界の根元、美しき絶望に覆い尽くされた一部分は、一般に語られる“地獄”より、ずっと、それらしい場所だろう。
私は、その中で足掻いていた。足掻いて、藻掻いて、漸く、這い出た。
光り輝く地上に。
現在の私がいる幸福の世界と、少し前の私がいた絶望の世界は、薄い膜のようなもので仕切られているのだと謂う。それは、ほんの少し手を伸ばしただけで触れて、ちょっと引っ掻いただけで破れて仕舞う。何かを失うことが恐怖なのか、それとも何も持てないことが恐怖なのか、或いは両方なのか……。
人は倒れてゆく。殺されてゆく。私の放った鉛弾で。私たちの放った鉛弾で。
銃撃戦と呼ぶには、あまりにも一方的な“虐殺”の最中、母親らしき亡骸の傍らで、虚空を眺めて無言で涙を流す少女を見つけた。私を睨みつけるかのような彼女の琥珀色の両目は、確かな怒りを秘めていた。
昔の自分を見ているようだった。だから、私は彼女を撃った。
彼女の未来は、悲劇しかないと知っているから。
絶望とは、果てしなく、白い。
その絶望を今、私たちが創り出している。
雪を溶かしながら、滲み出た二筋の赤い血が重なり合う。
「私たちは新しい世界を創っている」
マガジンに弾を込めながら、それまで押し黙っていたヴェロニカが口を開く。
「この先、どんなに時代が過ぎ去っても、私たちが行なったこの崇高な場面は繰り返し演ぜられることであろう」
銃のスライドを引く。彼女は硝煙と雪が飾る惨劇の中心に立つ。
「人間は泣きながらこの世に生まれてくるという。クソッタレばかりの世界に生まれたことを悲しんで」
いつの間にか、雪が降っている。ふわりと舞うそのひとかけらを、彼女は左手の掌で受け止めた。
「このクソッタレな世界の重荷を誰かが背負わなければならないとしたら、私がこの両手でその総てを受け止めよう。そして、私は、この雪を血の色で染め、この街を紅一色にするまで歩みを止めない」
青かった空は灰色の雲に覆われている。
「だから、もう怕がることない。地下の暗がりを、終わらない冬の寒さを」
銃口を空に向けて、一度だけ、銃爪を引いた。
「さあ、世界を変えよう」
狂ったパレードが始まる――
氷の都トロイカ。
極地を走る氷河は融解することなく、少しずつ動いている。そして、いつかは海へと崩れ落ちて、融けてゆく。この街の氷も、少しずつ動いている。
そして、いつか――
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