毒蛇の尾
Scene.57
毒蛇の尾
流氷を湛える海の縁へと太陽が沈んでゆく。
夕闇がすべてをオレンジ色に染める中、工業地帯の一角に軍警の特殊車両が集まっていた。黒い車体が倉庫を取り囲む。雪の降らない日だった。続々と車から降りた軍警の部隊は、手に手に物騒なモノを携えていた。赤煉瓦の街に、靴音が慌ただしく響いている。
一声、カモメが鳴いた。
この静寂の中で鼓動する騒然とした緊張感は、夜の海の潮騒に似ている。静寂の中で、ただひとつの音だけが響いていた。
一台の黒いクラシックカーから、女が降り立った。黒いピンヒールが氷を砕く。静まり返る冬空の下で、シルヴィアが目の前の錆びついた巨大な倉庫を見上げた。
短くなった煙草を投げ捨てて、彼女は白い息を吐いた。
「これより大掃除を開始する。LSDの製造及び貯蔵を行っている場所だ。薬は持ち帰って使ってもいいけど、任務中は天国を見に行くのは我慢してくれ」
彼女の隣で、ショットガンに弾を込めながら男は聞いた。
「薬中共が辛抱なんてできますかね?」
「もしキメちゃったら私が本当の天国に送ってやる」
隻腕の女狐がベルトクリップを使って、器用に銃のスライドを引く。
「それじゃあ、始めようか。一応言っとくけど、制圧だからね。なるべく生け捕りにして」
そして、口角を釣り上げた。
「まあ、殺してもいいけどさ」
夕焼けの空を背景に、黒い部隊が展開する。それぞれがアサルトライフルの銃爪に指をかけた。甲高い悲鳴を上げながら、海風は倉庫街の隙間を通り抜けてゆく。
ガラスの割れる音がした。次に炸裂音、そして銃声。この街のオーケストラの、定番の、ハーモニー。しかし、この美しく暴力的なリズムはすぐに止む。
静寂の中で、オレンジ色に染まった錆色の倉庫が不気味に鎮座していた。
シルヴィアの持っていた無線がバチバチと不快な音を発した。
「もぬけの空です。誰もいません」
「なるほど」
僅かに、シルヴィアの眉が動いた。隣の男に問いかける。
「機は熟したか。尻尾を巻いて逃げ出したか。君はどっちだと思う?」
「逃げたんじゃないですかね……」
「そういう楽観主義的な人生観は、時として破滅を導くよ。龍って生き物は案外お利口さんだからね」
彼女は銃を仕舞うと紙煙草に火を点ける。
「でも、まあ、仕方ない。早いとこ撤収しよう。十字軍になるのはゴメンだからね」
そのとき、慌てた様子で一人の男がシルヴィアの側に駆け寄る。
「少佐! 本部から、エイプリル・ランで乱射事件が発生。現場に急行せよ、と!」
無表情で、氷のように、彼女は紫煙を吐いた。
「ほらね、龍はお利口さんなんだよ」
氷の都トロイカ。
この日は、氷と氷の隙間で、世界の変わる音がしていた。
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