雪上の狐は静かに笑う
Scene.39
雪上の狐は静かに笑う
そこは人通りの絶えないファッション街。トロイカ中央区エイプリル・ラン。灰色のコートの女は白く紫煙を吐いて、流れる群集を眺めていた。白い空を映すガラスに背を預ける。折角の日曜日。最近は忙しくて、服のひとつも見に行けやしない。春か、新作の季節だというのに……。それに、そろそろ、ああいう服も着てみ たいな。
目線の先、彼女はショーウィンドウをゴシカルに飾る黒いウエディング・ドレスを見つめながら、はにかんだ。人混みの向こうで、それは輝いている。夢みたいな距離で。
――似合わないかもしれないけどさ、そろそろ良いと思うんだよね、なんて。
まあ、でも、こんな躯じゃ、ね……、と左手を見つめる。
そんな彼女の隣に、白いスーツの男が並ぶ。ウィングチップのワインレッドのドレスシューズが彼女の瞳に映る。紫煙を吐いた。眼球だけを動かして、彼女は相手を確認した。
チャコールのフィルターを噛む。
「どうも。シルヴィア・ネス少佐」
「やあ、セシル君。マフィアのボスとやらは、随分と忙しいみたいだね」
「待たせて悪かったな。ご用件は?」
「知っているなら教えてほしい。一昨日のことなんだけどさ。うちの警官が殺されてね。キッチンストリートで、強盗に撃たれちゃったんだよね。何か知らない?」
「強盗なんて初耳だな」
「知らないか。そう……。それなら帰っていいよ」
「それだけ?」
「ごめんネ。警官の一人や二人。どうってことないでしょ? まあ、少しは犯人逮捕できたらいいなってくらい」
「相変わらず冷めてるんだな。こんなのがこの街を牛耳る軍警の精鋭だとは嘆かわしい……。俺よりもウサギに聞けばいいだろう?」
「大迷惑なことに、これでも気に入られてるんだよ。たとえば、この街の半分を牛耳るマフィアのボスとかにさ」
シルヴィアは、厭味っぽく微笑んだ。
「私はそのウサギから聞かれたんだよね」
「珍しいな」
「まあ、どうでもいいんだけど。もし、変な返答してキレちゃったら厄介だからさ。ちょっとだけでいいから捜査してるようにしときたいじゃん?」
「なるほどね。残念だけど、俺の耳には何も入ってない。まあ、何か分かったら教えるよ」
「ではでは、これで協力体制が成立ってことで」
吸い殻を落として、踏みつける。〝禁煙〟と書かれた立て看板を裏返した。
やれやれ、この街は住みにくくなるばっかりだ。そう呟いて、シルヴィアはセシルを見る。
彼女の溜め息を、鷲鼻が鼻で笑う。
「あ、そうだ。地下からタレコミ。ワイバーンが動いてるらしいよ。頑張ってね、坊や」
「また傍観決め込むつもりか。いつも自分は手を汚さないで俺らに殺らせて、何食わぬ顔で後始末だけしやがる」
蒼く冷徹な眼がシルヴィアを睨む。その視線を受けてなお、女狐は目を細め口角を吊り上げた。
「君らはマフィアだってこと忘れてないよね? 後始末してあげてるんだからさ、悪党は悪党らしく振る舞ってほしいものだね」
氷の都トロイカ。
ブラック・エイプリルから約二年。この街は変わろうとしているのかもしれない。永久凍土の中で、少しずつ氷が動く様に。冷たい季節の中で。ゆっくり、と……。
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