硝子の眼球
Scene.40
硝子の眼球
硝子の棺に納められた白雪姫は、どんなに美しかったことだろうか。
そよ風が吹き抜け、光に溢れる静かな森の中で、木漏れ日に抱かれ、朽ちることなく生き生きと眠り続ける、硝子の中の若く美しき姫君。魔法の鏡に世界一美しい死体は何だ、と問いかけたら、きっと白雪姫だと答えることだろう。
血の気のない、陶器のような純白の肌に彼女はルージュの刻印を施す。
薄暗い地下室で、ランタンの炎に照らされる少女の死体は豪華に飾られていた。まさにマリー・アントワネットの舞踏会に見る様な、煌びやかで華やかなドレスを纏った死体は、精巧な蝋人形のようにも思える。
――僕の心は今まで“人間”を愛したことがあっただろうか。
瞳よ。神に誓って否定しろ。
僕はこれまで本当の美を垣間見たことがなかったのだから。――
初めて“それ”を見た時、その魅力に取り憑かれた。
芸術だった。仄かに暗く湿っぽい地下室で、その綺麗な芸術は、たくさんの屍に囲まれて眠り続ける。その様は、骸骨の回廊の中に鎮座する冥府の姫君。
死少女ロザリア・ロンヴァルド。
シチリア島パレルモのカプチン地下納骨堂で今も眠り続けるそれは、悲運の将軍と一人の天才的な医師が作り出した芸術作品だった。まさに眠っているかの様な。生前のままの姿の、死蝋化した少女のミイラ。地下の集合墓地なんて、新婚旅行には少々不似合いな場所だったけれど、思い返せば良い思い出だ。
彼女の空想はそこにルーツがあるのかもしれない。
死体……、否、死には人を寄せ付ける魅力がある。決して離れられぬ運命だからこそ、それはこの上なく美しいのだろう。すぐ隣に存在するが、決して近くはないもの。冷たくて、気持ちの良いもの。血の通っていない、ただの肉塊。或いは、空っぽの入れ物。
確か、二十五グラム。それが魂の重さ。
無機的な箱の中で輝く、白雪の様な少女の死体を眺めて、彼女は微笑む。
ガラスの棺の中の白雪姫を見つけた王子は、否、私なら、こう思ったはずだ。
――何と美しい姫君であろうか。できることなら、このままの姿で永遠に残したい。
背後でドアが開く。
「あの、ヘルガさん?」
「どうしたの? クロエ」
その紅い眼球を揺らして部屋の中を見た少女の、薄紅色の唇が幽かに動いた。その声色は彼女の戸惑いを色濃く映す。
「何……、してるんですか?」
「ちょっとした趣味よ。気にしないで」
「……は、はい」
「喋ったら……。解るわよね?」
ふと、彼女は思った。
黒髪の天使というのも、悪くないわね。あの天使を手に入れるためなら、悪い魔法使いを演じてもいいかしら。
氷の都トロイカ。
年間を通して雪に閉ざされたこの街では、文化が独自に変化することがある。それは芸術にも影響する。こだわりを持つ芸術家が作品に没頭できる環境があるというのは、案外、悲劇なのかもしれない。
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