Morphine trip trip trip

Scene.15

 Morphine trip trip trip


「ねえ、私の頭さ。オカシイんだって。先生が言ってたの」

 赤い血が白い肌を這う。

 撃たれた太腿を引きながら、ゆっくりと女は立ち上がった。光を呑むような、黒い髪を揺らして。糸の切れた操り人形みたく、狂って。こくり、こくり、と揺れながら。

 影の存在しないトワイライトゾーン。

 薄明の街。真っ白い空から、真っ白な雪が、白に霞む街へと墜ちてゆく。そうして、地に辿り着いた雪が、折り重なってゆく。そんな世界は、堪らなく美しい。何もかも非日常的で狂って仕舞いそうなくらい、幻想的だ。

 パタパタ、と女の足から赤い血が零れた。ゆっくり、と。ゆっくり、と彼女は足を踏み出す。彼女から点々と続く血痕を辿った先には、斬殺された死体が散らばっていた。赤い肉と白い骨の断面がマーブル模様を描く手首や、下半身と生き別れて臓物を投げ出した首無しの胴体、縦に肉のファスナーを開けられて中身の飛び出した着ぐるみ……。

 真っ赤に、凍りついて。

 愛おしい程に。

 彼女は刀の切っ先を、血走った真っ赤な瞳を、目の前の若い金髪の男に向ける。狂って仕舞いそうなくらい冷たい殺意を持って。艶やかに。

 咄嗟に男は女の右肩を撃った。

 白い朝に散った紅。

 赤い血が、白い雪によく映える。白の中に染み出した深紅は、溶け合うことなく、そのまま凍り付いた。それでも彼女は倒れずに、白鞘の日本刀を左手に持ち替えた。コートの袖から半分だけ覗く、彼女の左腕に刻まれた翼竜は蝙蝠めいた翼を大きく広げている。その有翼竜の眼のように赤く、血に濡れた刃が瞬く。陽炎の様な、得体の知れない彼女の狂気に、男はたじろいだ。引き金にかけた指に迷いが生まれる。人が初めて、それを目の前にしたとき、誰しもが抱く疑念なのだ。

 果たして、この弾丸なんかで奴を殺せるのか――

「う、動くんじゃねェ!」

「どうして」

「……は?」

「早く撃ちなよ。ほら、バーンってさ」

 女は淫笑った。自分の頭を指さしながら。

「ここを、よーく狙って、さ?」

 不死身と呼ぶ人間もいる。

 案外、その得体の知れない恐怖への従順な信仰心は間違っていない。しかし、妄信は時に殉教という悲劇をもたらすのだ。人は、決して神や天使に対抗できないほど、無力ではない。それを知ってもなお、信仰を続けるのであればその人間は幸せ者だろう。神のために死ねるのだから。自分が信じた存在に殺されるのは本懐というものだ。

 ロザリオに桀けられた罪人の様に。

 或いは、死刑の執行人みたく。逆手に握った日本刀を振り上げた。銀色の切っ先は、男の胸元を捉えている。黒髪の少女は、幽かに笑って、哀れな罪人の胸に刃を突き立てた。刃先が皮膚を破る感触や、肉を引き裂く感触、切っ先が骨に当たる感触を楽しむように、ゆっくり、ゆっくりと刀の柄尻を押した。

 勢いよく、引き抜く。

 白に舞って、血飛沫。

「アハハ、痛いよ……。こんなに血もたくさん。お薬が必要ね」

 その女は赤いコートの内側から、注射器を取り出すと、自らの太腿に突き刺した。微かな悲鳴が、彼女の口から漏れる。

 それも、すぐに溶けるような喘ぎに変わった。

 朝陽に融ける、魔法みたく。


 氷の都トロイカ。

 年間を通して氷に封鎖されたこの地には、死なない人間が存在すると謂う。時にそれは、怪談めいた噂として語られるのだった。

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