第29話 オンリーの関係

「たすけて……!」

 俺は、俺のことが大嫌いなはずの、俺の大嫌いな女の子から呼び出しを受けて人気のない空き教室に入った途端、そんなことを、当の彼女から涙目で懇願された。

 はいはいまたウソ告ですかー、なんて、叩こうとしていた軽口がさっと引っ込んでいく。

「どうして、俺なんだよ」

「あんたにしかこんなこと頼めないの! わかれよ、ばか!」

 彼女が、顔も見たくないであろうこも俺にそこまで言うということは、つまり。

「じゃあ、また、相田関係のことなのか?」

「……うん。きょうの放課後、話があるって言われちゃった」

「まじかよ……」

 俺は、どんよりと肩が重くなっていくのを感じ取りながら、浮かんでくる無数の疑問に、押しつぶされそうになる。

「でも、今更だが、どうして相田じゃだめなんだ? 逆に、そこまであんな上玉に好かれてるんなら、お前だって嬉しいだろ」

「そんなわけないじゃん! 付き合うとか、ゼッタイありえないから!」

「なんでだよ? なぜそこまで相田を嫌う?」

「べつに、きらいなんじゃないし。ただ、無理なだけ」

「それはお前がフッても付き合っても、男鹿の機嫌を損ねるからか?」

 これは割と有名な噂らしいし、クラスを観察する内に俺も気付いたことだが、男鹿アイカは、相田健人に、惚れている。辺見が相田に好意を向けられたくない最大の理由は、恐らくそこにあるのだろう。

「そうに決まってんじゃん。さすがにそれくらいは、あんたでもわかんだね。そしたら、うちはもうあのクラスじゃやってけないもん……」

「たしかにうちのクラスのボス的な存在である男鹿に嫌われれば、そうなる可能性はないとも言えないが……」

「ないともいえないとかじゃないの! そうなるの! なんでわかんないかな……」

「けどさ、仮にそうなったとしても、相田は男子側の頂点だ。そいつと付き合っているという後ろ盾があれば、それくらいのマイナス、なんとかなるんじゃないか?」

「クラス中の女子を敵に回しても? どうして? どうしてクラスに誰にも友達がいなくなるってマイナスが、たった一人の人気者と付き合えるってだけで打ち消せるの? ねえ、あんたのいうこと、ゼンゼンわかんない。うちにとってはそんなこと、なんにもうれしくもないのに」

 誰かにとっては幸福と思えるものも、ほかの誰かにとっては不幸でああったりする。人間というのは、常に手に入らないものを幸せだと感じるように出来ている。俺達は、どこまでいってもそういう哀れないきものなのだろうか。

「相田の周りの男子は味方になってくれるんじゃないか?」

「自分が付き合える可能性のないメスに、男は興味なんて持たない。そもそも、うちはヘテロの友達なんて欲しくないしね」

「じゃあ、今の俺はなんなんだよ……」

 てか、こいつ今なんかさらっとすごいこと言ってなかった?

「あんたは友達でもなんでもないでしょ? あんたはただ、サーヤに自分を売り込むためにうちを利用しているだけ。利害が一致してるってだけだから。なんかまた勘違いしてるんなら殺すぞ? くそハイシャ」

「てめえに勘違いなんか二度とするわけねえだろが。思い上がんな無個性ブス」

 俺達は、いつものようにガン付けあった。

 辺見は今日も、異性に対してしてはいけないような顔を俺に向けてくださっている。

「そうそう。あんたはそうやって汚いこと吠えてんのがお似合いだっつーの。しね」

「お前が相田にもそうやって啖呵切ってくれたら楽なんだけどなあ」

「んなことできたら苦労してねーんだよ! ばーか!」

「それがこれから助けてもらう人間の態度かよ……」

「じゃあ、なに? あんたは今からうちが媚び媚びの声を出したら、喜んでなびくわけ?」

「ないな」

 そういうのを聞くと秒で一年の頃のトラウマが蘇ってきちゃうから勘弁。

「じゃあ余計なこと言ってんなし。不快」

 そしてそう言ってそのまま床に唾を吐きそうな辺見のガラの悪さに、むしろ安心感を覚えている自分がいることに気付き、我ながらやべえなと自己嫌悪が止まらない。

 話を戻そう。

「てかさ、そんな告白一つでお前のこと嫌うような奴との関係、維持する意味ある?」

 すると彼女は、少し恥じらうように。

「うちはさ、それでもこのままアイカと一緒にいたいの。それだけ」

「このことがバレたら、お前をいじめるかもしれないような奴なのに?」

「そう。悪い?」

 その目は、とても。澄んでいた。

「いや、お前ってもっと、打算で友達付き合いしてると思ってたから」

「ほとんどはそうだよ。でも、アイカはただ……。わがままだし、高飛車だし、自分勝手で性格も悪いけど……、でもね、一緒にいたいの」

「……へえ、お前にもそういうの、あるんだな」

 あまりにも純真に男鹿との未来を願う彼女の姿は、間違いなく乙女だった。

 俺は少し、拍子抜けしてしまったくらいだ。

 小説を読んでいて、悪役が実は善人だったということが明かされた時のような気分。

「なに、その感想。きもい」

「ちょっと好きだなって思ったらこれだよ」

 けれど、俺はそういう展開、そんなに嫌いじゃない。

「は? え、なに、またあんたうちに惚れたの? やめてくんない? ほんと迷惑だから! 吊り橋効果とかそういうの全部迷信だかんな???」

「ちげえよ、別にお前に告ったわけじゃねえよ! お前にもただそういう部分があんだなって思っただけだろが!」

 そもそもいつ俺とお前は吊り橋渡るようなドキドキ体験を共有したんだよ。意味分かんねよ。毎日がカルナヴァルなの?

「断られてから否定するとかほんとハイシャだなあんた。相変わらずきもい。そろそろ死んだら?」

「少なくともお前と相田の問題を解決するまでは生きててやるよ。感謝しろ」

「恩着せがましすぎるんですけど。ハイシャのくせに」

 そうして吐き出された悪態は、どこか勢いがなかった。

 すると、彼女はなぜか、頬を赤らめて。

「でも、まあ。ありがと……。それと、土曜日も」

 そんなことをもじもじ言い出した。オレンジ色の髪が揺れる。

 じれったい目がこっちを見ていた。。

 本来ならたぶん、胸のときめきとかそういうのを感じてもおかしくないだけのかわいさやいじらしさが、そこにはあったのだろう。

 だが、もう俺とお前は、そういう次元からはとっくにいなくなってしまっている。

 だから、そう、つまり、あれだ。今のお前は……。

 端的に言って――薄気味が悪い。

 俺は鳥肌を撫でながら、言った。

「え、なんか今、底冷えのする幻聴が聞こえたんだけど。こっわ。ねえ、今のあれ、お前も聞いてた?」

 であれば当然彼女から返ってくるのは。

「死ね! 殺す! ハイシャほんときもい! ばか! 死ねっ!!!」

 罵倒。罵詈雑号。ただそれだけ。それだけだ。

 二人の間には、それしか存在していない。

 けれど。

 やっぱり、彼女と俺との距離は、これくらいでちょうどいい。


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