第21話 メンタルブレスケア

 『KIMERO』と書かれた白い暖簾をくぐると、マチ針だった。

「ぎやあああああああ!!!」

 俺は突如として自分の目玉寸前に差し向けられた細い針に、絶叫。

 元凶は、黒髪のクラスメイト。軽蔑の目と共に俺を待ち構えていた。

 そして、裁縫道具を凶器として俺に差し向けるその狂気の女、黒羽は。

「あなた、出てくるのが遅いのだけど? 女将さんにまでなにかしようとしているのなら、ここでその下卑た目を二度と異性に向けられなくしてあげるわよ?」

 なんか盛大に勘違いをしていた。

 そんな理由で失明したくない俺は、必死にまくし立てる。

「ひゃっ、なななな、なんかよくわからないけど待ってくれ俺はそんなこと微塵も考えてない。前も言っただろ俺はいま三鷹先生――」

 パシャッ。

「おー、こいつぁふぉとじぇにっくー」

 俺が自己弁護を終える前に、俺達の横でうんこ座りをしていた四鬼条がスマホのカメラ機能を使って黒羽の犯行現場を捉えた。ナイスぅ!

「ちょ……、待ちなさいあなた。なにを勝手に私の写真を……!」

 慌て始める黒羽。俺はこれ幸いとばかりにその隙にマチ針の魔の手から逃れる。ふう。

「これをー、クラスラインにー」

「ふ、ふざけないで! 消しなさい!」

「とおもったけどー、紫蘭はいれてもらってないんですよねー。赤羽さんわしってるー?」

「…………なんなのよこの子?」

 四鬼条に詰め寄っていたはずの黒羽は、そう言ってまた俺にマチ針を突きつけてきた。

「おい、どうしてその流れで俺に矛先が向くんだよ!」

「あなたのお友達でしょう? だったら連帯保証人として彼女の失態を全てあなたの咎として対処しても、法的に何の問題もないわ」

「そもそも倫理的に問題ありまくりだわ! つーかお前のお友達観ゆがみすぎだろ!」

「知らないわよ。ただ、あなたと友達になるメリットはなにかと考えたら、それくらいしか思いつかなくて」

「メリットとかそういうんじゃないだろ。友達は」

 それにあれだよ、俺と友達になったら…………え、えーと、た、たのしい、よ?

「こんな子としか仲良くなれないような人に言われてもね」

「おま、こんな子って……。ま、まあ四鬼条はやべえやつだけど……。で、でも、いいとこも、いっぱい、あるんだぞ!」

 なぜかムッとして言い返したけど、今も黒羽のスカートん中覗いたりしてるしなあ、四鬼条。黒羽にはバレてないっぽいけど、こんな子呼ばわりは割と残当なんだよなあ……。

「例えば?」

 やっべ、具体的に言われると全然思いつかねえ!

「あー……、うーん……。えー……。……………………あ! かわいい!」

「あらそう。すごいわね」

 心底呆れたといった目で見てくる黒羽。

「うるせえな。女の子はかわいければなんでも許されんの!」

「最低ね。死んだら?」

「そうそう! たとえば、それね。こんな辛辣な言葉を吐いても、お前はかわいいから許されるだろ?」

 むしろ人によってはご褒美にもなる。かわいいは正義。

「……そう。じゃあ、今から私はあなたのことを殺すけれど、かわいいから許してくれるのよね? 遺書にはしっかりそう書いておくってことでいいかしら?」

 今まで俺に向けられた彼女の表情と声の中で最もかわいらしいもの(と断ちバサミ)が俺に向けられていたが、まるで嬉しくなかった。かわいいは悪だった……。

「ごめんなさいごめんなさい冗談です冗談ですかわいい子でも許されることと許されないことがありました学のない僕が浅はかでした許してください本当にごめんなさいい!!!」

 このままでは布用断ちバサミが命用絶ちバサミになってしまう。

 可憐なるお顔は可憐なる魂に宿るとは限らないらしい。かなしいね。

「はあ……。あんまりお店の前で騒がないでくれるかしら。みっともない」

「お前が絡んできたんだろうが……っ!」

「ちょっとこっちに来なさい、灰佐君」

 ハサミを前にがたがたと震える俺を、黒羽が無理矢理店の反対側、川原の方へと連行していく。この川が三途の川じゃなくて良かった。

 あと、なんか初めてクラスメイトにちゃんとした苗字で読んでもらえた気がする。こんな状況なのに、ちょっとにやけそうになっている自分。虚しみしかない。



「というか、どうしてあなたはこんなお店にやってきたの? 仲良くお友達まで連れて」

「というかあ~、べつにー、紫蘭はかっぴーとお友達ではないんですけどー」

「え、そうだったの……!? また友情を感じていたのは俺だけだったパターンなの?!」

 俺への質問に割り込んできた上に俺のメンタルを削っていく四鬼条。

「かっぴいというのは、この男のこと?」

「かっぴーわー、かちぴーですよー」

「はあ? まあ、どうでもいいけれど」

 いや、どうでもいいのかよ。そこはどうでもよくないだろ。大事な人の名前だろうが。こういうやつがいるからいつも数学の問題の登場人物は花子と太郎だけなんだ。まったく。

「で、私の質問の答えは?」

「ぶかつどう~」

「うちの学校にラーメン研究会なんてなかったと思うけれど? なによその謎部活。それと、あなたには聞いていないの。勝手に口を開かないでくれるかしら」

「はあーい」

 黒羽の棘が、四鬼条を触媒にして弱まっているような感を受ける。さすがは四鬼条だ。俺はそう思い、声をあげた。

「そうだよ、さっきの話に戻るが四鬼条は面白い奴なんだ。独特の空気感があるだろ? それが魅力的でさー。ほら、いいとこがいっぱ」

「今は私が話しているの。あなたの話は聞いていないわ」

 バッサリ。一刀両断。

 黒羽に俺とお話をする気はないらしい。

 だが、ならこっちにも考えがある。目には目を!

「じゃあ、俺もお前の話は聞いてな――」

「そう?」

 目に針を突きつけられた。ハンムラビ様、この女を裁いてくださいっ……!

「き、聞いてます」

「え? ごめんなさい、よく聞こえなくて」

 絶対聞こえてるのに、手元の針を弄びながら、黒羽はそんななことをのたまう。

「ありがたく拝聴させていただいております……。ねえこういうの棍棒外交って言うんだよ知っt」

「あらそう? 私、日本史選択だからよく分からなくって」

 また遮ってきたよ。なんなのこの子、人の話最後まで聞けないの? 江戸っ子?

「これが世界史用語だってわかってる時点で、お前はその意味を理解してるんだよなあ」

「当たり前じゃない。知識をひけらかすのは三流のすることよ? そもそも外交というのは対等な者同士が行うものだしね」

「自分が能ある鷹だって言いたいのかな、黒羽さんは? そして俺が鳶だと」

「別に。ただ、私たちのクラスで爪を隠しているのは、文字通り三鷹先生じゃないかしら?」

「はあ? あの人ほどオープンな人もいないだろ」

「……そう――ね」

 黒羽がなにか意味ありげにそんなようなことを言っているのだが、たった今その背後で四鬼条が黒羽の頭の上で指を立ててユニコーンみたいにするいたずらや、急に変顔をするという奇行を俺にだけ見えるように放ち続けてきていたので、笑いをこらえるのに必死で内容が入ってこなかった。

 そんな理由で、たぶん少し変な顔をしている俺を怪訝そうに睨みながら、黒羽は言う。

「で、あなたはどうして私をストーキングしていたのかしら?」

「おい、時間経過で大事な部分がすり変わってんだけど?!」

 さっきはなんでこの店に来たの? くらいの軽い質問だったよね!?

「御託はいいわ。答えなさい」

「いやー、たまたま入ったラーメン屋に黒羽がいるとはたまげたなあ……」

 鋭利で冷たい黒羽の視線にたじたじになりながら、そんなことを嘯く。

 さすがに命に関わってきそうな時くらいは嘘をついても三鷹先生だって許してくれるだろう。それこそ、カントは怒るだろうが。

「シラを切っても辛いのはあなたよ? そっちが正直に言わないのなら、私はどんな手を使ってでもあなたに白状させる。覚えておきなさい」

 穏やかじゃないにも程があるだろ……。お前は異端審問官か何かなの?

「じゃ、もう時間だし、また教室で会いましょう? あなたたちもそろそろ帰らないと、授業に間に合わないわよ? 急ぎなさい」

「あ、ああ。もうそんな時間か、またな」

「あなたにまたねと言われるのがこんなに忌々しいことだとは思わなかったわ……」

「……一応言っとくけど、お前が先に言ったんだからな」

「私の優しさが、私を苦しめる……っ!」

「その優しさ、俺も苦しめてるから」

「でも、私とまた会えるのは、まんざらでもないんでしょう?」

「いやー、出来れば会いたくないかな……。なんか殺されそうだし……」

「そんな野蛮なことしないわ。……生まれてきたことを後悔させてあげるだけ」

「お前の中での野蛮と文明の線引き基準どうなってんだよ……」

 てか黒羽さんはなに? どこかでそっち系の職に従事してたりするの? そういうことなの? エージェント黒羽なの?

「それがいやなら、今日のことは誰にも言いふらさないことね。わかったかしら?」

「そもそも言いふらす気はない」

「その言葉が、本心であることを祈っているわ。あなたの、未来の為にね」

 彼女はそう言い残すと、凄まじい速度でチャリを飛ばし、あっという間に消えていった。

 こわっ。なんで俺は同級生が二郎系食ってたってクラスの誰かに言うだけで将来を危ぶまれるような何かに巻き込まれなきゃいけないんだよ。辺見のアレとは別ベクトルで怖いんですけど、黒羽さんの報復。

 それと、去り際に四鬼条にも一言二言言って、なんか手渡してたけど、なんだったんだろ、あれ。

 決闘用の手袋とかかな? 

 ちょっとドキドキしながら、四鬼条の手元を見る。

 そこにあったのは。

「あっ、そっかあ」

「すーすーするー」

 ブレスケア用の、タブレットだった。

 黒羽は意外と、気配りのできる、いいやつだった……。

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