第20話 メン・イン・カロリー

「いらっしゃーい」

 ふんわりとした女性の声に驚きながら店内に入ると――黒羽がいた。

 もちろん、客として。

 黒羽は、誰が入って来たかなど気に止めていない。真剣な面持ちで、店主さんらしきたった一人の女性店員が腕を振るう調理姿を、背筋をピンと伸ばして眺めている。食い入るように。目力とオーラがすごい。

 あんな鬼気迫る感じで凝視されたら、店主さんも嫌なんじゃないかと思うが、彼女は彼女で、微笑を湛えながら、まるで愛しい我が子を育てるかの如くに料理をしている。なんかめちゃくちゃ幸せそうだ。天衣無縫の極みにでも到達してるのかな?

 殺伐としている店内を想像して入店したら、店主は聖母みたいな女の人で、ピリピリしてるのはクラスの優等生だけだったってこれマジ?

 ええ……、なんだこの状況。インパクトが強過ぎるッピ。

 しかもBGMが謎におしゃれジャズな上に、狭いとはいえ内装もなんか綺麗。

 端的に言って、ラーメン屋っぽくない。店主さんもプロレスラーみたいな野郎じゃなくて、大人な女性だし。立地も立地だし。

 でも、漂う濃厚な匂い。二郎スメル。これだけは、完全にそっち系統なんだよなあ。

 世界観が、迷子。

 あ、でも水はやっぱり自分で汲む方式なんだ(謎の安堵)。

 というか、客が黒羽一人しかいないが、お昼時なのに大丈夫なんだろうか。

 入店早々の洗礼に、ややおののいていると。

「これー」

 万事我関せずな四鬼条が俺の袖を引いてきた。

 彼女の指差す方を向くと。

「げっ」

 変な声が出てしまった。

 というのも、券売機のメニュー表記がラーメン小・中・大まではわかるとして、その上に、やばたにえん(特盛)、やばたにえんの無理茶漬け(超盛)とかいう謎表記がなされていて、しかも四鬼条がその特盛であるところのやばたにえんを指差していたからだ。

「お前、それ全部食べれんの?」

「たぶんー」

 たぶんじゃ困るんだよなあ……。

 つっても、こいつはどうせ俺がなんと言おうが自分の意見は変えないだろうし、こちらからできることはない。

「そっか……」

 俺はそう言って涙目で財布を開くと、紙幣を二枚、四鬼条に手渡した。

 さよなら、俺の1・2時間分のお給金……。

「お金だー。…………ありがと」

 彼女は頬をすぼませてそう言うと、紙幣を投入。やばたにえんと書かれたボタンを、なんの躊躇もなく押した。食券が排出される。

 やばたにえんと印字された小さな紙片は、どことなくシュールだった。

 ちなみに俺が買ったのは、お釣り分でも余裕で買える、一番小さいサイズの食券。

 四鬼条が万が一食べ残した時の為の保険ってやつだ。本当は俺もやばたにえんがよかったんだけどね。食べ盛りだし。

 だからこれは別に、お金が足りなかったからとか、そういう理由ではない。けっして。



 食券を買って出入口側の席に着くと、店主さんが気さくに話しかけてきた。

「もしかしてー、玄葉ちゃんのお友達?」

 すると、一番奥の席に座る黒羽がピシャリ。

「違いますよ、女将さん。私はこんな人たちの友人ではありません」

「そうなんだー残念。てっきり玄葉ちゃんってやさしいから、閑古鳥が鳴いてるうちのこと宣伝してくれたのかなーって思ったのにぃ」

「そんなことないでしょう。ここの味は最高ですし」

「もー、そんなこと言ってくれるのは玄葉ちゃんだけだよ~」

 女将さんが大げさに喜ぶが、その手は休まることなく動いていた。正に、職人芸。

「二人とも仲がいいんですね、黒羽はよくここにくるんですか?」

 なんか常連っぽい黒羽のことが気になって聞いてみる。

「そうよー。なんと! まいに」

 女将さんがすごい重大な情報をリークしてくれそうだったその時、冷房が効いている(五月なのに……)とはいえ、むっとしている店内を、いてつくはどうが走り抜けた。

「女将さん、この男に私の話をするのはやめて下さい。それより、早くトッピングの有無を聞いたほうがいいんじゃないですか?」

 仮にもクラスメイトをこの男呼ばわりって……。

「それもそうね。じゃ、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、にんにくとか、どうする?」

「ふたりともー、おおめでー。たまねぎはー、わたしのだけなしでー」

「了解! やばたにえんネギヌキニンニクヤバめ、小もニンニクヤバめね!」

「はーい」

 ええ……。

 なんかちょっと人が落ち込んでる間に、許可なくにんにく入りにされたんですけど……。

 まあ、好きだからいいけどさ。

 それより、意外だったのは。

「四鬼条って、やろうと思えばちゃんと受け答えできるんだな」

「にんげんだもの~」

 いつからお前はみつをになった。

「あ、うん。そーだな」

「にんげんだからー、ソーではないよー?」

「は?」

「むじょるにあとかー、もてないしー」

「ああ、マイティ・ソーね。ボケがわかりづらいんだよ」

 四鬼条もマーベル映画とか見るんだ。ヒーロー映画見るにしても敢えてDCの方見てそうな雰囲だったから割と驚天動地だわ(失礼)。だって絶対この子、王道をゆく全米が泣いた作品とかじゃなくて、見た奴がもれなくアレな意味で泣くようなクソ映画ばっか(DCのことではないです。アクアマン、めっちゃ面白かった)好き好んでみてそうな感じがするじゃん? 天邪鬼みたいだし。

 そんな俺の内心を読んだのか、はたまたボケをこき下ろされたのが忌々しかったのか、四鬼条はジト目で。

「かとちゃんのくせに……」

「だから俺は芸人じゃないから」

「でもー、かつまたですよねー?」

「俺は勝俣じゃなくて勝利だし、勝俣さんは別に芸人ではないだろ、たぶん」

「じゃー、かつやまー?」

「むしろ人の話右から左に受け流してるのはお前だろうが……」

「紫蘭はー、左利きだけどねー」

「天才肌かよ」

「くふぅー」

 ちょっと得意げなのがムカつく。

 そんなくだらない会話をしていると、いつの間にやらエプロンを着用しポニテになっていた黒羽(は? かわい過ぎるんだが? いま脳内で一万回いいねした)の元へ、名状しがたい――強いて言うなら、表現は悪いが豚の餌の塊、或いは残飯で出来た現代アート、染みたものが、ドン! と鎮座した。

 な、なんだこれは……。

 そもそもおよそ人間用とは思えないような馬鹿でかい丼。そしてその底を埋め尽くしているのであろう、もはやその姿を拝むことのできなくなった大量の麺に、その原因であるトッピングが、詰め放題のプロが敷き詰めたみたいにこれでもかとのしかかっている。中央には、もやしによるバベルの塔。その周囲を万里の長城が如く囲むのは、チャーシュー……というかもはや肉塊と、味付け玉子五つずつに、こんもりにんにくの山、ざく切りキャベツ、みじん切り玉ねぎ、メンマ、岩海苔……。最後の方だけちょっとヘルシーだったような気もするが、そんなことはない。なにせ、それらの上には、更に生卵、そして背脂の群れが、これを食らって死ねとばかりにゴゴゴゴゴとふりかけられているのだから。その上からもうもうと立ち上る蒸気を、あたかも瘴気が如く錯覚させる凶悪ぶりが、それを証明してくれている。カロリーの九龍城。塩分の死海。脂のガワール油田。炭水化物のマンハッタン。

 ひ、ひええ……。

 こんなもん食べたら死ぬんじゃないかな……?

 もし本当にこれを完食できるような人間がいるのだとしたら、もうそれは大食いとかいうレベルではなくて、人間ではない。

 だって、たぶんこれで普通の人は一週間もつよ……?

 しかし。

「ふおー」

 ドン引きしてる俺を横目に、四鬼条は目を輝かせている。……なんで?

 そして黒羽は――笑っていた。

 あのモデル体型の麗人が、このデブをも殺すメガ盛りを見て、笑っているだと!?

 俺が驚いていると、女将さんは至って笑顔で。

「はーい! やばたにえんの無理茶漬け全部載せマジ卍神ヘブン、お待ちぃ!」

 けれどその元気な声を聞いた黒羽は、その微笑を崩し。

「その頭の悪い名称、どうにかならないんですか……」

 そう言いながら、スタンバっていたスマホでラーメンの写真を速写し、すぐにしまう。

「えー? こういうのが流行りだって、さーやんに聞いたんだけどなー」

「なるほど…………」

 女将さんのセリフを聞くと、黒羽は額に手を当てて、いやいやと首を振った。

 が、再び顔を上げると、すぐさま手を合わせ、食事を開始させる。

「いただきます」

 割り箸を割る子気味のいい音が店内に響いた。

「めしあがれー」

 そんな彼女をニコニコと眺めながらも、女将さんは俺達の分の調理をしている。

 黒羽はというと、凄まじい勢いでもやしを食い始めたかと思えば、今度は麺をずるると景気良くすすり、肉食獣のようにチャーシューにかぶりつき、ロッキーみたいに卵を喰らい……と、フードファイターかよというくらいのハイペースで、その冒涜的なまでのカロリーをその小さな胃袋へと送り込んでいく。

「じゅるるるるるっ!!」

 美少女が大量の食べ物を豪速で喰らうというのは、ここまでパフォーマンス化されるものなのか……と見入ってしまうほどだ。なんならこの動画をユーチューブとかに載せれば結構再生数行きそうだなってくらいには視聴に耐え得る――どころか、もっと見ていたいと思わせる、引き込む力がある。見世物として、迫力が圧巻。

「ぷはあ…………!」

 あと、どことなくエロい!

 やはり女がどでかいものを呑み込んでいく姿に、男は性的な興奮を覚えてしまうらしい。

「ずぞっ、ずぞっ、ごくん……!」

 咀嚼音、嚥下音、そして麺を啜る音が、店内に響く。それが下品ではなく、むしろ気品さえ感じさせるのは黒羽の黒羽たる所以なのだろう。

 また、時折額を拭う姿や、恍惚とした表情、前屈みになったとき顕になるうなじが、健康的なエロスを醸している。揺れるポニテもふぃーるそうぐっど。なによりあの雪肌の火照り、頬の上気。Oh、yes。

 これ以上はどう足掻いても下方面のレポしか出来ないので、自重。

 それにしても、なんだかやばい店に来てしまったと、改めて震えてしまう。

 あんまり黒羽の方ばかり見ていると、後で何をされるかわかったもんじゃないので、俺はややもの惜しげに彼女から目線を外し(なんで俺は黒羽がラーメンを食べる姿を、まるで水泳の時間にスク水女子をこっそり鑑賞するかのような心地で見ているのか)、左隣に座る四鬼条の方を見た。

 ぼけーっとしているが、この子もやっぱりかわいい。黒羽とは真逆を行くようなタイプだが。

 とりあえず、この問題児がなにか粗相しないように見張っておかなければ。

 俺はまた、彼女の親にでもなったような気分で四鬼条を見守る。

 とはいえ、彼女は意外にも大人しくしていた。

 黒羽のダイナミックランチや、女将さんの手際いい調理工程なんかを、ぽわーっとしたいつもの浮世離れした顔で見つめている。

 あっ、今まばたききした。

 非人間的な四鬼条の人間味あふれる決定的瞬間を目撃してしまった。

 なんかちょっと嬉しい。

 そう思って内心ガッツポーズしていると。

「…………(くわっ!)」

 突然こっちを向いた四鬼条が、ヘヴィメタのボーカルもかくやというような変顔をした。

 目ん玉ぐわーかっぴらき、白目ぶわー広げ、舌デデンと露出。しかもなぜか顔だけでなく、両手まで顔の横に持ってきて、それぞれの指を曲げちゃいけないような方向にベキベキぐわん。奇しくもアヘ顔ダブルピースみたいになってる。全然ピースではないんだけど。むしろサイコなシリアルキラーって感じ。ナイフとか舐めちゃうタイプの。

「ぶはっ!」

 なんの脈絡もなく始まった一発芸に、思わず声が出る。

 だってそりゃびっくりするでしょ。

 考えても見て欲しい。長門有希ちゃんをかわいいなあと見つめていたら、突然その長門有希ちゃんがマキシマムザ亮君になったんやぞ。

 目ん玉が飛び出るわ。

「し、四鬼条さんっ?! い、今のは……?」

 俺が恐る恐る問いかけると、彼女は急にしゅっと端正な真顔に戻って正面へ向き直り、

「…………」

 無言。

「え、えーと、四鬼条ちゃーん?」

「…………」

 無視。

 ええ……(困惑)。

「あのー、なんでシカトすんのかなー?」

「……(のわああんっ!)」

「ぶっ!」

 再度こちらへ放たれた変顔にまたも敗北する俺。

 無駄に変顔のレパートリーが豊富で草だった。

 なんて思ってたら、鏡の前で一人練習してるとことか想像しちゃって、ちょっと可愛いじゃねえか、とか思ってしまった。悔しい。

「……って、いやいや。いないいないばあかよ。俺をなんだと思ってんの、お前は?」

「かねー…………づる?」

「え、ええっ!? それは酷すぎやしませんかね!?? お前に親近感を感じてたのは俺だけだったのかよ……っ!」

 ううっ……、割とショック……。

 と思っていたら、なんだか数年前にテレビで聞いたようなことを言い出す四鬼条。

「……なんてー、ほんとにそんなふうにおもってたらー、かすがとこんなお店になんかー、はいったりしませんよぉ」

「「へへへへへへへっ」」

 仲良く笑い合う俺達。夫婦漫才かよ。

 なお、四鬼条の表情は、それでも無だった。無表情で笑うってなんなの? 

「……てか、どう考えてもボケはお前なんだから俺じゃなくてお前が春日ポジだろ」

「えー、でもー、体格的にはー、そーでしょー?」

「いやー、四鬼条ってば人の筋肉をクリス・ヘムズワース並とか、お前さすがにそれはお世辞がすぎるでしょー、もー。うまいなーったくー」

 いやーまさかモテたいが為に鍛えていた身体がここに来て評価されちゃうとはなー。その第一号が四鬼条だなんて夢にも思わなかったけど、っべえうれしーわ。うれしお~。つーかなによ、アメコミヒーロー並とか言われちゃったよー、いやーマジリアルゴールドにテンションブチ上がりなんですけどぉ。バイブスぅ~。っしゃ、じゃー、あれだ、とりま明日からビクトリーマンとして街の平和を守っちゃおうべ。あ、我ながらマジ名案じゃね? パない。あげみざわ~。マジ卍~。優勝~!

「あたまー……、だいじょうぶ~?」

 あまりの喜びでエセ陽キャっぽくなってた俺を、四鬼条の虚無顔が襲う。

 俺は一瞬で陰キャに再生した。

「なんでだよ! お前さっきマイティ・ソーの話ししてたじゃん! え、これ俺が悪いん? すぐ勘違いしちゃう俺が悪いんか?!」

「ふっ…………」

 四鬼条は俺の狼狽ぶりを見て鼻で笑うと、スマホでどうぶつのもりを始めた。ええ……。

「…………ふふ」

「そりゃ俺との交流よりどうぶつとの交流のほうが楽しいかー……」

「あら~、二人とも仲良しなのねえー。うらやましいわあ」

 女将さんは具体的にどのへんでそう思ったんですかね?!

「ずるるるるるるるるっっっっっ!!!!!」

 そして相変わらず黙々と(なおSEは轟轟な模様)食に没頭している黒羽。

 しかし、その今までで一番大きなヌーハラは、「黙ってくれないかしら。気が散るのだけど」という、彼女からの言外のメッセージかのような轟だった。

 いや、ただ昼ごはん食べてるだけなのに気が散るってなんだよってな感じだけども。

 ラーメンは遊びじゃねえってなことなのだろうか。まあ確かにあの量は生半可な覚悟では完食できなさそうだけれども。そう言う意味で、彼女にとってこれはスポーツのようなものなのかもしれない。……そマ? eスポーツがスポーツだって初めて聞いた時並みに抵抗あるんですけど。大食いの闇は深い。

 ジロリアンはイっちゃてるよ、あいつらプリン体に生きてんな。



 そうこうするうちに、俺たちの分のカロリーの爆弾がやってきた。

 イ・タ・ダ・キ・ます!

 ICBM級のが四鬼条の前に、手榴弾級のが俺の前に置かれる。ちなみに言うまでもないことだが、黒羽のは戦術核すら優に飛び越えて超新星爆発(ビックバン)級である。

「はーい、やばたにえんネギヌキニンニクヤバめと、小のヤバめね! おまちどう!」

「おおー……!」

 あの四鬼条に感嘆の声を上げさせるとは、やばたにえん、中々にやばたんだぜ……。

 黒羽の食べている動物園のパンダ用みたいな頭おかしい奴よりは、さすがに一回り小さいが、それでもやはり、およそ人間様の為にこしらえられたとは思えない量の脂と炭水化物がふんぞり返っている。

 例えるなら、これはゴリラクラス。人間でもギリギリ食べれるか食べれないかくらいの量だ。黒羽のは完全に人間やめてる量(さっきはパンダとかいったけど嘘だわ。そんなかわいいもんじゃねえわ。あいつはクジラ)だけど、これなら適切な鍛錬と訓練を積んだ者が人の身のままで到達できる極限の臨界量だと言える。

 しかし、四鬼条がそんな高みに到達しているとは到底思えない……。

 そんな不安から、俺はまたしても娘の運動会を見に来たお父さんみたいな気持ちで彼女の食事風景を眺めていた。無論、自分の分を食べながらではあるが。

「ぱくっ」

 彼女はまず、麺でももやしでもなく、卵からいった。――俺の丼からとった卵から。

「おいいいいい!!! お前なんでそんな食いしん坊セットみたいな豪勢なもん食べてんのに開口一番ヒトの食ってんの?! 隣の芝は青いって言うけどさすがに今は適用されんだろ!」

「わたしのをー、……もぐもぐ。とろうとしてたんでー。もきゅ」

「してねえし! あと言いながらチャーシューまで盗んな! もやしをこっちに押し付けんな!」

「もぐっ。だってえ、ずっとこっちみてるしー」

「あ、ああ、なんかごめん」

 そうね、そりゃ自分の食べてるところをクラスメイトから温かい目で見られてたらなんかやだよね。それは俺が悪かったわ。すまそ。

「でもさ、そうやって口の中にものをためたまま話すのは良くないと思うぞ?」

「ごきゅん……。ならー、しずかにしててくれませんかー?」

「えっ、あっ、ハイ」

 無表情の圧力に負け、なんとなく頷いてしまった。

 俺は腑に落ちない気持ちを抱えながら、四鬼条から横流しされたもやしを食べる。おいしい。……あ、今度はメンマだ。おいしい。

「あらまあ~」

 そんな俺たちを見て、なぜか女将さんは嬉しそうににこにこしている。

「じゅるうあああああっっ!!」

 そして黒羽はもはや化物みたいな音を立てながら、なにかと格闘していた。

 これがあの学園の凛々しい氷結騎士様の食事姿かと思うと、案外高嶺の花みたいな女の子にも隙は多いのかもしれないなと思った。大学とかで今後ワンチャンを狙うとき用に覚えておこう。間違ってもそのワンチャンを黒羽本人には期待してはいけないと、肝に銘じつつ。古傷を撫でながら。

 

 さて。

 以下、しばし無言だけど無音ではないばくばくタイムが続き――。

「あーおいしかったあ」

 四鬼条はなんと、完食した。

 マジかよ……。

 野菜は俺にほとんど押し付けたとは言え、他は全部食い切りやがった。

 猫舌らしい彼女は、一々麺を蓮華に移し替えてふーふーしてから毎回口に入れてたから、食べるのこそ時間がかかっていたが、コイツはたまげた。

 俺は、もうとっくに完食どころか完飲して店外へ出て行った黒羽の姿を思い浮かべながら、四鬼条のほっそい手足や、つつましい……双峰(アレを山と呼べるのであれば)を見る(いや、前言撤回。丘。双丘)。

 胸にも体にも行かないのに、あの有り余る脂肪を、彼女達の胃袋はどこに送っているのだろうか。

 ラクダの真逆を行く彼女等の生態に、美少女愛好家であるところの俺は興味津々だった。そして巨乳愛好家であるところの俺は、どうにかしてその研究の先で彼女達を貧乳という発達障害から救えないものかと思い悩んだ。

 すると。

(彼氏くん、あんまりそういうことばっか考えてると、愛想つかされちゃうぞ?)

 カウンターに前屈みになった女将さんが、そんなことを耳打ちしてきた。

「は、あ、か、かれっ?!」

(彼女は言わないだろうけど、たぶん気づいてるわよ?)

「ごちそーさまでしたー」

「ほら、先にいっちゃった」

 店内が貸切状態なのをいいことに、先に食べ終えていた俺は四鬼条を待って店内に残っていたのだが、そんなことに気付いていないのであろう彼女は、俺を置いて店を出てしまったらしい。

「いやー、あいつは単に集団行動が苦手なだけなんで」

「彼女ちゃんにそんなこと言っちゃだめよ?」

 俺達のどこをどう見たらそう見えるんだろうか。

「彼女じゃないですってば。俺、べつに好きな人いますし」

「またまたぁ~」

「本当なんですけど……」

 というか、四鬼条と付き合うというのがよくわからない。

 たしかにあいつはかわいいんだが、なんというか……。あいつとキスしたいとか、思ったことないしなー。せいぜいがこんなぬいぐるみ欲しいなー、くらい? いや、なんか猟奇的だな……。や、違うからね、人間椅子とか肉人形とかそういうアレじゃないから。俺の性癖は、単におっぱい。至ってノーマルよ? 江戸川乱歩は好きだけど。

「じゃあ、どんな人なの?」

「それがですね、実は、担任の先生で……」

「え、もしかしてそれ、さーやん?!」

「さーやん?」

 そういえば、さっきもそんなようなこと言ってたな。

「ああ、ごめんなさいね。三鷹沙夜ちゃん?」

「あ、はい。お知り合いなんですか?」

「そりゃあもう。同級生だったもん」

「え、ええ!?」

 俺は女将さんの大人な顔をマジマジと見つめ、驚きの声をあげた。だって三鷹先生、見た目は普通にそのへんの高校生とかわらないんだもの。おっぱいの大きさ以外。

「あっはは、そんなにおどろいちゃう? さーやんったらまだ若いもんね。ワタシみたいなおばさんと同い年っていったら、びっくりかしら?」

「いやいや、そんな失礼なことは……。お、お姉さんも十分お若いと思います!」

 実際まだまだ現役な美貌だし。看板娘名乗れるレベル。

「かわいいねえ~、彼氏くん。ありがとう」

「彼氏ではないのですが……」

 だから四鬼条はそういう対象ではないんだよなあ……。顔のいい異星人みたいな? だってあいつに愛の言葉とか囁かれるとことか想像できないし、逆にこっちが囁いたとしておちょくられそうだし。

「ええ~、でも、さーやんったらまだ性懲りもなく彼ピッピが~、とか教え子ちゃんたちにいってるんでしょう? そんなひとに惚れてるとかいわれても、ねえ?」

 女将さんは茶化すようにそう言うが――

「俺は本気なんです!」

「あ、あら……。そうなのね……」

「はい!」

「なるほど! きみの熱意は十分伝わったわ。がんばって!」

 最初はちょっと引き気味だったが、なんか応援してくれるらしい。いい人や……。

「あのう、であれば、つかぬことをお伺いしますが……、先生の彼氏について何か知りませんでしょうか?」

「うーん、でもワタシはそのヒトにあったことないのよねえ。どうして?」

「頑張ってそいつより魅力的になれば、ワンチャンあるかなと思って!」

 俺は諦めねえからな!

「あはは、きみ、ほんと元気ねえ。そういうとこ、たぶんさーやん的にポイント高いわ」

「マジですか!? やった!」

「ここだけのはなし、さーやんはね、正直なひとが好きなの」

「なるほど! ありがとうございます! がんばります!」

 俺はその情報をスマホのメモ帳に後でメモっておこうと心に誓った。

「ふふっ、あとね、ぜったい年下好きよ。なんでだかわかる?」

「彼氏が年下の男だから?」

「ぶっぶー。正解は、学校の先生だから、でしたー」

「それはさすがに偏見じゃないすか……?」

 その理論でいくと全国の小学校が危ないことになってしまう。JS逃げて。超逃げて。

「もー、そんなことないわよぉ。さーやんは昔からモテモテだったから、何人もの男子の告白をごめんさいしてたんだけど、下の学年の子から好きっていれた時だけは、いつもよりちょっと迷ってからごめんさいしてたもの」

「結局ふっちゃうんですね……」

 けっこう嬉しい情報だったが、結末を聞くとあんまり喜べなかった。

「まあねえ~。さーやんマジメだから」

「そんなふうに見えませんけど」

「そんなことないぞ~。女の子はね、いつでも嘘を付いてるものなんだから」

「でもさっき正直な人が好きって……」

「理屈じゃないのよ。きみだって、どうしてさーやんが好きなのかって、うまく説明できないでしょう?」

「それはもちろん、おっp……。こほん、そうですね、うまく言葉に出来ないですね」

「……そういうことにしといてあげる」

 女将さんの全てを見透かした視線がつらかった。

「い、いや、別にそういうんじゃないんです、みっ、三鷹先生はこんな俺のことにも親身になってくれてですね……!」

「あれえ、正直じゃなくていいのかな~。嫌われちゃうぞー?」

「すみませんでした! 不純な理由も、けっこうあります! でも、なんかこの場合、正直に言ってもアウトな気が……」

「問題ないわ。たぶんお兄ちゃんの場合…………もう、バレてる」

「たしかに……!」

 この女将さん、できる――!

「ちなみに、先生の彼氏は何歳かとか、ご存知ですか?」

「さあ~? でも、ソレをつくったのは五年くらい前かなあ」

「五年前、か……。ありがとうございます」

 けっこう長いな。

 だったらいっそ結婚しちゃえばいいのに。それで先生が幸せになってくれるんなら俺はそれでいいし(大泣きはするだろうけど。って先生は俺のアイドルかよ。そうだよ)、俺も潔く諦めて、新たな恋を探しに……いや、でもこの学校に先生よりいい女なんて、というか俺と口をきいてくれる女子なんて、いないんだよなあ……(血涙)。

 マジで目頭が熱くなってきてハズいので、そろそろお暇しよう。

「じゃあ、俺もそろそろ出ますね。お仕事中なのに、お話に付き合ってもらってありがとうございました。ラーメンも美味しかったです。ごちそうさまでした!」

「こちらこそ、ありがとね。お兄ちゃんが卒業まで諦めなければ夢は叶うと信じてるわ! 応援してるからね? ふぁいとー!」

「あざっす! 叶えます!」

 うー、なんていい人なんだ。ラーメンも美味しかったし、お嫁さんにしたい!(オイ)

「またどうぞ~。……あ、でも、玄葉ちゃんとも仲良くしてあげてねー」

 割引券まで頂いちゃったし(こういうのをもらえると、自分が店員さんからもう一度来店して欲しい客だと思われているという風におめでたく解釈して俺って生きててもいい人間なんだなとか勘違いしてしまう)また来るのは当然として、それは無理じゃないかなー。女将さん、ごめん。

 内心でこっそり謝りながら、俺は店をあとにした。

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