第18話 サイクリングハイウェイスター
黒羽玄葉がお昼ご飯を食べている姿を見たことがない――。
という、なんとも奇妙な噂は、辺見界隈、即ちいわゆるキョロ充女子の間では有名な話であるらしい。俺はまるで聞いたこともなかったが。
それに俺は、クラスで飯を食っていると孤独感で死にそうになるという理由から、基本誰もいない場所、校舎の外とかで食事をしていたので、そういうことに自分から気付けるわけもなく。
黒羽玄葉という完璧少女に、そんな不思議なエピソードが付随しているなんてこと、知る由もなかった。
なにせ、俺が知っている彼女の評判というのは、可愛くて綺麗で美人でその上頭も良くてスポーツ万能の文武両道なだけじゃなく歌も絵も習字も上手いし声も透き通っていてスタイルもモデル並みで髪は枝毛一つない美しい黒なのに性格は良くて正直で優しくて……という、美辞麗句全部載せ、みんなの好きなもの全部オールインの、お子様ランチみたいなものだったんだもの。ま、実際はお子様ランチなんてもんじゃなくて、帝国ホテルのバイキングって感じだけども。
で、そんな完全無欠の彼女の悪い評判なんて、せいぜいが凄過ぎて怖いとか、まっすぐ過ぎて親しみずらいとか、告白してきた命知らずの馬鹿を振るときの手口が残忍……とか、貧乳……とか、そういう、取るに足らないもんだけだ(個人的にはけっこう取るに足る奴があったけども)。
しかし、その孤高の超人黒羽玄葉にも、きっとどこかに弱点は存在するはずで。
そう思い、昨日ダメ元で辺見に聞いてみたら、心底気持ち悪そうな顔で、そういう噂があるにはあると、嫌々教えてくれた。先ほどのアレを。
それを聞いて俺は、やはり昨日のあの、たまたま通りがかった俺に対して執拗なまでに尋問をしかけてきた黒羽には、なにかやましい事情があったのだと確信したのだ。
大体、昼休み、あんな人気のない場所で歯磨きをしているというのは十分に怪しい。
さらに辺見曰く、黒羽はほとんど毎日のように、昼休みになるとすぐに教室から出て行き、五時間目開始ギリギリまで教室には戻ってこないらしいのだ。
これはますます怪しい。こんなのほとんど黒と言ってもいいのではないか。
しかし、人目に付くのを避けているという事実と、その何がしかを終えた後に彼女は歯磨きをしなければならないようなことをしている、というこの二つの情報を組み合わせると、どうもエロ漫画脳な俺は、黒羽はもしかしてみんなに隠れてこっそり男子生徒にお口でエッチなことをしているのでは? なんて妄想をしてしまい、なんかもう、はちきれそうだった。
だって、あれだよ? 超優秀な黒髪美人が実は陰で……とかさ、王道じゃん! めちゃくちゃ興奮するじゃん! 男の子なんだもん! 許して?
まあ、たぶんこういう思考が表に滲み出てるから、俺は女子からモテないんだろうな。
……と、そんなエロ与太話は冗談にしても、黒羽がなにかやましいことをしているのはもはや確定的に明らかである。
我々はその真相を確かめるべく、駐輪場へと向かった――。
そんなわけで、昨日黒羽からストーカー疑惑をかけられたばかりだというのに、俺は教室から出て行った彼女の後をつけ回し、薄暗い駐輪場までやってきた。
なんつーか、マジでストーカーになっちゃたよ……。およよ……。
でも、問題ない。
なんてったって、俺には青春同好会とかいうわけわからん組織と、生徒からの人望も厚い三鷹先生の後ろ盾があるからな。
それにこれは辺見の問題を解決するための布石であるという大義名分もある。まあこっちのは、言ったら辺見から死ぬより辛い目にあうような裏工作をされる上に俺が女児アニメおじさんだということを世間にバラされるから、絶対言えない諸刃の剣で、全くもって宝の持ち腐れなんだが。
しかし、それを考慮して、今回は四鬼条という秘蔵っ子を連れてきている。気まぐれそうだから、ついて来てくれるか不安だったのだが、声をかけたら意外とノリノリでついてきた。これで尾行がバレたとしてもなんとか言い訳はできるだろう。普通の人間は、まさか女連れでストーカー行為をする輩がいるなんて、とてもじゃないが思わないだろうからなあ……? ククク……。
我ながら全くもって隙のないプランニングに惚れ惚れして、笑みがこぼれてしまった。
ところで、当の四鬼条はものかげからひょっこり顔を出して、どこから持ってきたのか知らんが、黒羽の方をルーペで観察している。
暗がりで美少女が美少女を観察するという異様な光景……。
「ルーペって遠くのもの見るためのものじゃなくね?」
「じゃー、かったーの目玉でも観察しようかなー」
四鬼条はそう言うと、俺の顔にぺたぺたと触れて引っ張った。
「いたたたた、ちょっと、無理矢理人の目玉をかっぴらくな! びっくりするだろうが!」
「あんまりさわぐとー、ばれちゃいますよー?」
誰のせいでそうなってると思ってんだ、こいつは……。
でも、なんかその無垢な表情を見ていると、怒る気にもならないんだよな。不思議。
世界中の紛争地帯に四鬼条を派遣すれば地球は平和になるのに、とかなんの根拠もない妄言が頭を支配するくらい、俺は四鬼条にたぶらかされていた。
「はあ。お前が辺見だったらぶっ飛ばしてたわ……」
「ふたりはなかよしだもんねー」
「三鷹先生みたいなこと言ううなよ……」
「いいたいこともいえない、こんなよのなかじゃー」
また、急に歌うよ~状態な四鬼条。なんなの、装者なの?
「「ぽいずん♪」」
しかもなんか自然にデュエットしちゃったよ。なんだこれ。仲良しかよ。
四鬼条の曲のチョイスがマジでよくわからない。
でも、たしかに三鷹先生ってグレートティーチャーだなと思いました。まる。どっちかってーとぎゃるせんだけど。あるいは渋谷系教師。
て、そんなことより。
俺は四鬼条の手元の黒い虫眼鏡に目を向ける。
「てか、そのルーペ、どっから持ってきたんだ?」
「生物でつかったのー、かえすのわすれてましたー」
ええ……。
そういえば三限は実験だったけども。
「四鬼条、お前、なにやってんの……。後でちゃんと返してこような?」
「はあ―い」
俺はお前の保護者かよ……。
あとなんで四鬼条はちょっと嬉しそうなの?
さて、その微笑みの真相を知るべくもなく、ホシが動き出す。
「ああー、黒羽さん、自転車のっていっちゃったよー?」
「はあ? マジ!?」
隠れていた壁から俺も顔を出すと、マジだった。
あの優等生で通ってる黒羽が、自転車に乗り、堂々と西門から出ていこうとしている。これは一応立派な校則違反なのだが、この学校は色んなルールにかなりルーズなので特に取り締まろうとする熱心な教師がいるわけでもなし、彼女は誰に咎められることもなく、校外へと軽快に去っていった。
「っと、こうしてる場合じゃねえ、俺たちも後を追うぞ!」
くそ、油断してたぜ。
うちの駐輪場は体育館の下に出来ててくっそ薄暗い上に昼休み中こんなところに用のある奴なんていないから、人気もゼロ。
なんかやましいことするなら絶対ここでやると思ったのに、まさか校外に出ていくとは。
くそっ! 思春期男子特有のピンクな期待を返せ!(理不尽)
そんなことを考えながら、黒羽と同じく自転車登校で自前の自転車を持っている俺は、黒羽を追うべく、愛機のママチャリへ飛び乗る。
風に揺られてたなびく黒髪はもう視界の端だ。急がねば。
なのに。
「れっつごー」
「おい、なんでお前が俺のチャリの後ろに乗ってんの?」
四鬼条が既に後ろ向きスタイルで俺のママチャリの後部へちょこんと座していた。
「いじかむ、いじごー」
「せめて日本語でしゃべってくれ……」
「はやくしないとー、みうしなっちゃいますよー?」
いや、それはそうなんだが。
校外に出るだけでも一応アウトなのに、二人乗りだもんなあ……。
バレたら教師からも生徒からも司法からも色々言われること間違いなしだ。
こいつはそのリスクがわかってんのか?
そういう意図を込めた視線で、四鬼条の綺麗な顔を見つめる。
すると。
「……?」
またこのおすまし顔だよ。ずるいだろ、コレ……。
今更言うまでもないだろうが、俺は面食いのクソ野郎である。好きなものはかわいいもの全般。そこには無論、シナモロールだけでなく、四鬼条紫蘭も含まれている。
であれば、とる行動は決まっていた。
「…………わかったよ。しっかりつかまってろよ?」
「らじゃあー」
「よし生田斗真!」
俺が現代版吉幾三をかまし、ふらふらと自転車を発進させると、四鬼条はひどい発音で、超有名な洋楽を歌い始めた。
「のーばでぃごなてくまいかー、あいむごなれすとぅ――」
「「ぐらーあんど♪」」
なんだか気分が良くなって、またセッションしてしまった。
風を切りながら歌うハイウェイスターは最高だ。
四鬼条の曲選チョイスは、意外とよかったのかもしれない。
そんな感じで、深い紫の髪の美少女を後ろに乗せ、遥か前方の黒髪少女を追う。どんなに少なく見積もってもいつもより三十キロは重くなっているのでペダルは重いが、やっぱり四鬼条はガリガリなので、そこまで苦ではない。
むしろ、すぐ背後から聞こえてくるかわいい歌声が、同年代の少女の息遣いが、背中に寄りかかってくるか細い感触、体温が、太腿に力をくれているような気がした。
たぶんかわいい女の子と二人乗りなんかしてバクバクしちゃってる心臓がいつもの二倍くらいの性能を発揮して全身に熱い血を送ってくれているのだろう。
しかし、中々黒羽との距離は縮まらない。いや、縮まって尾けていることがバレても困るんだが、むしろ離されていく。はっや。なんなんだあの黒髪女。どんだけガチで自転車こいでんだよ……。
けれども、いつも余裕で全てをこなしている感のある、常に優雅たる黒羽が、そこまで必死になっている瞬間を見たのは初めてで。
俺は断然、彼女がこのまま何処へ行くのかが気になって仕方がなかった。
西門脇の坂を下り、まっすぐ行って、川沿いをひたすら直進。ずっとまっすぐ。
彼女がそんなルートをとってくれていたから助かったが、どっかで曲がられてたら完全に見失ってた。危ない危ない。
そう思う間にも徐々に差がついていく。
その後ろ姿はもう点となりつつある。
「われーは、かんぐん、わがてきはー、てんーちいれざる、ちょおーてきぞー♪」
くそ、後ろにこんなお荷物さえ載っていなければな……。
つーかなんでこいつは洋楽歌いだしたと思った次の瞬間には軍歌うたってんだよ。声質があってなさすぎるにも程があるだろ。そんな腑抜けた声でこの曲歌ってたら時代が時代なら竹刀とかで叩かれたりしない? 大丈夫?
しかも気分が乗ってんだかなんだかは知らんが、左右に揺れたり俺の背中にヘドバンしてきたりして重心ぶれるし、そのせいで運転しづらいったらない。
いや、大日本帝国系統の曲歌いながらヘドバンするってなんだよ……。君が代エレキギターアレンジみたいなのやめろや。
「あのさー四鬼条。もうちょっとおとなしくしてくんない? このままだと黒羽に振り切られるどころかクラッシュしそうなんだけど」
「たまちるつるぎー、ぬきつれてー、しーするかくごですーすむべーし♪」
「死する覚悟で進むべしってお前……」
ひどない?!
俺さあ、女子との二人乗りって、もっとこう、ロマンチックなもんだと思ってたんですけど……。最初こそちょっと浮かれてたけど、もう、なんかアレだわ。四鬼条ちゃんてばマジ四鬼条。女の子へのイマジンをブレイクしまくり。
それと歌うにしてもさあ、普通、夏色とかじゃない? 春だけど。
この長い長い下り坂をゆっくりゆっくりくだらせてくれよ! 状況が状況だからゆっくりはNGだけど。ガンガンペダル回すけども。
「はあ……」
ため息をつくと、後ろから能天気な声がした。
「黒羽さんにはー、おいつけましたかー?」
「むしろ見失いそうなんだが。てかお前、なんで後ろ向きに座ってんの? 怖くないの?」
「かしかしが前をむいてるからー、わたしは後方の注意をー」
「意外と合理的だな……。まあ落ないようにだけ気をつろよ」
実際問題、その姿勢は割と危ない気がする。ちょっと心配だった。
なのに、彼女はいつも通りだるーっと。
「はあーい。じゃー、おいついたらおしえてくださーい。おやすみ~」
「はあ?! 後方の注意ってのはなんだったんだよ!? あとそれ絶対落ちちゃわない? 大丈夫?!」
「…………」
無言。
まさかとは思うが……。
「早速寝たの? のびたくんかよ。もうお歌を歌うのは飽きちゃったのかな?」
「zzz……」
返ってきたのは、かわいらしい寝息と、脱力した背中の感触。
「うっそだろ……」
俺は思わず嘆息。
自転車の二人乗り中に眠るとか正気の沙汰じゃないでしょ。
俺は四鬼条の安全を考えて、急遽仕方なくペースを落とし、出来るだけ舗装の禿げていない平坦な道を選んで走ることにした。まるで、大事な買い物をした日の帰り道みたいに。
もう黒羽の姿は完全に見えなくなってしまったが、四鬼条の安全には変えられん。
だってこの子ほんと細身だし、運動とかも全然してなさそうだから、怪我したらなんかやばいことになりそうで怖いし。
それにいくら黒羽が高速で駆け抜けて行ったとはいえ(まさにハイウェイスター)、奴も昼休み中に帰って来ることは確かなんだ。そう遠くまでは行かんだろう。だからそのうちどっかで自転車を止めるはず。それさえ見つけてしまえばこっちのもんだ。
というわけで、俺は虹福寺川沿いの遊歩道を、えっちらおっちら、後ろに紫の大事なコワレモノを載せながら、自転車でゆっくりゆっくりこいでいった。
海を見に行くでも、太陽めがけでも、好きだよと心こめてでも、あの人にあいにいくでも、全速力でも、明け方の駅へでもなく。
川原の道を、自転車で、走る黒髪を追いかけた。二人だけで。
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