第14羽 ひと目で、尋常でないぱんぱんだと見抜いたよ
授業開始のチャイムを聞きながら階段を駆け上がって、最上階、屋上へ。
施錠されているんじゃないかと思ったその外界への扉は、その想定の百倍は軽く、すんなりと開いた。
ただ少し、そのノブをひねるだけで。
キィィィイという、年季を感じさせる音がして。
一歩踏み出すと、風が吹いている。
そこはなんだか、学校という日常の中に咲いた、非日常のひとひらであるかのようで。
視界の果てまで広がっている住宅地や背の高いマンションからも、眼下で蠢く校庭の有象無象からも、解き放たれて、隔絶されて。
「ふは」
この踏みしめている足元、寂れたコンクリの地盤。その直下には、黒板を眺めし無数の生徒の軍団があるのだろう。そのしかめ面が、容易く脳裏に浮かぶ。
その規律に支配された閉鎖空間の詰まった大地を、思い切り踏みつけた。
そんなことをしたところで、何も起こったりしない。そんなことはわかっている。
だが、それでいい。それでも構わないんだ。
もう一度、足蹴にする。踏みしだく。
集団行動という枠組みの上で、タップダンスなんかしちゃう。
この一時だけは……。
込み上げてくる、得も言われぬ、愉悦、恍惚。なんともはや、気分がいい。
自分も、ついさっきまでその一員だったのに。
なぜだか、笑いさえこみ上げてきた。
「ふっ……はは」
額に手を当てて、目を閉じて。もう一度目を開けば、眩しい太陽がこの身を灼いた。
悪いことをしているはずなのに、気持ちいいくらいに雲一つない快晴。
なんていい、非行日和だ。
しかして、この学校という雁字搦めの檻から脱獄したかのような気分になって、その監獄の頂上で孤独に見つめる青い空は。
なんとも、格別の味がした。
……けれど、そんなしがらみなどないように感じるこの屋上にも、柵はあって。
俺は落下防止用に周囲に張り巡らされた金網を、疎ましく握り締めた。
自由って、どこにあるんだろう。
「はあ……」
そうして、授業を少しサボったくらいじゃあ俺達の様な籠の中の鳥はどこへもいけないんだなあと、お姫様みたいな痛い感傷に浸っていると。
「あれえー? かっちー?」
上の方から、そんなぼけーっとした声がして。
「とおー」
という声と共に、俺の後背部へ、謎の質量が自由落下的衝突をした。
「うがっ!」
俺はそのままうつ伏せに倒れる(たおれたぁーーー大地にキスぅーーーー?)。
「おー、やっぱりかっつんじゃないですかー」
至近からの声に首だけで振り向くと、横たえられた俺の上に跨った四鬼条紫蘭が、めずらしくも、その伏せがちな目を大きく広げていた。
いったいなんだってんだ……。
彼女はどうやら、屋上から更に梯子を登らないといけないような、ここより一段高くなっている場所から、俺の背中へと飛び降りてきたらしい。俺を着地用の緩衝材にして。
なんとも彼女らしい登場だが、勘弁してほしい。
もっと普通に挨拶とかさ、できなかったの? 特撮ヒーローかなにか?
とはいえ、俺は昼休み中ずっと探し求めていた四鬼条に会えたので、なんだかんだそこまで不満はなかった。体は、結構痛かったが。
具体的に言うと、しばらく動く気力が出ないくらい痛い。
「まさか本当に屋上にいたとはな。探したぞ」
俺は未だにどかない四鬼条の重みを背中で感じながら、そう告げる。
「なにをー?」
「おまえじゃい!」
相変わらずの彼女らしい間の抜けた返事に、思わず大きな声を出してしまった。
「へー? 紫蘭を……」
すると彼女はこれまためずらしく、そのあまり動かない表情筋を活発化させて、きょとんとした顔になる。
「そうだよ。お前以外にこの時間こんな場所にいる奴いないって」
「ぼくらは~いつまでも、見知らぬふたりの~まま♪」
今度はいきなり歌いだしたし。なんで?
しかし、この歌唱も、彼女にとってはなにか深遠な意図があるのかもしれないが、彼女の思考を解せない俺からすれば、「今日は晴れですね。晴れと言えば僕の誕生日は来月だけど、君はお肉が好き?」並みに意味がわからない。
「?」
「ちょっとー、テンション上がっちゃいましたー」
テンアゲだしとりまバイブス上げていっちょ歌おうべ! うぇーい!! おしぇえーい! みたいな感じなのだろうか。
あの相田と男鹿の取り巻き集団ならともかく、四鬼条がそんな思考回路で動いているとは思えないが。
「そうは見えないけどな」
実際、歌ってる時は無表情だったし。
「てかー、かっちんはなにしに屋上へー?」
なんだそのYOUは何しに日本へ? みたいな質問は。
確かに屋上がホーム(たぶん)な四鬼条からすれば、初めてここに来た俺は外様、外人も同然かもしれないけども。
「いやだからさっき言った通り、お前に会いに来たんだよ」
「わたしにー? それとも、紫蘭にー?」
「いや、なんで選択肢二つあるみたいな聞き方すんの? お前だよお前。四鬼条紫蘭」
「…………そっかー」
ちょっと困ったように目を逸らして、その特徴的な紫の髪をいじったりしながら、彼女は興味なさそうにぼやく。
え、なに? 照れてんの? それともキモがってんの? どっちなの?
いつも通り、その表情から本心を伺うことは出来なかった。が、ただ、かわいかった。
「じゃー、きて」
俺が見蕩れていると、四鬼条はようやく俺の背中から腰を浮かせ、立ち上がった。
そしてそのまま、さっき彼女がいたのであろう高台へと、梯子で登っていく。
……え、なんで?
よくわからないまま、上体を起こして彼女を見ていると。
「……!!!」
見えてしまった。
梯子を登るのにはちょっと不便そうな、ゴスロリっぽいベルトリング式厚底ブーツ。まるで拘束具のようなニーソとガーターリング。生足。
そしてその先の、絶対領域のその奥の、スカートの中の――秘境が。
とりあえず、黒かった。
そのブツは、黒かった。
それしか俺には描写できない。これ以上してしまうと、ちょっと倫理機構と戦争が勃発しかねないので。あ、このタイミングで「勃」という漢字を使うのは不適切だった。
さて、俺はなんだかやってはいけないことをしてしまった気がして、さっと目をそらし、とりあえずもう一度地面に額をしかと打ち付けておいた。
これはラッキースケベなどではない、彼女の人権を侵害する大変卑劣な行為だと自分に言い聞かせて。
だめだ。それでも思い出していけない気分になってくる。
くそっ、四鬼条の野郎、なんであんな済ました顔してあんなやべえ過激な下着履いてやがるんだ!! それお前の年齢で履いていいもんじゃねえだろ!! それたぶんラノベのパンツ描写じゃしちゃいけないレベルで際どい下着だぞお前!!! ガガガでも無理だぞ!! 挿絵なのにモザイクついちゃうよ、それ? というかいくら校則で服装が自由でもそれは風紀の乱れ的にアウトでしょ?! いやまあ、生徒の下着について言及してる校則とか嫌すぎるし違反ではないんだろうけども。
「はやくー」
そんなことを考えている間に、四鬼条は梯子を登りきったらしく、そう声をかけてきた。
さすがにそうやって急かすということはもう、きっとその下着の隠匿性も高まっているんだろうと思い、振り返ると。
「ヴェアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
某ハンティングゲームの盲目の白いキモイのみたいなかわいい咆哮をしてしまった。
「……ふぁあ」
しかし四鬼条は何事もなかったかのようにあくびをしている。
「えーと、その、四鬼条? スカート……」
パンツが見えてることをどう伝えたものかと、その単語をなんとか目をそむけつつ捻り出す。
「えー、かっちゃん、みたいのー?」
「いやもう見え……、そんなわけ……、あるけど……」
自分から見えてるって言うのもあれだしでも見たくないわけではないし合意の上でならむしろ見たいしとか思ってたら、もう自分でも何が言いたいのかわからなかった。
誰がヒーロー科の一年生じゃ! とツッこむ余裕もない。
「みせてあげようかー?」
「マジで?!」
まさかの申し出に、興奮する自分と、「いやだからもう見えてんだよなあ……」という冷静な自分が両立してしまい、自我が崩壊するかと思った。
「まあー、うそだけどー」
「ですよねー……」
まあ、もう見ちゃったんですけどねー……。
しかし彼女は、それに気付いていないのか、口に手を当てて、ケタケタと。いたずらっ子のように。
「あはは、がっかりー、かっしー? 男の子ってー、そんなにみたいんだー?」
「そりゃあそうだろうよ」
「ふうーん」
かと思えば、また興味なさそうな顔に戻り、それっきり黙ってしまった。
なにがしたかったのか。意味不明である。
しかし不思議ちゃんである四鬼条の考えることなど、俺に理解できるはずもない。
なので、とりあえず俺も梯子を登ることにした。
とあるカードバトルゲームの「ただ前だけを見つめて!」というセリフを復唱しながら。
なにせ、梯子の上には、四鬼条が自分のスカートの中の脆弱性に気付かずに立っているんだもの。これじゃあ俺がひょいと上を見ただけでおしまいだ。
彼女は早くスパッツなりジャージなりの対策ウェアを身につけてほしい。このままでは俺の視線がウィルスと化して彼女の下半身に侵入しないとも限らないし、その十八禁ゾーンを衝動的にワンクリックしちゃうかもしれない。それくらいに無防備である。
とはいえ、そんな高くまで登るわけでもなし。人1・7人分くらいの高さだ。
直ぐに登り終える。少しの辛抱。我慢我慢。
俺は無心で手と足を動かす。
だというに、数秒後。
この手が最後の手すりを掴んだ頃には、いよいよ色即是空に頼らないと上を見上げたいという誘惑に負けそうなレベルにまで俺の心は堕ちていた。
まあ、その葛藤との闘争ももう、これで終わりだけど、
ふうー、やりきったぜ。
誰かこの俺の自制心の強さを褒めて欲しいね。これは完全に移植エロゲ主人公の器ですわ。卑猥が一切ない。
などと心の中でひとりごちていると、さっと視界が暗くなった。
「かちゅーしゃー、うえー」
うえ? 太陽に雲がかかったとでも言いたいのかな?
なんて思って、俺は言われるがままに、
「いやいや、カチューシャって。ロシア民謡じゃあるま……」
上を――。
「ヴェヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
俺はまた、空間を操って亜空を切断しそうなくらい伝説級に愛らしい声を上げた。
そして、視界に映りこんだ卑猥すぎる下着に瞠目し、うっかり手すりから手を離す。
そんな俺を待っていたのは、落下。絶望的浮遊感。
普通に飛び降りれば怪我などしない高さだが、不慮の事故で落ちたとなれば、話は別。俺はこれから自分のケツあたりを襲うであろう痛みを覚悟した。
直後。
ドラゴンみたいな声はだせるが、そらをとぶは使えない自分を憎みながら、地面に尻を激突させる。クラスではゴーストか毒ガスみたいな扱いしか受けていないのだから特性でふゆうしてもいいじゃないかと思ったが、僕の住んでいる世界に小さなモンスターは存在しないという残酷な現実を尾てい骨への痛みが突き付ける。
まあでもきっと、これは自分が招いたことなのです。
だって、俺、上を見上げる前に彼女の靴が目の前にあるのをちゃんと見てたからね。その状況で上を向いたらどうなるかなんてあらかた分かってたけど「いいや、それはシュレディンガーのパンツ!」つって言い訳して上向いて無事パンツだったからね。
だからこれは正しい対価ですわ。
しかし。
「だいじょうぶー、かつかつー? せいー」
そう言って、仰向けになった俺に向かって、覆いかぶさる様に四鬼条がダイブしてくるのは、どう考えても不当な罰則だった。
突如やって来た意味不明に、言語野、崩壊。
「おまえ! 何考えtでっ!」
だいじょうぶーって聞きながら怪我人へダイレクトアタックを決めるやつがあるか! このアホ! おまえ絶対物理の成績悪いだろ! ふざけんな! あーもうその時々見せる笑顔ずるい!
俺はブチギレながら、とりあえず四鬼条が怪我をしないよう受け止める体勢だけをギリギリで整える。
けれど彼女は、そんな俺の心配りなど素知らぬ顔で両手を広げて、まるでスカイダイビングでもするかのように俺の直上でフリーフォール。
あの、ここ地面コンクリなんですけど?! それ下にトランポリンとかないとやっちゃいけないことしてるからな??? お前!!!
「なにもー?」
そして、彼女がそう言っって、一秒もしない内に。
「ごふっ!?」
「へひゃっ」
ゴチン!
彼女の肢体をなんとかこの全身で受け止めて肺の空気とさよならしたら、それでも勢いを殺しきれなかった頭部がこちらへ襲来。そのままその形のいいおでこが俺のおでこと正面衝突。脳天直撃。頭がパーン。
もはや、痛みを感じる猶予すらなかった。
そうして、俺の意識は途絶恵梨香。
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