第12話 私は人間になりたい
昼休み。
俺は、さほど信用していなかった辺見の相談内容の信憑性が、中々に高いものであったということに驚きを隠せずにいた。
なぜなら、クラス一のイケメンである相田健人は、どうやら本当に辺見緋凪に好意を抱いているらしいという、数学的根拠を得てしまったからである。
……と、それについて述べる前に、一つ言っておかなくては。
そもそも、辺見の相談事というのは、自分が相田に惚れられているので、どうにか告白されないようにして欲しいというものだった。
は?
ぶっちゃけそれを昨日聞いたときは、何言ってんだこの自意識過剰オンナ? と、ドン引きしていたのだが、改めてその不良品色眼鏡で教室を見てみると、納得できるシーンが何度かあった。
例えば、相田はその外見ゆえ、クラスの様々な女子からよく話しかけられてはいるが、自分から女子に話しかけるということを滅多にしない。
しかし、辺見にだけは、自分から話しかけにいっている。あるいは、辺見と誰かが話している会話の輪には、必ずと言っていいほど参加しにいく。
これが第一の根拠。
また、会話の長さ。
相田は他の女子との会話は、割とすんなり終わらせているが、辺見のそれとは、気持ち、長引かせているように見える。彼もバレたくないだろうからあまり露骨にはわからないようにしているのだろうが、そういう前提を得た上で時間を計測してみると、確かに少しだけ、その長さが変わってくるのだ。
これが第二の根拠。
そして、第三の根拠は、会話の際に見せる喜怒哀楽の回数。
辺見との会話の場合において、相田が見せる表情の変化は、他の女子とするそれと比べて回数が多かった。分数が長いのを別にしても、彼が辺見との会話で他の女子とのそれよりも心動かされているらしいことが伺える。
しかも、以上、統計的事実の他に、所感として、相田が辺見に恋していそうな別の証拠さえ見つかった。
あいつは、女慣れしている。ゆえに、女子と会話して照れるとかキョドるとかそういうことが極端に少ない。
しかし、俺が先入観によって変にバイアスがかかったのでなければ、相田は、辺見と会話している時だけは、やや頬を紅潮させているように見えたし、頭を掻くなどの照れる仕草をする回数が多かったように思える。
なんということだ……。
俺はスマホをいじるふりをして、メモ機能やタイマー機能を駆使しながら、そういう分析を今の今までしていたのだが……(ストーカ……いや、探偵の才能があるかもしれない)。
さて、どうしたものか。
内心、辺見の言うことが間違っているという結果を手に入れて、辺見のことを笑いものにしつつ最高の気分で先生のおっぱいを揉もうと、意気込んでいたのに。
まさか、奴の言っていたとことが事実だったなんて……!
どうしよう。
辺見の言っていることが事実だとわかった今、俺が先生のおっぱいを揉むためには、相田が辺見に告白するのを妨害しなくてはならない。
しかし、そんな無理難題、どうすれば達成できるのかわからないし、逆になんであいつはこれ以上ない上玉に惚れられているのにそれを嫌がるのかもわからない。
それに相田がなぜあんな奴を好いているのかも理解不能だ(一年前に自分が告白したという事実を水に流しつつ)。
だってまじめな話、あのイケメンなら割とこのクラスの女子くらい、選り取りみどりでやりたい放題出来ると思うし。わざわざあんなビッチなどと付き合わんでも。
具体的に言えば、クラス一の美人と言っても過言ではない男鹿アイカなんか、超お似合いである。あるいは、黒髪ロングの超絶美人だってこのクラスには在籍しているのだ。あと、容姿の良さで言えば、四鬼条も…………いや、流石にそれはないか。
なのに、なんで、辺見なんだ……?
確かにあいつはそれなりにはかわいいけども。相田と釣り合うようには思えない。
わからん。
……とにかく、この問題、俺一人で解決するのは無理だ。
それに、こんな衝撃の事実、誰かに語りたくなってしまう。
それこそ、クラスラインだのツイッターだのにぶちまけて盛大に拡散・炎上させてやりたい。実行こそしないが、そんなIFを思い浮かべるくらいの大スクープだ。
ま、俺はリアルでもSNS上でも、等しく誰とも繋がってないわけで、そんな悪事、やろうとしても、出来ないんですけどね。
それどころか、奇跡的に知り得た女子数人のアカウントからは、ブロックされている始末。なんなら高校入学を機につくってみたTwitter垢なんて凍結させられたからね? なんでかは知らんけど。
――と、そんな絶望の淵、脳裏にぴきんとひらめく姿があった。
四鬼条だ!
それでも四鬼条なら……。四鬼条ならきっと話を聞いてくれる……!!!
というか、あいつも一応青春同好会とかいう謎部活の一員なのだから、協力してくれるはずだ。
そう思った瞬間、あの不思議ちゃんのうたた寝姿を思い出した。
……あー、いや、たぶんしてくれないけど。いやしかし、させなければ。
だって、あの子、出席とか色々やばいから部活で補填とか言われてたし。ちゃんと活動しなかったら、一緒に卒業できなくなってしまうかもしれない。それはなんかいやだ。
てなわけで、これは四鬼条のためでもあるのだー!
と、俺は自己正当化を果たし、教室を見渡し、四鬼条の姿を探す。
あいつの紫髪と独特な服装は目立つのですぐ見つかるはずなのだが――。
見当たらない。
どうやら彼女はどこか外に行ってしまったようだ。
ま、授業中にもふらっといなくなるような問題児が、昼休みに自分の教室にいるわけもないか。そりゃそうだ。
だがそれも好都合だ。教室であいつと話すには人の目があるし好ましくない。
時計を見る。
昼休みの時間は残り二十分といったところ。
まあ、これくらいなら探しに行ってもいいだろう。どうせ俺も暇だし。
俺はそう結論づけて、相田と一緒に昼食をとっている辺見、男鹿、他数人を横目に、教室を後にした。
とりあえず、教室から近い、ベランダや同学年の別クラスの教室なんかを見回していく。
やはりお昼休みの学校というのは活気に溢れている。思わず沈黙の魔法とか使えねえかなあとか、デスノート欲しいなあとか思い始めるくらいにはうるさい。
しかし、その喧騒も、俺がその平和空間へと介入すると、不穏な気配を放ち始めたりする。和気あいあいとしたカップルが、ふと道端で乞食を見てしまった時のように。
具体的に言うと、俺が行く先々で「うわぁ……」とか「ひっ……」って感じの目を向けられているだけなのだが、まあ、気にしない。悲しくは、あるけど。
そういえば、なんで四鬼条はあんなにも周囲の目に無頓着なのだろう。
不思議ちゃんだから、と言ってしまえばそれまでだが。
だって、本当に周囲の視線を気にしていないのなら、あんなおしゃれにキメる必要もないはずで。
ま、あれは周囲の目を気にしていたら出来無い類のスタイルだし、単に自分の外見を自分の好きなもので飾るのが楽しいだけなのかもしれないけど。
本当によくわからない子だ。
だけど、いつだってわからない、未知というものに、人は惹かれてしまう。
好奇心。
俺は彼女に対し、そうした感情を抱いているのだろうか。
ミステリアスな女性の魅力。それは、そこを刺激するからだと聞いたことがある。
四鬼条をミステリアスな女性と形容するのは少し違和感があるが、ミステリアスであることは、確固たる事実。人はそんな彼女のことを不思議ちゃんと呼ぶ。
誰もが、彼女のことを何も知らない。彼女も彼女で、誰にも何も知らせようとしない。
そんな彼女のことを、気味の悪い奴、よくわからない奴と言って、多くの生徒は隔離、差別、蔑視している。
わからないものというのは、大衆からは忌み嫌われるから。
けれど俺は、そんな彼女のことを、知りたいと思い始めていた。
わからないものの発する気味の悪さと、しらないものの放つ魅力は、紙一重。
初めてデスメタルを聞いた時。初めてドグラマグラを読んだ時。その時の感覚。
みんなはどうだったのだろう。少なくとも、俺はどちらも魅力的に思えた。
そしてそれは、四鬼条にも同じ。
俺は彼女に魅力を感じることが出来て、彼女の魅力に気付くことが出来て、心の底から良かったと思った。そんな自分を、誇りに思えた。他と違って、よかったんだと。
そんなようなことを考えながら、校舎を徘徊。
けれどなかなか、彼女には出会えない。
見たところ、校庭や中庭にはいなかったし、彼女が体育館にいるとも思えない。
図書館も購買も×。
うちの高校は都立だからそんなに広くもないし、昼休みに生徒がいけるところなんて限られている。それをしらみつぶしているというに、あの紫っ子は見当たらない。
もしやと思い、第二生徒指導室にも行ってみたが、ここにもいなかった。
これがギャルゲだったら、エンカ難度高杉ィ! とブチギレているところである。
ふと思う。
まさかあの不思議ちゃんってば、学校の外にいるのだろうか。
一応、そればっかりは校則のゆるいウチでも禁止されてるんだけど(なお、有名無実な模様)。
でもなー、もしそうだとしたら、さすがにどうしようもないなー。
うーん、どうしたものかと、途方に暮れていると。
なんだか、奇妙な光景に遭遇してしまった。ちょっと苦手なヤツに。
それはおそらく、俺が普段は生徒が出入りしない西側校舎一階の僻地にまで迷い込んでしまったのがいけなかったのだろう。
だからこれは元を辿れば、俺ではなく四鬼条紫蘭ちゃんのせいで起きたことなのだけど。
そんな言い訳は、目の前におはす白雪のような女の子には通用しない。
目が、合った。その、全てを射殺すような、絶対零度の氷細工が如き、双眸と。
心臓が、痛む。きりきり、きりきり、苦く迸る。
そして。
なぜか人気のない水飲み場で歯磨きをしていた黒髪のクラスメイトは、その口に入っていた水をぺっつんとおしとやかに吐き出すと、こちらへ詰め寄ってきた。
長く美しい黒髪を翻して向き直った彼女の立ち姿は、優美。
玲瓏なイノセンスを冷艶なクラストで閉じ込めた、凛然たる少女。
「あなた、クラスではぶられてる問題児よね? なんでこんなところにいるのかしら? もしかして、私のストーカー?」
いきなりなご挨拶だが、まあクラスでの俺の扱われ方なんて、こんなものである。
このドギツイ言葉の刃を眉一つ動かさず言ってのける彼女は、同じクラスの黒羽玄葉(くろばねくろは)。
おそらく、この学校一黒髪ロングの似合う美少女だ。
そして、服装自由のこの学校で唯一、毎日指定の制服を着用している優等生。
ただ、美しすぎるが故に刺のある目付きと、絵に描いた様な高嶺の花ぶりに、クラスでは孤立している。もはやカーストの枠組みにすら、彼女は収まっていない。孤高。
なにせ、黒髪というと清楚な印象を受けるが、彼女のそれは、もはやそういう次元を超えて、高潔とか、高貴とか、そういう域に達してしまっているのだ。その何者にも染まらぬ漆黒は、彼女の誰とも交わらぬという内心を代弁しているかのようにすら感じる。
ゆえに、人は彼女に近寄れない。
近づくと、その雪の女王のような凍て付く美しさに、その身を硬めてしまうから。
え、俺? 一年前の俺はもちろん告白したよ。痴漢撃退スプレーで見事撃退されたけど。
「なにを黙っているのかしら。私が聞いているのよ。答えなさい」
急に視界に入ってきた彼女の美貌、加えて、こんなところで彼女の姿を見てしまったという衝撃と恐怖にちょっと気後れしていたら、この始末。
まるで女王様かなにかのように横柄な言い様だが、彼女の外見や実力、俺の社会的地位の低さと実績を鑑みれば、そこまでおかしくはない。むしろ残当。
「いや、なんというか……散歩? 散歩してた」
「なぜ?」
それを言いたくないから散歩なんて言い訳をしていたんだけど。
だって四鬼条探してたとか言うの、なんか恥ずかしいじゃん?
「べつに理由なんてないんだけどな。逆になんでこんなとこで歯磨」
「ねえ、今尋ねているのは私。そんなこともわからないのかしら」
俺の言葉をぴしゃりと遮って、黒羽は綺麗な顔をしかめる。
「だから理由なんてないっつってんだろ」
「へえ、じゃああなたは理由もなく昼休みの間中、校舎を徘徊していたの? 貴重な高校生活の大部分である昼休みを棒に振ってまで? 知らなかったわ。あなたって夢遊病患者だったのね。それとも、多動症? だからいじめられているの?」
「お前さあ、障害とか精神疾患をいじめの原因に求めるのは不適切だろ。優等生っぽいのにそういうとこはそのへんの奴らとかわんないのな」
「あら、あなたの次元に合わせて分かりやすく話してあげているという私の気遣いが気に障ったのなら謝るわ。でも、勘違いしないで欲しいわね。別に私はその手の理由で人を差別したことはない。現に、あなたへのいじめにだって、私は一度たりとも関与したことはないもの」
確かにそうですね。防犯ブザーを鳴らされたことはあるけど。
「でも、止めようとはしないんだな」
「ええ、別に私にとって、あなたはなかんずく大切なものというわけでもなんでもないんだもの。悪い?」
「いや、責めてるわけじゃねえよ。むしろ加害者になっていないだけありがたい」
「そう。でもこれだけは理解して欲しいわね。私にだって、いじめというものは見ていて気持ちのいいものではないの。でも、私の見える範囲でそれを咎めたところで、結局対象が別に移り変わるだけ。何も解決しやしない。私、意味のない事はしたくないの」
それは、事実であり、正論であった。
しかし人間というのは嘘をつき、建前で会話してその関係を作っていく生き物だ。なぜなら、そうしなければ人と人とは衝突してしまうから。
それでも彼女は、気休めも気遣いもなく、ただただ正直に本音を口にした。大して仲良くもないどころか、疎んでいるであろうこの俺に。
その結果、俺がどう思うかなど気にしていない。
しかもそれはたぶん、俺にだけでなく、彼女が接する全ての人間に対しても。
だから、そのあり方はやはり、校内で黒羽玄葉が孤立無援となっている一因なのだろう。
だが、そんな彼女を、俺は。
かっこいいと、好ましいと、ただ、そう感じていた。未だ苦手ではあるが。
「なるほど。かっこいいね、黒羽。俺やっぱ好きだわ、お前のこと」
故にそれは別に恋愛的な話ではなく、人間的な意味で言ったのだけれど。
「やっぱりストーカーだったのね。言い訳はいらないわ、職員室まで一緒に来なさい」
彼女は当然そう解釈する。
さらには、それを言うに留まらず、俺の手を取り、本気で連行しようと歩き始めた。
融通の効かない奴めと思うのは簡単だが、このタイミングでこの堅物にあんなこと言っちゃった俺の方が悪い。なんてこった。
とりあえず、このままではまずい。これ以上悪評が学園に広まったら、さすがの俺も登校拒否になっちゃう……。
そういうわけで俺は、渋谷で女の子をナンパしてる金髪のお兄さん並に必死で釈明した。
「いやいやいやいや、それだけは止めて! お前と俺の言うことじゃ絶対お前の言うことが信じられちゃうから! 冤罪がまかり通っちゃうから! マジでごめんって! いきなり好きとか言ってごめん、でもほんとストーカーではないから!」
「ならとっとと私の納得出来るあなたがストーカーでない理由を提言しなさい。さもなければあなたの明日からの学園生活は更に過酷なものとなるでしょうね」
「おいおいお前さっき加害者にはならないって……」
「5、4、3、……」
なんのカウントダウンかは不明だが、唐突に数字を唱え始める黒羽。
それは意図が明言されていないが故に明確な破滅のイメージを頭に思い浮かび上がらせ、俺は焦燥から矢継ぎ早にクラスメイトには言うべきでない事実をまくし立てた。
「はい待ってごめんじゃあこれならどうだ俺はここのところ毎日三鷹先生に求婚している、故に俺は別の女性に惚れているのであってお前のストーカーなどする理由がない!」
「それはこの私に、彼氏持ちを公言している交際をするにはただでさえ倫理的問題が著しく生じる女性――しかも教師――に対し生徒の身でありながら言い寄っている性欲に脳内をやられたとしか思えないキチガイケダモノ男の言うことを信じろということかしら?」
あれ、そう言われるとたしかに俺がマジで頭のおかしい奴みたいに思えてくるな……?
少し冷静になった俺は、しかしそうするしかないので大人しく首肯。
「い、いえす……」
「じゃ、職員室に行きましょうか」
おいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!
それじゃあただ俺が俺の痴態をお前に意味もなく告白しただけじゃねえか!!
俺は今更ながら、黒羽の理不尽さに憤慨。
職員室へと俺を強制送還しようとしている彼女の手を無理矢理に払った。
というか、そもそもがおかしな話なのだ。
「……あのさあ、いい加減にしろよ黒羽。お前昼休みにすれ違っただけで人をストーカー扱いとか、完全にいじめだからな?」
俺がそう言うと、彼女は払われた自分の手をまじまじと見つめて、心外だとでも言うように。
「それだけでそう判断したわけではないのだけれど。だって客観的に評価して、あなたの評判、信用、それにその今も私に向けられている俗悪な視線、それとあなたのような下劣な人間と何ら接点の存在しないこの清純な私が昼休みに何の作為も介在せず偶然出会う確率の低さ、それらを加味した上で考えれば、そう断ずるには十分でしょう?」
いや、そのどこが客観? それ半分くらい君の主観入ってたよね?
「え、ごめん。かわいいなあとは思ってたけど、そんな目で見てるつもりはなかった」
「なにを健常者ぶっているの? あなたの目つきはそんなに生易しいものではないわよ? あなた、完全に私のことを犯そうと考えていたでしょう? この異常者」
「いや、さすがにそれは言いすぎだろ……」
急に黒髪美少女の口から放たれたそっち方面の単語に衝撃を受けてしまう。
「でも私と出来るならしたいでしょう?」
「そりゃしたいわ!」
唇に人差し指当てながら美少女にそんなこと小首かしげて言われたら、そりゃもう条件反射の脊髄会話よ。
「やっぱりそうなんじゃない。変態」
「今のは誘導尋問だろうが! それと正直者だと言ってくれ」
「だったら早く正直に私のことをストーカーしていたと白状してくれないかしら。変態さん?」
「だから違うつってんだろ! つーかお前その見た目で意外と下ネタOKだったのかよ」
意外すぎるだろ。クラスのみんなが知ったら悲しむぞ! たぶん密かにお前に憧れていた大勢の男子が! なんなら女子も! 中には逆に興奮する変態もいるかもだけど!
しかし。
「その見た目ってなに? あなたみたいな人しか下ネタを言ってはいけない決まりでもあるの? 私みたいな人がおっぱいとかおちんちんとか言ってはいけないの? そんなこと、誰が決めたわけ?」
彼女は至って真面目に、というか、かなり本気でその言葉に反応した。
それも、表面上こそ氷点下だが、内では沸騰しているであろう怒火でもって。
なにかが彼女の琴線に触れてしまったらしい。
いやでもだからって、そんな過激な言葉使わないで欲しい。
生の女の子に直接そんなこと言われたのは初めてなので、しどろもどろになってしまう。しかもこの子、めちゃくちゃ可愛いもんだから、インパクトがやばい。
「なんか、ごめん……。でもお前みたいな顔の子に面と向かってそういうこと言われると、えーと、ちょっと、その、普通の男子は緊張しちゃうから、やめたほうがいい、よ……?」
「やっぱり変態なんじゃない。というか、第一私は出来るとかしたいとかいっただけで別に下ネタは言っていなかったのよね。あなたが変態だからそう変態的に解釈しただけで」
「もう致命的なのを言ってるけどな……」
それとあの時のお前の表情、完全に確信犯だったぞ?
「誰かに他言したら、生まれてきたことを後悔させてあげる」
そう言いながら、スカートのポケットの辺りに手を伸ばす彼女。
俺は彼女のそのわずかな仕草だけで、トラウマが瞬時に二つ、フラッシュバックした。
「じゃあ言うなよ……」
「明日からクラスで迫害されるあなたへクラスメイトとして最後の餞別をと思った私の東シナ海よりも広い慈愛に対してその言い方はどうなのかしら? あなたには人の心というものがないの?」
「本当に慈愛がある奴はそもそもこんな言葉攻めしない!」
ていうか、本当に広いことを伝えたいなら東シナ海とかじゃなくて太平洋だろ……。こいつの成績的にわかってて言ってるんだろうけど。謙遜が得意じゃなくて特異過ぎんだよなあ……。
「興奮してるくせに」
じとっとした目で睨めつけてくるが、そんなことはない。ない、はず。ない……よね?
「してねえよ! たぶん! つーかむしろしてるのは困惑だよ」
「はあ?」
何言ってんだこいつ? みたいな目でこっちを見てくる黒羽。
相変わらず綺麗な顔だが、そんな目の美少女と目があっても、何も嬉しくない。
「なんでお前が困惑してんの……」
「この私と会話をして嬉々としこそすれ、困惑する男子なんて、この学校にいないでしょう?」
「は?」
今度は俺が絶句する番だった。
「あ、ごめんなさい。そうよね。学校じゃなくて世界にいないわよね」
「そこじゃねえよ!」
自分の見目麗しさに世界レベルで自信が持てるってこの子どんだけポジティブなの? 知らんけどもしかして毎日鏡と一時間以上会話してたりすんの? なんなの?
いやまあ確かにその雪肌に乗った整ったもんと、さっと流れる黒髪の組み合わせは最強だけども。なんならクールジャパン代表余裕でしたってな規格外だし。世界の覇権も秒読よ。こいつの場合クールの用法がブリザードな感じになっちゃうけど。
あ、でもダメだわ。日本ではその価値が正しく評価されている貧乳も、まだ世界的にはアウツ。減点だ。くそっ! 世界一の座が、そんな理由で……!
そんな経緯で、俺はちらっと彼女のつつましい胸を見た。彼女のたった一つの短所である、そこを。
すると、「態度はでかいくせに、胸は小さいんだねー」という冗句がふと浮かんできて、俺はたったいま脳内に着工したこの恐るべき自爆装置をどう外部へ漏らさず処理すべきかという一大プロジェクトに着手せざるを得なくなった。
これが巨乳好きの業なのか……。
はっ……!
俺はなんて罪な妄想を……。それこそこれがバレたらストーカー疑惑云々なんかよりよっぽどひどい仕打ちを受けそうだ。
しかし黒羽は俺が心の中で彼女をミスコン優勝の舞台に立たせているなどとは知る由もなく(あってたまるか)、まだ戯言を続ける。
「え、もしかして世界じゃなくて、銀河? 私のことを天文学的に可愛いと言いたいのかしら? でも、神様って残酷ね。あなたのような人がそんな口説き文句考えたところで時間の無駄だもの。今すぐ止めた方がいいわよ?」
「俺はそんなこと考えてねえから! お前が勝手に言い出しただけだから! 人の話聞け?!」
「人の話なら聞くけれど。……それとさっき私の胸見てたわよね? 殺すわよ?」
あ、バレてたんだ(絶望)。
「え、なに、俺のこと間接的に人非人って言いたいの? まあ実際教室での俺の存在ってそんな感じだけども。……胸に関してはマジでごめんなさい」
俺は保身の為、自虐ネタを暴露し自分の身分が彼女より低いことを言外に証明することで擬似的に謙譲り(非実在性動詞)、かつ、同情も誘い、許しを得やすくするという高等テクを駆使して、彼女に謝罪する。
みたか! これがぼっち固有スキル、
しかし。
「……そういえば次の時間は体育だったわ。急がなきゃ」
彼女はそう言って立ち去った。
タッタッタッ……、という軽快な足音がリノリウムの上に消えていく。
それは、一人の対等なクラスメイトに対して行っていい行為ではなかった。
人気のない廊下に、一人取り残される、俺。
そのいきものは、黒羽玄葉から人間未満の存在だと認識されているらしい。
「は?」
俺は一人虚空に問いかけた。
キーンコーンカーンコーン。
まるで校舎が返事でもするかのように、チャイムが鳴った。
こうして、灰佐勝利の昼休みは終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます