第二限 強きに媚びて、弱きを挫く ~orange seventeen~

第10話 曇天オレンジ

「ちょっともー、サーヤってば長くないですかー? うち、めっちゃ待ったよー、もー」


 例のキョロ充オレンジ女――辺見緋凪は、そう言って生徒指導室へと入室した。

 ちなみサーヤというのはカースト上位の人間だけが(暗黙のルール的に)呼ぶことを許されている三鷹沙夜先生の愛称のことを指す。

「って、げっ……。なんでハイシャと、オニがいるわけ……?」

 で、このハイシャってのは俺の苗字である灰佐を文字ったものかな? たぶん。あのさ、俺の名前、勝利なのに、敗者ってあだ名つけられるってなんなの? 皮肉なの??

「それは、緋凪のお悩みを解決してくれるのが、この二人だからです! どう? たのもしーでしょー?」

「サーヤ、それまじで言ってんの? この二人で解決できるような悩みなんて到底あるとは思えないんですけど……。せいぜいが文化祭の演劇で変人役のエキストラが必要になったとかそのてーどでしょ」

「ノンノン、緋凪―。こう見えて二人とも、友達を作るとか、クラスでうまくやるとか以外の能力は結構高いんだからー。成績もいいほうだしねー」

「はあ? まじで? なにそれ? 典型的なやべえやつじゃん……」

 なんかいきなり人の顔見て「げっ」とかのたまった挙句罵倒し更にドン引きするとかいう、失礼極まりない三段活用をしてくれちゃった辺見。

 あと意外に辛辣な三鷹先生。

 しかも成績が良いという褒められるべき案件すら、キモがられるという理不尽。

 俺はとうとう口を開いた。

「おい、お前、黙って聞いてれば言いたい放題言いやがって。お前こそ外見取り繕って馬鹿男に股開くしか能がねえくせにでかい口叩いてんじゃねえぞ」

 すると辺見は、まるで道端で蠕動するミミズでも見るかのような目で。

「うっさいな、陰キャ! あんたと話してるとこっちまで根暗になるし! 黙っててくんない? そもそもうちは誰とも付き合ってなんかないし! 言いがかりとかやめてよね、ハイシャのくせに! まじできもいから! 近寄らないで、負け組がうつる!」

「お前さ、小学生じゃねえんだから、そんなバイ菌ごっことかして悲しくなんないの?」

「あんたこそ、いっつも教室に一人でいて、生きてて悲しくなんないの?」

 この娘はほんと、底辺カーストのクズどもには容赦ねえな……。

「はあ? 俺はかつて部活に打ち込み過ぎて中学の頃もクラスでぼっちだった筋金入りの独り人間だからな? それがなんだよ、今更、その年数がちょっと増えたくらいで、別に悲しくなんか、悲しくなんか、ねえし…………」

「うっわ、かわいそ……」

 やや心が折れかけた俺に対し、哀れみという名の追い討ちをかけ、KOを狙いに来る辺見。最近の女子高生はやることがエグい。

「おい、その友達が多いやつほど勝ち組、みたいな学生特有のおめでた思考で上から目線に人を見るのを止めろ!」

 別に友達なんて心の許せる親友が一人いればいいんだよ! なーにが友達百人できるかな? だ。ふざけんな! ちゃんちゃらおかしいわ! 馬鹿なの? ビッチなの?? くたばれ八方美人が!

 ま、ぼくにはそのたった一人の親友すらいないんですけどね。悲しいね。なんでかな?

 俺がそんな風に少し打ちひしがれていると、なんかホラー映画でも見てるときみたいなおそるおそるといった感じで、辺見が問いかけてくる。

「もしかしてさ、あんたが一年の時あんなことしたのってそれが原因なわけ……?」

 ああ、それ、聞いちゃう?

 てかやっぱ君、キョロ充なだけあって、そういうのに関してだけはマジで察しがいいね。

 隠していたわけでもないし、俺はヤケクソ気味に、打ち明けることにした。

「そうだよ! 中学んとき、バスケ部入ればモテると思ったのに、真剣に三年間をそれに費やしてたら気づけば女子どころか男子さえ遠ざかってたからな……。こんな思い二度とするかと思って、高校入った直後、もう単刀直入に女子に告りまくったわけだ」

 そう、辺見の言うあんなことというのは、一年の始め、まだ入学して間もない頃に、俺が自分のクラスの女子全員に告白し、無事全員に振られたという悲しい事件のことだ。

 そして、その後も懲りずに他クラスや他学年の、今度は顔のいい子だけに告白して回っていったあたりで、俺はいつのまにやら、見境のない面食いの最低変態性欲猿として全校生徒に認知されるようになっていたんだよなあ……(遠い目)。

 そんなわけで、そのやらかしを機に、恋人をつくるどころか、友達すらつくることの出来ぬような、針のむしろが如き学園生活が始まったのである。

 みんなに嫌われているのも、いじめられているのも、全部そのせいだ。

 ま、完全な自業自得なので、誰かを恨んだりはしていないが。

 強いて言えば自分の若さを恨んでいるかな。なんて。

 なのに。

「あっはは、まじうける! あんたほど盛大に高校デビュー失敗した残念な男子高校生っていないんじゃない? ちょー、まじきもすぎるんですけどーw」

 辺見は俺の悲しい過去を聞いて爆笑していた。

 人の不幸は蜜の味というが、もうちょっと自重してほしい。

 こいつ絶対俺みたいな不可触民にならなに言ってもいいと思ってるだろ。

 俺は自分でもかなりポジティブかつアホな馬鹿だと思っているが、それでも傷つくときは傷つくんだからね!

 

 ~傷心中~


「うっせーブス! バーカバーカ!」

 メンタルがしんどすぎて無意識に幼児退行してしまった……。

 すると辺見はすかさず、おいうち。

「語彙力ww」

 なんなの、こいつ、バンギラスなの?

 ……いや、こんなオレンジ髪女にあんなかっこいいポケモンをなぞらえるなんて、ナンセンス。ありえない。かっこいいものに憧れる全国の小学生が黙っちゃいないだろう。

 俺としたことが、ナイーブになって本質を見失うところだった。

 こんな、周囲に同調するしか能のない女に負けてたまるか。

 俺はキッと彼女を睨む。

 目と目が合った。

 つまり、バトルの合図だ。辺見の方は、うえって感じの顔してるけど。

 そんなのは関係ねえ。

 脳内で荘厳なBGMが流れ出す。決戦の火蓋が、切って落とされた。

「ああ、なんだあ、てめえ? 俺と語彙力バトルしようってか? そのいかにもオツムになにも入ってませんよーって喧伝してるみたいなオレンジ髪揺らしながら?? はは、ちゃんちゃらおかしいなァ、クソビッチが! おい、じゃあ言ってみろよ、お前。最後に受けた現国の点数何点だ?」

 とりあえずなんか見た目とか口調が頭悪そうな感じなので(この感想も頭悪そうだけど)、俺はそこから攻めることにした。

 この手のバトルにおいては、弱点をつくのが肝心である。

「は、はあ? そんなの今は関係ないし! 急に早口でしゃべりだして、何? ほんと、まじきもいんだけど。ビッチじゃねえし! ハイシャの癖にイキんないでくれる?」

 ほら見ろ、まだまだ元気こそあるが、ちょっと口調がたどたどしく――

「はいはーい、そこまでー。二人ともー、いいーかげんにー、しろっ!」

「いたっ!」

「痛って」

 三鷹先生のげんこつによる介入。まさかのノーコンテスト。

「本心を話し合うのはいいことだケドー、あんまり悪口ばっかりじゃー、お互いつらいじゃん? もっと相手を思いやること。いい?」

 ちっ、いいところだったのに……、という気持ちはもちのろんに有り余っていたが、先生の「ね?」みたいなウィンクの前では全ての苛立ちが水泡に帰した。

 ま、だからといって辺見のことが嫌いなのに変わりはないんだが。

「なんでこんな流され女のこと……」

「そもそもこいつが悪いとおもうんですけど」

 ああ?

「そんなこと言ってー案外、仲良くなっちゃうかもよー? ほら、喧嘩するほど仲がいいっていうじゃん?」

「ありえません!」「ありえないし!」

「ハモりながらそんなこと言われても説得力ないぞー?」

 仇敵と同じタイミングで同じような内容を口にしてしまい、その上それを先生に指摘されるという、まさかの、唾棄すべき事態。

 それによってもたらされた屈辱と憤怒と羞恥は、俺達を罵詈雑言へと駆り立てた。

「ちっ、二度とその穢れた口をひらくな、汚物がひしゃげ出る」

「はあ? あんたこそ黙ってくんない? 耳が腐るんですけど。死んだら?」

「まったく、二人ともー、つんでれ、ってやつだねー。シャイなんだからー」

「どこをどう好意的に解釈したらそうなるんですか……」

「サーヤ、まじでやめて。こいつにデレるくらいならまだ相田くんと付き合った方がまし」

 ん? 相田ってのは確か……?

「お、なんだ? その相田ってのがお前に最近つきまとってる男子ってやつか?」

 少し思い当たる節があったので、まあ、さすがにそいつではないだろうけれど、辺見をちょっとからかってやろうと思って、そう言った。

 だから、それは、ほんの軽い気持ちで放った、冗句だったの、だが。

 辺見緋凪は。

 豹変した。

「は、ちょ? なんであんたがそれ知ってんの……? 待って無理無理無理無理!!! ほんとキモい、え、なんで、マジで怖いんだけど……。ストーカー……? こわいよ……。へ、ちょ、ちょっともうこれ以上近寄んないで…………っ!」

 座っていた椅子から転げ落ちるのではないかという勢いで、びくんと体を揺らし、目の前に置かれた机の底に膝をぶち当て。

 ガクガクと震えだして肩を抱き、その顔からは、サーっと血の気が引いていった。

 語るまでもなく声は震え、目は焦点を失っている。

 尋常ではない。

 カタカタと揺れる椅子の音が、彼女の心情を代弁しているかのようだ。

 そこには果のない恐怖、不安、怯えが滞在している。

 彼女の尋常ではない様子に、この場の空気までもが変質していく。

 そして、彼女がこんなふうになってしまった引き金を、意図せずも引いてしまったらしき俺は、とんでもないことそしてしまったという責任感から、必死で弁明する。

「あ、いや、別にそういうんじゃないから。あのゴメン。お前が真剣に悩んでることなのにからかって悪かった。その点については謝るから、そのお化けを見るみたいな目、止めて? いや、それガチの怯えすぎてこっちまでトラウマになるやつだから」

 そうなのだ。なんであんな何気ない一言で彼女がここまでおかしくなってしまったのかは不明だが、今の彼女は、マジで命の危機にでもあるんじゃないかてくらい、ガチで俺に対し、怯えている。

 まるで俺が、彼女のことをレイプでもしようとしているかの如くに。

「ひっ……。や、やあ、こないで…………」

 こちらは近寄ってなどいないのにそう言って、カチカチ歯をならす彼女は、幻覚に襲われているという妄想に取り憑かれた薬物中毒者のようでもあった。

 そんな彼女を、三鷹先生は柔らかく抱き留めた。

「緋凪、緋凪、ちょっと落ち着いて。大丈夫だから。大丈夫だから。たしかに、君からみたら、勝利はそう言う人に見えるかもしれないし、ひどい前科もあるけどさ、根はいい子だしもう改心してるから。安心して。彼がそれを知ってるのはね、センセーがちょっと先走って相談しちゃったからなの。ごめんね、勝手なことして、緋凪を不安にさせちゃったね。それについてはさ、謝るからさ、ちょっと一旦、深呼吸しよっか」

 その先生の羽毛みたいにやわらかい言葉と温もりに、辺見は少しだけ正気を取り戻したらしく、体の震えは、やや小刻みになってきたようにも見える。

 だが、その目元には涙が浮かび、その声には絶望の色が付いていた。

「な、なんでそんなこと……。サーヤ、ひどいよ……。そんなことこいつに言ったら、うち、もう終わりだよ……サーヤにそのこと相談したのもばれて、みんなからはぶられる……。おわった、おわった。うちの高校生活、おわっちゃった…………」

 彼女はしくしくと、この世の終わりでも見たらしく、普段ならなによりも気にしているはずの人目さえ無視して、泣いた。

 それを見て、俺は。かなしくなった。いたたまれなかった。

 こんなやつ大嫌いなはずなのに、それでも、少なくとも、泣いては欲しくなかった。

 いつのまにか、口がひらいていた。

「あのさあ、お前、誰よりも人間関係に長けてるんだからわかるだろ。そんなこと俺がクラスの誰かに言ったとして、信じる奴がいると思うか? 俺の発言なんて誰も信じねえよ。明らかにカーストが上のお前の言うことをみんな信じるだろ」

「信じるとか、信じないとかじゃないの! 噂が流れただけで、気まずくなるじゃん……。それでさ、そうなったらもう、今の関係には戻れないし、相田君とのそういうのがあったってなったら、絶対アイカに嫌われる。そしたら、そしたら……、おわりなのっ!」

 彼女は、存外、反撃してきた。

 でも、なんだかそれがちょっと心地よくもあって、俺は頭がおかしくなったんじゃないかと、不安になった。

「めんどくせえな……。第一俺はほかの誰にも言わねえし、そもそも言う相手なんかいねえよ。だから噂にもなんねえ、どうだ、安心したか?」

「たしかに、あんたは友達いないけど……。でも、きっとうちのこと嫌いなやつなんていくらでもいるし。そういう奴にあんたが取り入れば噂なんて簡単に出回る……。そんなこともわかんないから、あんたはぼっちなんだよ。これまでどうやって生きてきたわけ?」

「うるせえな。ただ毎日ママのごはん食べてただけだっての。それさえあれば人間は生きてけるの。友達なんていなくてもな。つーかなんで俺がわざわざ手間暇かけてそんなくそ下らない噂流す手伝いするとかいう風にお前は勘違いしちゃってんの? 馬鹿なの? かまってっちゃんなの? それともなに、自意識過剰?」

「だって、あんたうちのこと嫌いじゃん……。しかも昨日とか、うちのせいで……」

 親に怒られた子供がいいわけする時みたいな口調だった。

「ああまあ確かに嫌いというか、もはや死ねとすら思ってるな」

「ほら……」

「ちっ。なにやけになってんだよ。うんうんそうですね、俺はお前のことを藁人形で呪い殺そうかなと思うくらいには嫌いだよ? でもさ、だからってそんな陰湿な手段でいきなり、お前の生活を滅茶苦茶にしてやるー! とはならんだろ」

「何? この期に及んで綺麗事? 偽善者ぶんないでくんない? うちはさー、いままでそんなことばっか表では言ってるくせに裏でいくらでも嘘付いてる人間見てきたよ? 嘘つかない人なんていないの。あんただって子供じゃないんだから、わかるよね?」

 怯える・泣く・拗ねるの次は、逆上か。なんともまあ、女の子って感じ。

 しかし困ったもんだ。

 俺は割とさっきから本心を言っているのだが、辺見はその境遇的に猜疑心が強いらしく、なかなか信じてくれない。俺、嘘とか、嫌いだし、あんまつかないんだけどな。

 とはいえ、同じ時を過ごしてはいるが、住んでいる領域の高低差があり過ぎる俺の言葉なんて、彼女にとっては別言語みたいなものなのだろう。

 そう思い、ここは緊急事態だし、譲歩してみることにした。

 相手の立場になって考えるという奴だ。教師が生徒へやたら言ってくるアレ。

 だって、たぶんこう言った方が、お前は納得するんだろ?

「いやそりゃ俺だって嘘はつくよ? でもさ、メリットがあるからみんな嘘をつくわけで、なんの旨みもないのに嘘付いたりしないんだわ」

「だからうちがいまの居場所失うの見て笑おうってんでしょ! 最悪っ!」

「……人の話聞けよ。得意だろ、キョロ充なんだから」

「なんでハイシャの言うことなんか聞かないといけないのよ!」

「まあいいから聞けビッチ。俺が今更お前のスキャンダルのとくダネもってって誰かに告げ口したところでなあ、ただでさえ悪い俺の評判が地に落ちるだけなの。わかれよ。今でもくっそ嫌われてるのに、そんなことしたらさらに人の悪口を影で言う最低な人間という悪評まで広まるだろうが。なんで俺がお前ごときに嫌がらせをするためにそんな釣り合わない対価を払わないといけないんだよ。おかしいだろうが」

「まあ、それは、そーかもだけど。……でもそれは、こうも言えるよね。もう極限まで嫌われてるんだから、今更どんなに評判が落ちようが関係ないともさ」

 辺見は、最初納得しかけたようだったが、反転、なかなかに的を得た反論をぶつけてきた。

「さすが、交友関係が広い八方美人は言うことが違うな。痛いとこをついてくる。でもな、そうでもないんだわ。俺は今、ありえないくらいこの学校の人間から嫌われているが、ここに二人、例外が存在する」

 俺がちょっと嬉しそうにそう言うと、辺見はやっと本調子に戻ってきたのか、ドギツイ蔑視を俺に向け、言う。

「はあ? あんた昨日の告白まじだと思ってんの? どんだけ馬鹿なわけ? あんなのウソ告に決まってんでしょ? それに気づいたからフッたんじゃなかったの? なんなの、まじできもいんだけど……。不快……。半径二kmに近寄らないで……!」

 比喩とか誇大表現ではなく、ガチでそう思ってそうなのが、本当にしんどかった。

 あと、ウソ告なのは知ってるから。

「いや、バカなのはお前だ辺見……。なんでナチュラルに自分が好かれてるとか勘違いしてんの? なんなの? 少女漫画の主人公かなにかなの? それともなに? マジで俺がツンデレだとでも思ってたの?」

「はあ? 意味わかんない。ほんっときもいなハイシャ。何言ってんだおまえ? あんた一年のころ、真っ先にうちに告ってきただろうが!」

 あっ……(若かりし頃の過ち)。そんなことも、ありましたねえ……(昔取った失策)。

「え、あー、そ、そうだったね……。うん、それについてはごめん。だって緋凪ちゃん、顔だけはすげえいいんだもん。そりゃ一目惚れるでしょ」

「ああ? てめーらきもい男子の事情なんてうちは知らねーんだよ! 次あんな舐めたことしたら、二度とそういうことが考えられないような体にしてやるからな……!」

 凄まじく自分本位で滅茶苦茶で暴力的な発言だったが、かつての俺がしたことを鑑みれば、正しいのは彼女だった。

 しょぼんとしてる辺見を励まそうと(?)して話を始めたはずが、なんでこんなことになっているのだろうか。

 わからない。謎だ。

 わからないが、とりあえず、この話は終わりにしたい。

「あ、はい。すいません。……ところで、話を戻してもいいですか?」

「勝手にすれば?」

「あ、あざーす。じゃあ、さっきの例外の二人についてなんですけど……」

 辺見様から戴けた温情に甘んじて、俺は話を戻す。

 あれ、こんなすんなり許してくれるって、コイツ、思ったよりいい奴だったんじゃね? とかちょっと思ってしまったが、たぶん、違う。

 アイツにとってもあれは、嫌な思い出だったのだ。きっと。

 あのことは、お互い、忘れよう。双方にとり、それが幸せである……。

 さて、ではいくぞ。

 俺は得意の厚顔無恥っぷりを発動し、昔その容姿にガチ惚れして告った相手に対し、唾を吐きかけながら、説得を開始する。

「算数が苦手なお前の為に説明してやるとな、ここにいるお前を除いた女子二人のことだ。三鷹先生と、四鬼条。この二人は俺に割と普通に接してくれている。だからこの関係は保持したい。でもさっき言ったような形でお前に嫌がらせをすればそれは叶わないだろう? だから俺はお前の秘密を守ってやる、これでも納得できないか?」

「ふーん、まあサーヤはやさしいしね。で、オニとは同じ変人同士で傷を舐め合ってるってわけ? まあ、筋道は通ってるけど。でも物証がないよね?」

 彼女は、体感、80%くらい納得していたが、それでも灰佐勝利という人間が嫌いであり、故にどうしても信じたくないらしく、まだ言いがかってくる。

 どうしたものかと思っていると、なんともまあ狙いすましたかのようなタイミングで、三鷹先生が割り込んできた。乱入ペナルティで二千ダメとかは特にないらしい。

「はいはいはーい、それについてはセンセーが保証します。それじゃだめ?」

 ちゃらけた雰囲気の中に、反抗の芽を潰すような、有無を言わせない、一見するとやさしい、けれどひどく強力で静かな、圧力が隠されている。

 それを少し、恐ろしく感じた。普段の彼女には、ないはずのものを覚えて。

 だから、辺見も。

 あるいは。それを感じ取ったのか。

「…………まあ、サーヤがそう言うなら、それでいいよ」

 長い沈黙のあと、諦観と共に、彼女はそう吐き捨てた。

「やっぱり、こんなセンセーの一言だけじゃ、不服?」

 その投げやりさにかけられた先生の言葉は、対話のようで、譲歩のようで、しかし、そうではなく。

 むしろ、脅迫染みてすら、いた。

「まあ、それはそうだけど……。でも、いつまでぐちぐち言ってても仕方ないし。うん。わかった。ハイシャはうちを売らないんだね? 約束だから」

「ありがと、緋凪」

 そう言うと先生は、もう一度強く辺見を抱きしめた。

 べ、べつにうらやましいだなんて思ってないんだからね!

 そ、そんなこと言ったら俺なんて先生にシャーマンスープレックスかけられたことあるんだから!(唐突な自分語りと糞以下のマウント取りが合わさって最低にみえる)

「……そういうわけだから、とりあえずは納得してあげるし。サーヤに感謝したら?」

 相変わらず俺にだけは態度のでかい辺見に対し、幻滅しかない。

「え、先生の一言で納得するならさっきのやりとりいらんくない? なに? 茶番?」

「ばっ、うっさいな! だからあんたはハイシャなんだよ! 察しろし!」

「はあ? 知らねえよ、んなもん。この年から更年期ですかー?」

 まあ、でも、涙は引いたみたいで、よかった。

 俺だって、それくらいのことは、思う。

 思わず、ふっ、と。笑みがこぼれた。

 そんな俺を見て、やはりあいつは、公衆トイレの臭いに顔をしかめるのと同じ要領で顔をゆがませ。

 そして俺は、その怪訝な面にあっかんべえをする。我ながら、幼い。

 だというに、こんな有り様への先生のコメントは、オールフィクション。

「うんうん、なんだか二人の仲が進展しそうだったのでさっきは黙って見守っていたわけだけど、なんだかうまくいったみたいじゃん?」

「「どこが!」」

 思わず声を上げたらさっきみたいにハモり、死にたくなった。

「ほらね?」

 さらに、そういう心境の俺たちへドヤ顔とともに向けられた先生のその言葉は、いとも容易く舌を自律駆動させ……。

「「ちっ……」」

 またハモってしまった。……なんなん?

 は!? もしかしてコイツ、俺のこと好……(ないです)。

「あらあら、大変仲がよろしいことでー。てなわけでー、じゃー緋凪、例の相談、この二人にしてみなよ?」

 また否定してハモったらいやだったので否定はしなかったのだが、なんだかその思考まで被っていたらしく、彼女も否定を止めて口火を切った。

「はあ……。もうバレっちゃってんなら、そうするしかないのかな……」

 辺見も、もう、いい加減色々あって疲れているのだろう。だいぶ先生の言葉に流されている感じだ。

 ……あ、流されてるのはいつものことか。

 ちなみに、先生はこの二人と言ったが、どうみても四鬼条は寝ている。あんなことがあったにも関わらず。もしかしてこの子、大物なのでは?

 そして、この会話の展開的にすべてを悟った俺は、先生に耳打ちする。

「なるほど……。先生、つまりこの部活ってのはそういう部活なんですか? 学園の万事屋的な?」

「そゆことー。じゃ、センセー他にもお仕事あるからぁ、あとは任せたー!」

 三鷹先生はそう言って、生徒指導室を出ていこうとする。

「まじかよ……」

 一方、俺はわりと今後のことを考えて欝になり、辟易しながら絶望していた。

 しかし、その末路に気付いていない辺見は、喚き出す。

「え、どこ行くのサーヤ……!? こんなやつと同じ空間に居たくないんだけど! ねえ! まって! おいてかないでってば……!」

 だが、そこには残酷な現実しか待っていない。

「まあまあ、きっと力になってくれるってー。また明日―」

 先生はそう言って扉を閉めた。

「…………」

 生徒指導室には、俺と辺見と……一応、四鬼条、だけが取り残された。

 すると開口一番。

「とりあえず……死ね!!」

 ようやく先生の思惑を理解したらしい辺見は、言葉のナイフを投げつける。

「それが相談者の態度かよ……」

 俺は刺さったナイフをガラスのハートからやさしく引き抜きながら、傷口から流れ出ていく感情に溜息をつく。

 はあ……。

 そういえば、彼女は。

 さっきの一波乱で、自分の髪やメイクが乱れてちょっと悲惨な感じになっている、ということに気付いていないのだろうか。

 個人的には、彼女のこの姿というのは、不思議と、なかなかどうしていいな、なんて思ってしまっているのだけれど。なんというか、素を垣間見てしまっているような感じで。

 そんなことを、今更。彼女に言えるような仲でもなし。

 それに、さっきはああいったけれど、彼女に少しくらいイタズラをしたいという気持ちも、あったりして。

 自分でもよくわからないままに、こんなことを言ってしまう。

 目の前でむすっとしている、俺がこの学校に来て、初めて好きになった女の子に。

「おら、黙ってないで、クラス一のイケメンからつきまとわれて困ってますー、っていう勘違いブスのホラ話を聞かせてくれよ」

「はあ? 誰がブスだし?! うちにむかしコクったたくせに!」

「うっせえな! あの時はかわいいと思ってたの! というかそれならお前も昨日、告ってきただろうが!」

「はあ? だからウソ告だって言ってんでしょ? そんなんでイキっちゃってさあ、自分で言ってて情けなくなんないわけ? 死んだら?」

「僕はしにましぇええん!」

「……あのさ、それもしかしてそのあとに続くセリフ知ってて言ってるのかな? だったら本気で殺すからね?」

「……へ?」

 急に背景にゴゴゴゴゴ……! とか浮かんできそうな凄みをみせる辺見に、ちょっと及び腰になってしまうチキンな俺。

 ごめん、なんかよく知らんで使ったけど、有名なセリフだったのね、これ。

 すると。

「人という字はー、人と人とが支え合っているからー、……なんなんですかー?」

 机に突っ伏した状態からいつのまにやら起き上がっていた四鬼条が、そんなわけのわからないことをのたまう。

「あはっ、それは別のドラマだしw」

 え、なんか受けてるし。なんで?

 なにこの、教室で俺がいつも受けてるアレみたいな疎外感。

「おやすみ~」

 こっちはまた寝始めたし。ええ……。

「ねえねえ、ハイシャー、あんたと違ってしきしー、おもしろいじゃん!」

「は?」

 なんなん? 

 この女、今のたった一言だけで四鬼条への好感度爆上がりかよ。ちょろ。入ってきたときはオニとかいう蔑称で呼んでたくせにもう愛称ってどうなん? プライドとか、ないんか? 大体、しきしーってなんだよ。じゃあ俺のこともはいしーって呼んでくれたっていいじゃん。俺が告ったときはまったくもってちょろくなかったのになんやねん。はー、ずるいわあ(気持ち悪すぎる男の嫉妬)。

 ……自分で思ってて虚しくなってきたので、やめよう(白目)。

「とりあえず、死ね?」

 あ、怨嗟の声、出ちゃった。

「は? あんたが死ねよ? てか、まだ死んでなかったんだ」

 お前もお前で、息を吐くように死ねとか言い返してくんじゃねえよ。

 てか、まだ死んでなかったんだってなんだよ。この歳で突発性の持病持ちか俺は。

 はあ……。

 辺見がなあ、七十年後とかもそういうこと言ってくれたらなあ、好きになっちゃうんだけどなあ、そんな未来絶対ないんだよなあ……。

「なににやけてんの? そういう顔でっこっち見ないで。なんか生理的に、……やだ」

 やだ、ってなんだよ、小学生かよ。

 嫌がるにしても……なんか、もっとこう、あるだろ……。

「はあ……、あんたがいなかったら、しきしーとうちで二人きりなのになあ……」

「あ? それはこっちのセリフなんだが?」

「きも……。しきしーはあんたのことなんてなんとも思ってないから。調子のんなハイシャ! てかなにうちのひとりごとに反応してんの? ほんと気持ち悪い。あんたの答えとか、求めてないんですけど。黙っててくんない?」

「ひとりじゃない時にひとりごとを言うなよ……。メンヘラなの?」

「はあ……? あんたなんていてもいなくても変わらないんだから、いまのうちは一人でいるのと同義なの! わかれし!」

「いや、わかんねえし。唯我論者かよ」

「………………(ぷいっ)」

 俺のツッコミは黙殺された。

 うら若き少年少女が放課後に集まっておしゃべり(このやりとりをそう呼べるのかについては諸説ある)しているというのに、全くもって胸がときめかないというのは、なんなのだろう。

 俺は悲嘆に暮れて、窓の外へ目を向ける。

 教室は既に、辺見緋凪の髪色のような、やわらかいオレンジへと染まり始めていた。

 しかし彼女が相談とやらを始める気配は、一向にやってこない。

 くわえて、相談者と部員の仲は最悪、そしてもう一人の部員はお昼寝中。

 はてさて、青春同好会とやらの記念すべき第一番目の活動は、なんだかとっても前途多難な雲行きなのだった。

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