第3話 夢のお告げ
千花は普段より1時間と少し早く病院に到着でき、今は5時少し前だ。
上司に、息子の病状が思わしくないという軽いウソを交え、上司から1時間早く仕事を上がらせて貰ったが、日頃病院に行く日以外は2,3時間の残業なんて当たり前のように振ってくるので、こんな時くらいはと罪悪感もさほどない。
部下には少し申し訳ないとは思うけど、と考えながら慣れ親しんだロビーから病院の中に入る。
1時過ぎに連絡をくれた有村さんには、改めて早く行くことを伝えてあるのでアポも問題ない。
病棟に着くとナースセンター前のロビー部分で有村さんは待ってくれていた。
「すみません、有村さん。遅くなりました」
時計を見ると5時ちょうどで、彼女の今日の退勤時間だ。
「いえ、こちらこそ、急がせてすみませんでした」
彼女はまだナース服を着ているが、これから着替えて帰るのだろう、手早く詳しい話を聞こうと千花は思う。
「息子は、それでなんと?」
本来なら航に直接聞くことも考えたが、航が指先だけを使って入力するのは大変し、夢の話なら第三者の話のほうが信憑性をいいんじゃないか。
有村さんに甘えてしまえというつもりで聞くと、彼女は話し出す。
「はい、では、こちらのミーティングルームへどうぞ」
彼女に促され、定員6人であろう小さめのミーティングルームへ入る。
机には自動販売機で買ったと思われる紙コップのコーヒーが二つ用意されていて、買ったばかりなのだろう、カップからは薄い湯気も立っている。
「ありがとうございます。」
そういいながらコーヒー代を出すためバッグに手を入れようと動くと、彼女は首を振りながら言う。
「いえいぇ、いつも差し入れいただいちゃってますので、ほんの気持ちです。こちらこそありがとうございます。」
こちらもありがとうと伝え、また話を促す。
「電話でお伝えした通り、航くんが夢で、あ、金縛りだったらしいんですけどね。夢の中で喋れたらしくて」
彼女の話を要約すると、航は昨晩、夢でお告げのようなものを見た、それは1か月ほど意識を失い、それからは身体が動くようになる。それを伝えた相手は"れいわ"をこの夢の話をするときに伝えなさいといったらしい。
「航くんが"れいわ"って知ってますか?って、それで私"れいわ"で検索したらその時はほとんどそれらしい情報はなくて、航くんには後で話聞かせてねって伝えて、それからバタバタしててゆっくり話は聞けてなかったんです」
彼女の表情はころころと変わり説明を続ける。
「それで、今日の元号発表の時は患者さん達がロビーのテレビ前に集まっていたので、『令和』に決まったことを聞いて、なんか聞き覚えあるなって。少し考えて航くんが言ってたのを思い出したら、背筋がゾッとして!……それから航くんに詳しい夢の話を聞きに行ったんです」
「ありがとう、ございます……、じゃあ、そのお告げが確かなら1か月意識を失うのね……」
「あ、はい、だから回りに知らせておきなさいと言われたみたいです」
んー、雲をつかむような話だけれど、悪いことばかりじゃない。
「有村さん、率直に聞きます。ALSって何かの拍子に治ったりするものじゃないわよね?」
彼女は医療従事者として襟を正すように背筋を伸ばしてから答える。
「……はい、絶対とは言えませんが、そんなに簡単な病気ではないです。原因を取り除ければ可能性はありますが、まだ明確な治療法も確立していませんし……。ですが、ただ、現在服薬中の新薬が効果を出すという可能性はあります……可能性の話だけですみません……」
力強く言った彼女が少し落ち込んだように続けた。
「いいの、謝らないで。わかりました。意識を失うかもしれないと覚悟しておきます。目が覚めないかもとも。」
奥歯を噛み締めながら、代われるものなら代わってあげたいと強く思う。
「旦那にも今日来てもらうようにするわ。いつもありがとうね、有村さん」
航がいなくなってしまう最悪の覚悟はまだできていない。
3年間泣き暮らす日々でも、航の前では一度しか泣いていない。
その一度は余命宣告を聞いて、現実感がないまま、航の病室を訪れた時。
自分でも知らずに涙がこぼれてきた時だけだ。
幸い航は寝ていたので気づいてはいないはず。
泣いちゃいけない、この後、航に合う時間が短くなってしまうのだから。
そのあと、仕事中の夫に連絡して、短く『今日はなにがあっても病院に来て!』と少し感情的に伝えてしまった。
一人息子で夫婦ともに、息子に愛情を注いでいるが、≪夢でのお告げ≫なんて伝えたらきっと夫は呆れるだろう。
私も迷信とか占いはあまり信じないほうだけれど、これはどうも嫌な予感がする。
夫には「女のカンってやつ?」と揶揄われるかもしれないけど、そんなのどうでもいい。
こっちに来たら説明するから、早く来てとだけ言って、電話を切った。
そんなやり取りをしていたら、少し気持ちも落ち着いたので、そろそろ航の病室へ向かおうと携帯をバッグの中に押し込んだ。
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