第2話 看護師と母
あの金縛りから先の夢は覚えていない。
その分印象にも残っている。
やっぱり夢だったのか……と航は落胆するがそれでも最後に聞いた"れいわ"に引っ掛かりを覚える。
なにせ、リアルというか、突拍子もないが筋が通っている、へんな夢だったが、"れいわ"だけやけに意味深だったから。
そんなことを考えていると病室の外からカラカラと耳馴染みのカートを引く音が聞こえる。
◇◇◇◇◇◇
私は有村 加菜、24歳、看護師をしています。
最初に重要なことを伝えておきます。
看護師は天使じゃないよ。
看護師≒天使でもない、完全に≠。
なぜなら女の職場に天使は存在しないから!
更衣室での会話なんかひどいもんだ。
でも、お互い愚痴なんか吐かないとやってけないっていうのも確かにあるんだ。
ただ、着替えたならそこは戦場であり、看護師を目指した理想を貫きたいと思っている。
日々の仕事の中でいっぱいいっぱいだった入りたての頃と比べると少し余裕もできて、患者さんにより添えてきている自信がついてきた。ちょっとだけど。
なにせ去年までは、休みの日や夜間当直中も、医学書や薬の本、病気のことなど、覚えないといけないことと戦ってきて、結構キャパがカツカツでパツパツだった。
今でも楽になったわけじゃないけど、視野を広くとれるようになった気がする。
今日の当直の人ともスムーズに前日の引継ぎができて気分がいい。
朝の検診に患者さんの病室を回って、2人部屋、でも現在の利用者は一人。
この部屋に入るときは勇気がいる。
患者さんの名前は油浅 航くん。
15歳で今日から高校生になったけど、登校するのは絶望的だ。
2月にご両親の希望で高校受験を行い、無事合格することはできた。
指一本で入力するデバイスを利用して行った受験だったけど試験は本人もサポート側も大変だったけど、ハードルはそこそこ低めの高校で、航くんの努力で何とかなった。
ご両親としては未来の希望を捨てて欲しくなかったっていうところが大きいみたい。
それで、勇気が必要っていうのは、別にこの子に問題があるわけじゃない。
まだまだ私の経験ではたくさんの患者さんと触れ合ったとはいえないけれど、それでもいろんな患者さんと接している。
それでも航くんの置かれた病状を見ると、不憫というか、こう、心臓の辺りがきゅっとなる。
何しろ、3年近くベットの上にほとんど縛り付けられた状態で、意識もしっかりしているし、デバイスでコミュニケーションも取れる。
自分が高校受験で合格した時はその当時まだ珍しかったスマホを親にねだって買ってもらった。
それに、私の人生の中では高校時代が一番楽しかった。
意味もなく放課後教室で友達とだべっていたり、カラオケいったり、当時なんでもない一日が今では輝かしくて眩しい、いい思い出だ。
だからって、不憫に思うこと自体おこがましいし、失礼だとも思う。
患者さんからしたら、今の自分が、その人本人だから、絶対にそれを見せてはいけない。
この感情をちゃんと隠せているか怖い。
だから勇気がちょっと必要。
そんなことを考えながら、病室をノックしドアをスライドさせる。
「おはよう。よく寝れた?」
航くんは首を動かすことはできないが、こちらに視線をくれる。
そして表情を作るのも大変なんだけど、口元をわずかに動かして笑ってくれる。
「検温しますねー。」
脇に体温計をセットしてから、血圧計を腕に装着し、ベッドサイドにあるデバイスを起動しつつ、指先に入力装置を取り付ける。
「今日はちょっと寒いね。あ、カーテン開けるね」
カーテンを開けてからベッドの頭側を持ち上げる。
そんな毎日の業務をこなしながらいると、航くんはさっそくデバイスに入力をしているみたいでカチカチという入力音が聞こえる。
新しい点滴をスタンドにかけながら外を見ると離れた場所に桜が見えた。
きれいだなーと思いながら、桜の話題を振るかどうか考えると視線を感じたので、そちらを見ると電子音声がデバイスから流れてくる。
『おはようございます れいわってわかりますか』
「れいわ?なんだろ、ぱっとわからないかも、ググろうか?」
そこからまたデバイスに入力をしていくのでその間に作業を続けることにしたが、すぐに入力は終わったみたいだった。
『ゆめでみて』
そこで、体温計の計測完了の電子音が聞こえたので、まずは体温の確認をする。
平熱だ、よかった。
それから院内用の携帯を取り出して、"れいわ"で検索したけど、とくにこれといって意味のある情報はなさそう。
「こんなかんじだね」
航くんに検索結果を見せると納得したみたいでまばたきで同意を知らせてくれるけど、なんかちょっとがっかりしているみたい。
「後で夢の話聞かせてね」
航くんから夢の話を聴いたことはないから、そう言って作業をこなしていく。
『はい』
「じゃあ、またあとで来ますねー」
そう伝え、病室からカートを押しつつ出ていく。
少し時間ができたら、話を聞きに来ようと考えながら、次の患者さんには桜の話を振ってみようかなと思った。
◇◇◇◇◇◇
♪~♪~
スマホがミュート一つ手前の小さい音で鳴る。
油浅千花は着信登録先を見て少しドキリとする。
それは、息子が入院している総合病院で登録している番号だった。
現在は仕事中で、1時を少し過ぎて回りは午後の仕事を始めている。
オフィスから抜け出て、急いで通話可能な場所、廊下部分で、通話ボタンをタップする。
「はい、もしもし」
千花は心を落ち着けながら電話に出た。
『お世話になります。永野総合病院の有村です。お仕事中にすみません。お伝えしたいことがありましてお電話しました。今お時間よろしいですか?』
彼女は息子を担当している看護師のひとりで息子も私も良くしてもらっている。
度々ナースセンターに差し入れを持っていくが、特に喜んでくれる若い子で私もあんな頃があったなぁと思わせてくれる。
「ええ、少しなら。なにかあったんですか?」
『はい、えぇと、新しい年号のニュースってご覧になられましたか?』
ん?と思いつつ素直に答える。
「えぇ、令和れいわでしたっけ。ウチの職場でも飛び交っていますよ」
『それがですね。航くんが夢でみたといって、朝"れいわ"で調べたんです』
なんだか会話に要領を得ないし、今日も仕事終わりに病院に行くのだから、わざわざ電話することなのかと内心呆れつつ話を促す。
『その"れいわ"なんですけど、夢にでてきた人が、今日から1か月くらい意識がなくなって、体が動けるようになると、そしてその証拠に"れいわ"を伝えなさいと言ったみたいなんです……私もお伝えするか迷ったのですが、嫌に予言めいてて、それで……』
彼女は言葉を尻すぼみに伝えてきたが、私も一蹴できない何かを感じる。
「それは航がいったのよね?なんにせよ今日お伺いしますから後でもう少し詳しくお伺いしてもいいかしら」
『あ……はい、大丈夫です。』
「ありがとうございます。それではまたあとで。失礼します。」
携帯をポケットにしまい、ふと、彼女が最後の了承で一拍開けてしまったのかに見当がついて、しまった、と思った。
彼女はおそらく朝に夢の話を聞いたのだ。
つまり、私が仕事を終えてから病院に向かうと本来の退勤時間を大幅に遅くしてしまうか、退勤後に職場で待たせてしまう。
ごめんね、と心の中で詫びながら、上司に相談して、今日は早く仕事を上がらせてもらえないか交渉をしないといけないと思うのだった。
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