Épisode 02「珍しいね」
*
「みゃー」
絹糸のように細く澄んだ声が聞こえて、家の中にいた少年が顔を上げる。
そこは森の中にひっそりと佇む小さな家で、今は少年がその家主である。人を避けるような場所で暮らす彼は、普通の人間とは違う存在だった。
――〝魔女〟
それが、彼を端的に表す呼び方だ。
「おかえりユーフェ。遅かったね」
玄関扉を開けて、少年は同居人を出迎えた。いや、同居猫とも言えるだろうか。
しかし、いつもどおり黒猫を出迎えた少年は、遅れて異変に気づく。黒猫の後ろに、一人の人間が倒れていたからだ。
緩くウェーブのかかった前髪の奥で、少年の眠たそうな瞳が驚きに見開く。
「ユーフェ? 誰、それ」
普段からあまり感情を出さない彼が驚くのは、実はとても珍しいことだった。それくらい、黒猫の行動を意外に思っているということだ。
「みゃー」
「ユーフェ」
間髪入れず名前を呼ばれて、少年がちゃんとした説明を求めているのだと、黒猫も理解する。
少しためらったあと、黒猫は観念したように俯いた。すると、その周りで風が起こる。と思ったら、徐々に黒猫の姿が変形し、やがてそれは人になった。
風が止む。
「説明」
猫が人になっても動揺することなく、少年は抑揚のない声で言う。
そしてユーフェと呼ばれた黒猫――もとい少女は、申し訳なさそうに口を開いた。
「森の入口に倒れてたから、放っておけなくて」
「魔法で運んだの?」
ユーフェは頷く。その姿は、あの黒猫を彷彿とさせる黒髪に、翡翠のように透き通る緑の瞳だ。
見た目は少年よりも、彼女のほうが少し上くらいだろうか。年下の少年のほうが主導権を握っているようで、なんとも珍妙な組み合わせである。
「ふーん。珍しいね、ユーフェが拾いものするなんて」
そう言うと、少年は倒れている男に杖をかざした。ひと振りすると、男の身体が宙に浮く。
これこそまさに、魔法だった。
魔法は魔女にしか使えない。というより、魔法を使える者を魔女と呼ぶ。
その数は少なく、時に人は魔女を忌避する。魔女の得体の知れない力が、彼らの恐怖を煽るからだ。だから魔女である少年は、人目を避けた森の中でひっそりと暮らしているのである。
そしてユーフェもまた、実の両親に忌み嫌われ、捨てられた過去を持っている。
そうして流れ着いたのが、今いるこの家だった。
「あの、ごめんなさいリュカ。勝手に連れてきて……」
「別にいいよ。無視できなかったんでしょ?」
「ええ。だってその人、お腹空かせてたから」
過去の両親の仕打ちから、ユーフェは空腹の辛さを知っている。
いつもならたとえ倒れている人がいても、彼女は人目につく場所に放置して、誰かが気づくのを陰で待っていた。というのも、人と関わるのが怖いからだ。
けど、今回は見過ごせなかった。あまりにも男の腹が鳴っていたから。
「とりあえず、なか入ろう」
リュカは魔法で浮かせた男を連れて、家の中へと戻っていく。いつもどおりの眠たそうな瞳は、男の格好をちらりと見て、またすぐに正面を見据える。見た目以上に賢い彼は、この客人の服装から、身分の高さを一瞬で把握した。使用感があって少しだけよれた
「ユーフェ、ご飯作れる?」
「大丈夫よ。任せて」
もともと、この家の家事担当はユーフェである。リュカは魔法の才能はずば抜けているけれど、料理の才能はなく、ユーフェが来るまでは偏った食生活を送っていた。
ユーフェも来たばかりの頃は料理なんてできなかったけれど、リュカの健康を心配して必死に身につけたのだ。
それからはずっと、ユーフェが二人分の食事を作っている。
だからリュカがユーフェに「ご飯作れる?」と訊いたのは、まだ余っている食材はある? という意味だった。
「じゃ、その間この人、ユーフェのベッドに寝かせておくから」
「うん、ありがとう」
食材を取り出して、手際よく包丁で切っていく。きのこ、にんじん、ブロッコリー。玉ねぎは特に気合いを入れて切る。目が痛い。
本当は鶏肉も入れたかったが、あいにくそれは切らしていた。余り物だけのできあいだが、味には自信があるユーフェだ。
バターで切った食材を炒めて、小麦粉も入れて馴染ませる。そこに水を入れて味を整えたら、しばらくコトコトと煮る。
料理をしているこの時間が、ユーフェは結構好きだった。他の嫌なことを忘れられるし、これを食べたリュカがどんな感想をくれるかなと、想像しながら作るのは楽しい。
いつも眠たそうな目をしている彼を、ユーフェは弟のように、けれど尊敬する師として慕っている。
彼はぼろぼろになって倒れていたユーフェを、何も聞かずに助けてくれた。ユーフェが魔女だと見抜き、その力の扱い方を教えてくれたのも、リュカだった。
リュカがいなければ、今のユーフェはいない。
そんなリュカが初めて笑ってくれたのが、ユーフェの料理を食べたときだったのだ。
最初は本当に下手くそで、味も美味しいとは言えなかったけれど。それでも彼は、ユーフェが一生懸命作ったそれを、美味しそうに、嬉しそうに、残さず全部食べてくれた。
それが泣くほど嬉しくて。
だから、ユーフェは料理が好きだ。リュカの役に立てていると、実感できるから。
「よし、これでいいかな」
最後に牛乳を入れてまた少し煮込んだあと、味の確認をする。
舌の上にとろりとしたクリームが流れ込み、まろやかで優しい味が広がった。
ユーフェはその味に満足すると、さっそく木の器に盛る。これで身体も温まるシチューの完成だ。すでに季節は秋を迎え、最近では薄手の外套を必要とするくらい肌寒い日が多い。
ユーフェは出来上がったシチューを持つと、男が寝ている自分の部屋――ではなくて。
ダイニングにいるリュカの許へと向かった。
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