Épisode 01「行きずりの女でもつかまえるか?」


 ***


「号外、号外だよ! レオナール殿下がついに婚約者を決めたってさ。さあて、お相手は誰かな? 気になったなら買っていっておくれ!」

 冷んやりと肌寒さを感じる秋。田舎町では、社交シーズンが終わった影響として、消えていた貴族の姿をまた見かけるようになる。

 ここノルマールの町も、そんな田舎の一つだった。

「ひとつくれ」

「まいどあり!」

 特徴という特徴もなく、一歩町を出れば広大な野原が続いている。その一帯はコルマンド伯爵領であり、領主の性格を表すように、のんびりと穏やかな町である。

 王都からも離れているため、流行り廃りは最先端とはいかない。情報もそのうちで、この国の第一王子が婚約した三日後に、ようやくその情報が町に出回った。

「ほう。オルグレイ侯爵令嬢か、レオナールの心を射止めたのは」

「そうなんですか? よくその方を選びましたね、レオナール殿下は。まさか今の時代に、政略ではないでしょうに」

「だろうな」

 号外売りの少年から新聞を買った男が、面白そうに顎をさする。仮にも一国の王子を呼び捨てにするなど、普通は考えられない。

 しかし、その隣である意味感心していた青年は、それを咎めようとはしなかった。むしろ当然と受け止めて、新聞から目を離す。

「それで、ここからどうするおつもりですか」

 年はそう変わらなそうな二人だが、彼は敬語で男に問う。

「勝手に出てきたあげく、資金も底をつきました。あてにしていたレオナール殿下も、王都に辿り着けなければ意味がありません」

「なんだ、あてにしてたのか?」

「してましたよ! 途中からね! なにせお金が足りませんからね!」

「目的地には着いたんだ。問題ないだろう?」

「ありありですよ! 宿とかどうするんですか!」

「ふむ……」

 見ようによってはピンチなのに、男は楽しそうに喉を鳴らした。

「仕方ない。行きずりの女でもつかまえるか?」

 男が自分の藍色の髪を耳にかける。露わになったその容貌は、田舎町にはもったいないくらい美しく整っていた。面白そうに細められた瞳は、澄んだ湖のような水色。瞳の中にある揺らめきに、不思議と惹きつけられるものがある。

 そこに佇んでいるだけで色気を振りまくような容貌なのに、目元にある黒子が、余計に男を色っぽく見せていた。

「やめてください。あなたがそんなことをしたら、引っかかる女性が一人では済まないから嫌なんです」

 本当に心底嫌そうに眉を寄せられて、男は「ぷは」と吹き出す。

「フランツはストレートだなぁ。ま、そこが気に入ってるんだが」

「なら文句言わないでください。だいたい、資金が底をついたのはあなたのせいですよ、ヴィクトル」

「そうだったか?」

「行く町の先々で美味しそうな匂いを嗅ぎつけてはふらふらと引き寄せられていったのは、どこの誰ですか!」

「俺だな」

「そうですよ開き直らないでください!」

 この一つ前の町でも……といつもどおり始まったフランツのお説教に、ヴィクトルは全く耳を貸さない。それどころか、どこからか漂ってきた美味しそうな匂いに、ふらりと足を進めた。

「あなたが食にこだわるのは仕方ないとして、旅先でもそんなことを繰り返していたらお金がいくらあっても足りません。わかりますか? お金は有限なんです。ましてやここは見知らぬ土地。旅人にお金を貸してくれる人なんていない――――っていない⁉︎ どこいったあの迷子‼︎」

 ようやくヴィクトルがいなくなったことに気づいたフランツは、慌てて周りを見渡した。

 田舎町といえど、ここノルマールの中心地は、それなりに人がいる。

 右を見ても左を見ても、正面を見ても後ろを振り返っても。あの目立つ美貌はどこにもいない。

「〜〜っ、見つけたら絶対首輪つけてやるっ!」

 なんとも不穏な宣言をして、フランツはずんずんと地団駄を踏みながら、彼の捜索を開始した。


 一方、美味しそうな匂いにつられたヴィクトルは、一つの店の前でじーっと佇んでいた。

 そこは食堂のようで、ちょうどお昼時ということもあって、中からはがやがやと忙しそうな声が漏れ聞こえている。

 ついでに肉の焼ける香ばしい匂いも漏れているので、ヴィクトルは店の前から一歩も動けないでいた。

 普通ならそんな男、怪しまれて町の警備隊に通報されるのがオチだ。

 しかし幸か不幸か、ヴィクトルの美貌は、神が全力を尽くした結晶である。おかげで周りからは、哀愁漂う男前がなぜか店を凝視している、という図にしか見られていない。

「もしかしてお兄さん、一人?」

 そこに、勇気ある二人組みの女性が思いきって声をかけた。

 が、ヴィクトルは彼女たちを振り向こうともしない。それどころか、深いため息をついた。

 その反応に気を悪くした二人は、もちろん怒って立ち去ってしまう。

 それすらも、ヴィクトルは全く眼中にない。彼の視線は、ひたすら店内に注がれている。

(ああ、あれは仔羊のハーブソテー。あっちは白身魚のポワレか。どれもこれも美味そうなのに、金がないから食べられないとは……)

 そんなことは初めてだった。生まれ持った身分が、彼にそんなひもじい思いをさせなかったから。

 しかし今は、どれだけ眺めていても、食べられないものは食べられない。

「はぁ」

 ようやく諦めたヴィクトルは、とぼとぼと歩き出す。

 フランツが言っていたように、資金がほぼ底をついているため、実は昨日から何も口にしていない。腹の虫はずっと不満を訴えていた。

 こうなれば、フランツの提案どおり、旧知であるレオナールに自分を歓待させよう。昔食べたこの国の宮廷料理は、それなりに食べられる味だったと記憶している。

 豪勢な料理を思い出して、腹の虫がまた鳴った。

「はら、へった……」

 顔は極上の男が、実に残念なことを真顔でこぼす。

 それでもやはり、周りはこの男の美貌に騙される。実は性格なかみが傲慢で傍若無人な面倒くさい奴だと訴えても、世の女性は信じないことだろう。

 彼自身も仮面をかぶるときを間違えないから、余計に信者は増えていく。といっても、仮面をかぶらなくても、女性たちが勝手に良いほうに解釈することも多いけれど。

 それに人一倍振り回されているのが、言わずもがな、フランツだ。

「にく、たべたかった……」

 実に残念な男前である。

 しかし、これがヴィクトルという男で、彼は生まれ持った身分ほど、プライドが高いわけでもない。

 だから、空腹で倒れるという、彼の一族にとっては前代未聞のことを起こしても、彼は己の矜持のために踏ん張るということをしなかった。

 どさり。柔らかい土の地面が、倒れた彼を受け止める。

 周りに人はいない。空腹のあまりふらふらと彷徨っていたヴィクトルは、いつのまにか町の中心から離れていたのである。

 自然の木々がそびえ立つそこは、町から森へと続く入口だ。

 すると、近くの草むらが、かさかさと音を立てて揺れ出した。熊だろうか。野犬だろうか。どちらにしろ、逃げなければ危険な動物だ。

 それでもヴィクトルは動かない。

 やがて、がさりと草むらを掻き分けて現れたのは、なんと、一匹の黒猫だった。

 毛は短く体躯は華奢で、とても野良とは思えない艶やかな毛並みを持っている。

「……」

 その翡翠のように綺麗な瞳で、黒猫はヴィクトルを見下ろした。

 

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