第十部

「大丈夫ですか? 酷い、二箇所も撃たれてる」


 既に私の隣にしゃがみ込み、寝そべる彼の腹部を注目していた。

 二箇所? 何故、傷が無いのに撃たれていると分かったんだ?


「え? 子供? 中隊長、この少女は一体」

「ちょっと動かないで下さい。一瞬ですから」


 彼の問い掛けをイリューシャンは気にせずに、戦闘服をめくった。そして、その長い髪を後ろに退けた後、手を彼の腹にかざした。


「うあああ……っぐ」


 突然、彼は苦しみ始めた。もがこうとするが、何故かイリューシャンに同調して、WACは彼も動かないように上半身を押さえる。


「ほら! 中隊長もぼさっとしてないで、押さえて下さい!」

「は、はい!」


 WACの気迫に押され、つい曹長時代のような返事をしてしまった。

 彼が目に涙を浮かべた頃、イリューシャンは手をかざすのを止めた。


「一体、何を……」


 私は、只されるがままだった。イリューシャンが、一体何をしていたのか全く分からない。分からないだけならともかく、衛生のWACがイリューシャンに加担した事で、止めようにも止められなかった。


「治療して下さった。そうですよね」


 衛生が答えた。というよりかは、自分の予想が合っていたかをイリューシャンに確認した感じだ。イリューシャンは、「はい」と言った。


「魔法弾には、魔法で治療させるしかないんです。確か、地球にそういうのがありましたよね? 目には目を……」

「歯には歯を。ハンムラビ法典ね。少し意味合いが違うけど」


 魔法には魔法を。という事は、今回負傷した自衛官は否でも応でも、異世界の誰かに治療を委託しなくてはならないという事か?……この世界の医療技術が発展していないから魔法に頼るしかない、と都合の良い解釈が出来るが果たして。


「中隊長。彼、眠りましたが表情から険しさが消えました。痛みは引いたものと思います」

「そっか……良かった」


 普通、どんな怪我でも治癒に時間が掛かる。でも魔法なら、一瞬で復帰が可能なのか。

 魔法。使えるものなら、全部隊に徹底させたいくらいだ。


「それにしても、よくハンムラビ法典なんて知ってるね」


 イリューシャンが自分に問い掛けられたものと気付くと、こちらに笑顔を振りまいてきた。その額には汗を滲ませ、案外表情に余裕が無い。


「案外、ビルブァターニに日本人は多いんですよ」

「え?」


 それだけ言って、イリューシャンは立ち上がった。もう何も語るまいという事か。

 しかし、戦場においては何故かこの少女が頼もしく見える。私は、くさむらからちらりと覗く金色の歪んだ薬莢を見ただけで"非日常"、訓練でないという事を分からされるので、正直辛い。負傷した部下を見ると、私の決断が本当に正しかったのか何回も考えさせられた。戦場を経験していない自衛隊である私達を基準とすれば、イリューシャンは先輩になる。自衛隊の戦場経験は、敢えて言ったとしても、紛争地域への海外派遣や米蘇冷戦緊張位だ。

 中央即応連隊は、よく海外派遣の先遣部隊として派遣されるが、私は今年度から配属になったし、前任部隊でも派遣を命じられる事は無かった。いや、この派遣。これが初めての海外派遣だ。しかも実戦付きという、最悪のトッピングが添えられている。


「中隊長!」


 懐かしい声が聞こえた。数時間前に聞いた声だ。もう50年は使われているであろうその声帯の震えが、私の鼓膜を振動させると、自分でも意識していなかった様様な想いが溢れた。


「恥ずかしながら、職務を完遂して参りました」


 その想いは、とどまる所を知らない。


「何が恥ずかしいんですか!戻って、来るのが、当たり前でしょ……!」


 止まる所を教えてやりたい。既にオーバーランしている事を理解させてやりたい。


「ごめん……ごめんなさい、ごめんなさい!!」


 熱いのが目から流れる。普段は我慢しようとするが、今の私にそんな余裕は無いし、したくなかった。


「ごめんなさい――」


 大きな手が頭に乗った。てっぱちを被っているので、直接感覚は無いが、首に掛かる負担でどれだけ大きいのかが分かる。


「中隊長が感情的になったら示しがつかへんやろ」


 許して……許して貰いたかった。


「辛かったな。私達を死地に送り込むんは」


 その通り。私は、私の部下を、厳しくも愛を以て接していた部下を、得体のしれない敵がいる戦場に送り込んだ。


「ようやった!」

「……え?」

「正直、中隊長は下車を命令しいひんのちゃうかなと思うとりました。いざとなったら、独断専行を行う構えでした」


 ……褒められるんだ。部下を戦闘状況に陥れても、褒められるんだ。

 今まで経験した事の無い感覚が、襲っている。私は悪い事をしたのに、それは凄い事だと言われる。脳がおかしくなっているのだ。葛藤とも言えるかもしれない。


「あ、『ようやった』いうのは、京都人の遠回しな言い方やらやなく、本心ですさかい」


 何に気を遣っているのか、正直分からないが、宇野曹長は私に対し否定的な言葉は口にしなかった。


「中隊長さん! 連隊長が帰隊されました。五分後にブリーフィングを開始します」


 私は我に返った。暫く、私の行いについて考えていた。絶対に答えは出ないのに、どうしても考えてしまう。宇野曹長を見ると、未だに私の前でにこやかにしてくれている。

 宇野曹長に敬礼し、何回かお礼を告げて声のした方を振り返ると、連隊本部班の君島一曹が1/2tトラック、通称ジープ、又はパジェロの傍らに立っていた。その奥には、小さい回転翼機がエンジンを切らずに接地しているのが見える。OH-6 観測ヘリコプターだ。あれに乗って、連隊長が移動したのだろう。

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