#18
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「もうやめようか?」
双子が19の春のことだった。
最初にそう言ったのは、リエの方だった。金曜日の夜、少し遅く帰宅したリエが、エリのとなりのベッドに入って、しばらくの間、口を開かなかった。
リエには生理が来ているのだな、とエリには分かった。今日の昼間は大学に行き、夕方からはレストランのバイトが入っているはずだった。
いつもなら明るく今日のできごとを語るリエが、少し沈んでいる。
人には分からないけれど、エリとリエは影と光、夜と昼の関係にあった。快活な笑顔で誰からも愛されるリエ。クールに澄まして落ち着いたエリ。双子は互いを入れ替え続けて、双方を演じ分けるためいつしか自然にそんな風に役割を分担していた。
今夜はその明るいリエが、暗く沈んでいる。
エリはそれを生理のせいだと思おうとした。
しばらくの沈黙の後、リエが口を開くまでは。
「―――もう、やめようか?」
白い天井は、窓からしのぶ街路の灯りにわずかに照らされ、うすぼんやりと光っているように見える。その、距離感のつかめない天井を見ながら、身体がそこへ静かに落ちてゆくような感覚を、エリは味わった。
リエの言葉は、双子の入れ替わり遊びのことを言っているのだと、エリはすぐに気づいた。
エリはしばらくの間、答えを返さなかった。
けれど双子の間にはその沈黙は、重苦しいものではなく、理解と同意を深めるためのポジティブな時間として流れた。
柱時計の秒針の音が、双子の胸の中に音もなく響く。
かちり、かちり、こちり、と時が刻まれてゆく。
かちり、かちり、こちり。
いま付き合っている相手は、リエにとって初めて心から愛せる相手なのだった。デートをしたり、キスやセックスをしたりした今までの男性たちとは、その心の置き方が全く違った。それは相手も同じであることを、リエの代わりに彼と何度か過ごしたエリも気づいていた。
かちり、かちり、こちり。
だからエリは、彼とセックスをしなかった。エリをリエだと信じている彼は、もちろん何度もエリを求めた。が、リエの気持ちを知っているエリは巧みにその誘いを断り、一線を引いていた。
かちり、かちり、こちり。
コップのなかに注いでゆく水は、その最上部まで達し、表面張力でかろうじて、こぼれずとどまっている。
そのことをエリは理解していた。
かちり、かちり、こちり。
ほんの数秒の
互いの生活を生き、ひとりずつがふたつの世界を知った。螺旋に交わるふたつの縄がやがてひとつの綱に見えるように。
でも私とリエは、これから違う時間を生きてゆくのだ、と分かった。もう、違いにひとりづつ、各々の人生を生きていける、と確信が持てたのだ。
かちり、かちり、
エリはそう、理解した。
だから、こう答えた。
「――うん、そうだね」
こち、り。
思えば小学校二年の夏から折りをみて続けてきたこの遊びは、かれこれ十年の年月が経過していた。その終局は、そんな最低限の言葉が交わされたのみだった。
となりのベッドから、リエの手が伸びてくるのを感じた。エリも手を出す。
双子は50センチほど離れたベッドの隙間に手を差し伸べあい、何も言わずにそれをつなぎあった。互いの手首をつかみ合い、しっかりと握りしめた。あの夜のことが、ふたりの記憶を過ぎる。
でもそれはもう、通り過ぎたできごとなのだ、と分かった。
さようなら、わたしの相棒。
エリはわずかな感傷を、リエの細い手首を握りしめて伝えた。リエもまた、同じ気持ちを同じ行いで返した。
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