第3話 出会い

 “あの人”の歌を聴くことが習慣となった。が、CDはない。CDを聴くための道具もない。スマホがあれば充分だ。とは言え、音楽アプリにあの人の歌は何故だか殆ど無くて、動画で探し始めた。

 動画を見ていると、自動再生により勝手に“あなたへのおすすめ”を再生していた。何かしらの関連があったのだろう。


 それが“彼”との出会い。この出会いは、必然だったのだと思う。まさに、オレへのおすすめだった。しかしこれが初めての出会いでは無かった。前に一度、テレビでライブ映像を見た事があった。その時は、何も感じるものなんか無くて、オレの趣味じゃないな位に思いながら見た記憶がある。なのに2度目にして、どう言う訳か激しく心が揺さぶられた。


 そう――何かが、動いた。


 それはたぶん、開かれた扉の奥にいたあの頃のオレ、10歳の少年だったと思う。

 “あの人”が扉を開き“彼”が少年の背中を押した。急に開けた世界は、少年には眩しすぎたが、好奇心と高揚感で勢いよく飛び出した。




 やってみなければ、何も始まらない。


 書きたい。何か書きたい。


 思い立ち、部屋にあったペンと紙を用意する。幸いボールペンと紙は大量にある。文房具マニアだ。中でもボールペンには一番こだわりがある。


 お店のようにディスプレイしてあるボールペン棚の中で、最も気に入ったペンを取りだし机に向かった。ノートパソコンを机の端によせる。書くなら紙に書きたかった。


 書きたい話が頭の中で動き出す。何時からなのか“少年と老人”が浮かんでいた。浮かんだ事を、とにかく紙に書いてみる。


 作文や小論文は得意だったはずなのに、小説の書き方なんか分からない。どんな風に書けばいい?書きたい話は浮かんでいるのに、上手く表現できない。

 もどかしさを感じつつも、ワクワクするような楽しさも感じている。

 書けない悔しささえも、楽しいと思えた。自分がこれ程の衝動に駈られて動き出した事なんか無かったからかもしれない。 


 だがやはり、さすがに今まで何もしてこなかったのに、急には書けるはずがなかった。読むことすら、ビジネス雑誌意外には10年近くしてはいなかったと思う。


 まずは、また読むことから始めよう。


 自分自身への期待と、大きな不安。


 彼は、そんなオレの気持ちを、まるで知っているかのように歌っていた。

『私の為の歌かと思った!』なんて、歌番組のインタビューに答える女子高生の気持ちが、今なら良く分かる。それはまさに、オレの為に歌ってるとしか思えなかった。


 最近行くこともなかった本屋に行ってみると、子供の頃の理想の世界そのものだった。なぜこの世界を忘れてしまっていたのだろう。とてつもなく、勿体ない事をしていたように思い、激しい後悔が押し寄せる。


 棚には、当然の事ながら本が並んでいる。読みきることも出来るはずがないほどの本の中で、ただただ眺めているだけでも楽しめた。


“本”という物体が好きなだけなのか。電子書籍でも充分なはずなのに、わざわざ本屋に足を運んだのは、やはりきっと、そうなんだろう。


 いや、でも、それだけじゃない。


 自分が読みたい物が何なのか、自分でも分かっていないから、探しに来たんだ。

 話題の小説か、純文学か、SFか、恋愛か、異世界か、ジャンルも設定も何もかも、分からない。何を読めばいい?


 広い店内、地下1階と1階、2階、全て本で埋め尽くされている。

 ここから、必要な本を探し出すのは、簡単ではない。

 何処にどんな本が置いてあるのかは、丁寧な案内板が教えてくれる。

 しかし、どんな本が自分に必要なのかが解らないから、とりあえず、当てもなく見て回る。全く苦痛ではない。むしろ、楽しい。


 気になって手に取ったのは“哲学”の本だった。小説じゃないのか?自分で手に取ったくせに、不思議に思う。

 中を確める。小説なら、まず書き出しを見て決めるところだが、これは小説じゃない。真ん中辺りからページをめくってみる。馴染みのない単語も、有名な名言も、やたら難しい説明文も何もかもがオレを刺激してくる。


 おもしろい。


 ここには、言葉と思考の究極の追求がある。何かにつけて考えすぎるオレには、必要なものかもしれない。


 そうだ。あの歌に哲学を感じた。閉じられていたオレの中の扉を開いたきっかけは、これだった。 

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