第10話山に纏わる怖い話「歩鬼」
10年前の話だ。
当時、大学の山岳部に入部していた俺は、休日でも、一人で山に入山してしまうほど登山に熱中していた。
ある日、俺は北アルプスにある白馬岳を、縦走するコースを上っていた。
その途中の事、
不意に背中を軽く叩かれた、そう感じた瞬間。
「はい触った、次はお前の鬼~」
子供?
ボロく小汚い着物を着た、ざんばら髪の男の子だ。
すす汚れた顔をニタリと歪ませ、笑いながら走り去って行く。
悪戯か。
この辺りに住む子供だろうか?
走り去っていく子供の背中をぽかんとした顔で見送っていると、俺の直ぐ横を通り過ぎて行く人影があった。
農夫姿の、腰の曲がったお婆さんだ。
背中に背負った籠には、色とりどりの野菜が積まれている。
田舎にあるよくある風景だなと、さっきの悪戯のことも思い出し、俺は軽く苦笑いを零しながら、再び山を登り始めた。
一時間程立った頃だろうか、ふと、何やらおかしなことに気がついた俺は、その場で足を止めた。
変だ。
さっきから同じ景色を見ているような気がする。
白馬岳を目指すのは初めてだし、もしかしたらこの辺りは似たような景色が続いているのかもしれない。
だが、それでも何か違和感がある。
首を傾げ考え込むも、それが何かと問われると分からない。
結局、考えても仕方がないと判断した俺は、軽くため息をつきながら再び登山を開始した。
しばらく歩くと、、視界の先に人影が見えた。
目を凝らすと、どうやら先ほど、俺の横を通り過ぎて行ったあのお婆さんだという事に気がついた。
やがてお婆さんとの距離が縮んでいき、俺はその横を通り過ぎようとした。
通り過ぎる際、軽く会釈をする。
するとそのお婆さんは、会釈を返す訳でもなく、何やら不思議そうに俺の顔を覗いていた。
気持ち悪いな、と思い、直ぐに顔を反らし俺は先を歩く。
それからまたしばらく歩いていると、やはり何かおかしいと、俺はまたもやその場で足を止めた。
歩けど歩けど同じ風景だ。
迷った?
いや、そんなはずはない。
登山を開始してから道は真っ直ぐだ。
しばらく歩けば、中腹を示す目印が見えてくるはず。
ポケットにしまった地図に目をやり場所を確認する、が、やはり間違ってはいないようだ。
じゃあ何なんだこの違和感は?
すると、俺の目の前を、再びあのお婆さんが通り過ぎて行くのが見えた。
しかもさっきよりも訝しげな顔で、俺の顔をじっと見ながら。
何だか不気味に思えてきた俺は、お婆さんを追い越すようにして足早にその場を立ち去った。
周りの景色を眺める余裕も無くなってきた。
先ほどから付き纏うこの違和感と、あの不気味なお婆さんの顔が頭から離れない。
が、その時だった。
「やーい鬼っ子、早く上ってこーい」
子供の声。
俺は顔を上げた。視界の先、着物姿の子供が手を振っているのが見える。
あの子供だ。
俺に悪戯をしてきたあの子供。
子供は手を振ると、また直ぐに上へと走り去って行く。
鬼っ子?何だ?何の話だ?
違和感との葛藤もあり、思わずうろたえていると、後ろから人の足跡が聞こえた。
不意に後ろを振り返る。
あのお婆さんだ。
目を見開き、驚愕した顔で俺を見て足を止めている。
どいつもこいつも、何なんだ一体……少しイラっときた俺は、立ち止まりこちらを凝視するお婆さんに思わず声を荒げた。
「な、何ですかさっきから、お、俺に何か」
そう言い掛けた時だった。
「あ、あんたその顔、もしかして遭難しとるんか……!?」
お婆さんが口を僅かに震わせながらそう言った。
すると突然、俺の脳裏に、あらゆる光景が巻き戻される様に、先ほどの光景が目に浮かんだ。
お婆さんが背中に背負った籠の中身だ。
最初に見た時、かごの中身は野菜で一杯だった。
次に、立ち止まっていた俺の前を通り過ぎた時、お婆さんが背負っていた籠の中は、空っぽだった。
そして今、俺の目の前に居るお婆さんの背中には、籠自体が見当たらない。
俺は……俺は……?
自分の顔を震える手で触る。
ざらつく感触。
伸びきった髭。
腕時計が視界に入る。
金具部分が錆付いていて、全ての針が停止していた。
ポケットから携帯を取り出す、が、出発前フル充電されていた携帯は、既に電池切れしていた。
何が何だか分からない、混乱する頭に思考が追いつかない。
次の瞬間、
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
俺は腹の底から叫び声を上げ、そのまま意識を失った。
どれくらいたっただろう、気がつくと、俺は病院のベッドに寝かされていた。
医者の話によると、俺は一週間も山を一人さ迷い歩いていたそうだ。
近くに住むお婆さんが、畑作業に出かける時、二日に一回、俺の姿を目撃したらしく、三回目にしてもしやと思い、俺に声を掛けたそうだ。
後から警察が来て、なぜ助けを呼ばなかったのか等、自殺を疑うような聴取を受けたが、終始俺は、
「分かりません……」
としか、答えるしかなかった。
ただ一つ思い当たる節があるとすれば、あの子供の事だけだ。
だが、これを話したところで、誰も信じてはくれないだろう。
あの子度が俺の事を鬼っ子と呼んで走り去っていく時、俺は妙な違和感のせいでそれをずっと見落としていた。
あの子供が俺の前で走り去っていく時、あのざんばらの髪の間、頭上に生えた角のようなもの。
あれは、何だったのだろうか……
あれ以来、山に登るのを辞めてしまった俺には、知る術もない……
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