第30話 イレギュラー
雑草混じりの乾いた地面を踏み締める。
じゃり、と小さく擦れる音は二つ。
曇天は晴れる事無く、より黒い雲へ姿を変えて空を覆い太陽の光を遮っていて薄暗い。
悪天候なこともあって人の姿は疎らで、他の探索者と擦れ違うことは稀だ。
適度な集中を保ちながら、地図や電子機器を併用して目的の場所を目指す。
僅かな異変を見逃さぬように目を凝らしての探索というのは、酷く精神を消耗する。
とはいえ現在Cランクであり、探索にくる頻度も高い伏見ダンジョンであれば、それなりに気は楽だ。
自然が奏でる静かな旋律をBGM代わりに杉林の合間を縫ってダンジョンを奥へ奥へと進む。
当然のようにスギ花粉対策で薬も飲んできている。
……本当にこれさえ無ければ素晴らしい場所なのになぁ。
魔力で花粉もどうにか出来ないかな……なんて考えてしまうくらいには、花粉が憎い。
特に季節の変わり目なんて酷いもので、薬を飲んでいなければ一日中怠さと戦いながら箱ティッシュ片手に白い山が出来る。
でも薬を飲めば症状がかなり抑えられるあたり、化学さんには頭が上がらない。
「……こうも天気が悪いと憂鬱にもなるわね」
「まあ、な。それに暗いと見落としも多くなるからいつも以上に慎重にな」
会話もそこそこに、度々遭遇した魔物と戦いながらの行軍。
伏見ダンジョンは自然豊かで、出現する魔物の種類は動物や植物型が多い。
木に擬態するトレントや、群れで森を駆けるグレイウルフ。
子供程の体躯を誇り巣を張って獲物を待つブラックスパイダーや鋭利な大鎌が特徴的なキラーマンティスなど、虫の範疇に収まらないゲテモノまでいる。
……あ、考えてたら鳥肌が。
虫の類いは……まあ、苦手だ。
昔、何も気付かずに蜘蛛の巣に顔面から突っ込んでからトラウマレベルの恐怖を植え付けられている。
女々しいと思うか? 虫の前では性別なんて関係ないんだよ……許容か拒絶の二つに一つだ。
拒絶を取った俺とは正反対に、凛華は虫をものともしない強靭な、もとい狂人的な精神の持ち主だ。
涼しい顔で対応するし、不法侵入するGも丸めた新聞紙で
その頼もしすぎる背中に俺は戦慄すら覚えたものだ……。
話が逸れたが、それらは虫の見た目をしているだけで魔物であることに変わりはない。
魔物とは俺にとって命のやり取りをする相手であって、恐怖や嫌悪の対象ではない。
ダンジョンでは戦わざるを得ない状況はどうやっても生まれるのに、いざその時が来て「戦えない」なんてやったら待っているのは死の結末。
だからこそ探索者は色々と割り切って戦うのだ。
「今のところは順調ね。戦いも問題ないし、想定より早く進めてるし」
「つくづく魔力って力のアドバンテージを感じてるよ。この辺りまで前に来た時は苦戦してたしな」
「私達も成長してるってことよ。――梓」
「ああ、前方右。木の上に蛇が二体と、地面に潜ってるのが一体」
凛華が制止の声をかける前に立ち止まり、冷静に敵の数を把握する。
上の方から感じる敵対的な視線と、僅かに掘り起こされたような地面の様子で判断した。
「俺、下のやつ嫌いなんだけど。時間かければ地面を荒らされるし、タイミング取りにくいし」
「まあ、そうね。かといってこの辺のまともな道はここだけだし。逸れて獣道にでも入る?」
「……それは遠慮したいかな」
獣道は歩きにくいし、虫はいるし、下手したら熊とかの凶暴な魔物に遭遇する危険性も上がるし。
戦いになったら足場も悪い俺達がが圧倒的に不利になるので、非常時以外は通りたくない。
それに比べれば戦う方がまだマシか。
「相性的には梓が蛇担当の方が良いかもね」
「いいのか?」
「その代わり下のやつを誘き出す餌になって貰うけどね」
「ああ……そういうことね。俺だけ戦えば標的は限定出来る、か」
「そ。安心しなさい、骨は拾うから」
「それ俺死んでるよな? マジで止めてくれよ?」
冗談と分かっていても聞き返したくなるものだ。
下にいるのが何か知っていれば尚更。
とはいえ止まっていても仕方ないので行くことにしよう。
何時でも抜けるように刀を握り、あたかも気付いていない風を装って木まで近づく。
頭上に伸びる木の枝には、俺を喰うべく虎視眈々と狙う毒蛇の魔物が目を光らせている。
奇襲であれば効果も大きいだろうが、分かっていれば大したことはない。
――三、二、一。
真下に立った直後、二つの気配が動く。
僅かに視線を上へと動かし……噛み付こうと口を開けて舌をしゅるりとちらつかせる姿を捉える。
同時に魔力強化を使用しての抜刀術を二匹の蛇へと放つ。
仄暗い森へ半弧を描いて銀の軌跡が奔り、一閃で胴体の中ほどを断ち斬った。
落ちてくる二等分の蛇を避けるように余裕を持って三歩後方へ退避して、手元でくるりと刀を回して血払いの後に納刀。
しかしこれでは終わらない。
徐々に近づいてくる地鳴りと、弱い地震を思わせる小刻みな振動。
目を瞑って数少ない情報を取り零すことなく掴み取り、予想通りの奴だと確信する。
数秒待って、右脚が沈む感覚に襲われた俺は咄嗟に左脚で弾みをつけて横へ退避。
その場所を見れば、下にいた魔物が作り出した蟻地獄が渦を巻いていた。
「じゃ、バトンタッチね」
スイッチした凛華が槍を渦の中心へ突き刺して、
「――水よ」
凛華なりの『魔法』を円滑に使用するための起句を唱えると、槍の穂先から泉のように真水が湧き出て渦へ注がれる。
蟻地獄の主に抵抗する手段はなく、次第に水で満たされた渦の底からぷかりと小さな影が浮上した。
蟻地獄の主……ウスバカゲロウを模した魔物、ヒトジゴク。
半透明で手のひらサイズの虫型の魔物……ううっ、キモイ。
マジで無理、生理的に無理。
もう鳥肌が止まらない。
「あら、根性ないわね」
「良いから早くトドメ刺してっ!」
「そんなに騒がなくても大丈夫よ」
わなわなと震える俺を一瞥して微笑ましいものを見たと言いたげに目元で笑い、ソレを槍で一突き。
なんであの見るだけでSAN値チェックを強いられるようなゲテモノを見て平然としていられるの……?
正直これのせいでもう帰りたくなってきたよ……試験があるから帰らないけど。
実はヒトジゴクは結構レアな魔物で、遭遇する頻度は月に二回とかそのくらいだった。
なんて今日引くかなぁ……気が滅入るよ。
そうこう思考をトリップさせている間にも、蛇とヒトジゴクの死骸はダンジョンに吸収されて跡形もなく消えていた。
気を取り直して先へ進もうとしたが、何かドロップ品があったようだ。
「……なんだ、これ」
拾い上げたのは、きらりと光る銀色の指輪だった。
レアドロップ? 装備が出てくるなんてボスくらいなはず。
かといってさっきの二種類はボスじゃなく、普通の魔物。
「ねえ、それって結婚指輪じゃない?」
「え?」
「内側を見て。名前が刻まれてる」
言われるがままに確認すると、そこにはローマ字で二人分の名前が刻まれていた。
……てことは、これは。
「探索者の遺品?」
「かもね。さっきの魔物に殺された探索者のものかも。消化されていなかったってことは、つい最近殺されたか……あるいは、指ごと噛みちぎられたか。どっちにしろ連絡しない訳にはいかないわね」
これも探索者をやる上では覚悟しなければならない事態。
ギルドへ情報共有することは、回り回って探索者自身の身の安全に繋がる。
知っていれば大半のトラブルは回避出来るのだ。
浮かない気分で端末を取り出してギルドへ通信を繋いで――
「――あれ、繋がらない」
プーッ、プーッ、と通信エラーを告げる音が鳴る端末。
一度消してから再度かけ直すも、結果は変わらず一向に繋がる気配がない。
「故障? ちゃんと点検してるの?」
「当たり前だろ……タイミング悪いなぁ」
「私がやるわ」
凛華も自前の端末を取り出して同じようにギルドへかけるも、俺と同じようにエラーを告げる音が不安感を煽る。
「嘘、二人同時に故障なんて」
「有り得なくはない……けど、試験用の端末も繋がらないんだよな」
「てことは、魔物の仕業?」
「わからない。そんなのがいるって情報は無かったはず」
試験を行うにあたって情報収集と装備の準備は万全を期してきた。
持っていた端末が全部同時に壊れる? そんな偶然あってたまるか。
作為的な何かを感じる。
けど誰が? その答えがまるで出ない。
考え込む俺と凛華。
連絡手段が絶たれた今、求められるのは速さだ。
手遅れになってからでは何もかも遅い。
――一度撤退しよう。
そう言いかけた瞬間。
肩に、何かが触れた。
「――ッ!?」
反射的に跳ねる身体、思考が脈絡なく現実へ引き戻される。
一切気配は感じられなかった、でも何かがそこにいる。
その確信だけを頼りにくるりと背後へ振り返って右ストレートを繰り出し――
「おおっ、いい反応」
予想通りの反応と言いたげな口調の人物に、パシッと軽く受け止められた。
それは聞き覚えのある声で、居るだけで安心感を与えてくれる存在。
「……士道、さん?」
「うん、そうさ。天使様の専属騎士、御剣士道ですよ……っと」
にこやかに一礼する士道さんが顔を上げた瞬間、風を切って鋭い突きが顔面目掛けて放たれた。
それを首だけの動きで躱して、柄の部分を抑えてそれ以上の動きを止める。
「ちょっと変態。なんでここに居るの変態。とうとう本物の変態になったの?」
「まあまあ、落ち着いて凛華ちゃん。本来なら私も二人の前に姿を現さないつもりだったんだよ」
「……つまり、本当にストーカーだったの?」
「ストーカーかと言われれば違うけど、やっていた事を考えればストーカーというのもあながち間違いではないかな」
苦笑混じりに言う士道さんだが、どうにも雰囲気がおかしい。
それを凛華も感じ取っているのか追求をせずに士道さんの語りを待っている。
「いやぁ、二人共察しが良くて助かるよ。私は二人の監査役だったんだけど、状況がちょっと変わってね。単刀直入に言うと――」
一度伝えることを躊躇うように切って、告げる。
「――私達は、ここに閉じ込められたみたいだ」
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