第31話 化物

 


「意味不明なこと言わないで。そう断言するなら根拠はあるんでしょうね」


 むっとした口調で士道さんを問い詰める凛華。

 その気持ちは分かるし、理由もなしに信じられないものだ。


「そうだね……じゃあ、二人は富士ダンジョンを知ってるかい?」

「有名ですしそれなりには」

「私も同じくらいね」


 富士ダンジョン。

 日本国内でも屈指の難易度と規模を誇るダンジョンで、未だに最深部まで辿り着いた探索者は存在しない。

 立ち入ることが出来る探索者はBランク以上に限定されているが、それでも死者が絶えない場所だ。

 魔物の質も量も然ることながら、富士ダンジョンは少々特殊な構造になっているため探索がより困難になっているのだ。


 ――迷いの森。

 ゲームでよくある言葉だが、それを体現した樹海が富士山の麓に広がっている。

 そこは一定時間が経過すると、スライドパズルのように道が切り替わるのだ。

 法則性はランダムな上に、他と変わらないような地形がより複雑化させている。

 一度迷い込めば自力で脱出することは不可能に近い。

 唯一の救いはコンパスが狂わないことだけ。


「もしかして、今って富士の樹海みたいな感じになってる……?」

「正確には少し違うね。例えるなら一方通行のベルトコンベアに乗せられた荷物ってとこかな」

「意味がわからないわよ」


 士道さんの言葉を頭の中で想像した。

 ガタガタと動くベルトコンベアの上で流れに逆らえずに運ばれる俺達……。

 酷くシュールだ。

 もう少し、こう……なんかなかったかな。


「まあ、とにかく出られないって事だけ理解してくれればいいよ。一応救助役の人がいる場所へ行ってみよう。合流出来るかもしれない」


 くるりと振り返って歩き出した士道さんへ懐疑心を抱きながらも、俺も凛華も後へ続いた。




 約十分後。

 場所が巻き戻ることなく、救助役が待機している竹林へ足を踏み入れていた。

 高く高く背を伸ばす竹が乱立し、無秩序的な様相ながらどことなく整然とした印象を受ける。

 頭上では無数に笹の葉が折り重なって、隙間の空いた天然の屋根を広げていた。

 細々とした隙間からは相も変わらず曇り空が覗き、景色に影を落としている。


 生温い風が竹の間を縫って吹き抜け、肌を撫でて髪を靡かせる。


 ――なんか、気味が悪いな。


 直感的に感じた平常時とのズレ。


 天候でも、時間でもない。

 気配というか、空気というか。

 上手く言葉にできない感情が、ふつふつと心の奥底で湧き上がる。


「……これは、不味いね。良くないモノがいる」


 険しい表情で呟く士道さんの反応でそれを感じていたのが俺だけじゃないことに安堵し、同時に一層警戒を強める。


「良くないモノって?」

「この世界にはね、ダンジョンが生まれる昔から化物の類いが存在しているんだ。多分、それらに連なる系譜の何かがいるんだと思う」

「……嘘や冗談って訳じゃなさそうね」

「この非常時につまらない冗談を言うと思うかい?」


 顔は笑っているものの、声音は初めと全く変わっていない。


「つまりは、それが元凶?」

「可能性は高いけど、それはそれで面倒だよ。そういうモノは大抵強いんだ。ダンジョンの魔物なんかより、よっぽど」


 実感が込められた風に感じる士道さんの口ぶり。


「士道さんは何でそんなことを知っているんですか?」

「ああ、それは簡単だよ。生まれた家が化物と戦う家だったから。……まあ、私はちょっとした事情で家を離れたんだけどね。基本的な戦闘技術は子供の頃から叩き込まれていてね。お陰でこうして探索者をやれてる訳だよ」


 大丈夫、気にしてないからと最後に付け加えて、俺へのフォローも忘れない。

 短いながら随分と情報量が多い気がする。


「私、初耳なんだけど」

「吹聴するような内容でもないしね。一般人に聞かせたら常識が揺らぐから」

「……確かに、そうね」

「それに、当事者にならないと信じられないから話すだけ無駄なんだよ」


 そりゃそうだ。

 幽霊は実在します、なんて言われても実物を見て尚信じられない人もいるだろうし。



 それからも奥へ奥へと進んでいた俺たちは、それを見てピタリと足を止める。

 視線の先には、こちらを見つけて喜色が滲む顔で手を上げる男。

 目立った外傷もなく一安心か。

 首には『試験員』と書かれた札を下げている。

 彼が救助役の探索者なのだろう。


 合流も出来た事だし、後はダンジョンから脱出するだけだ。

 同じように凛華も考えていたのだろう。



「――騙されないで。彼はもう、死んでいるよ」



 ピシャリと断言した士道さんの声。

 予想だにしなかった言葉に足が止まり、振り返る。


 完全に探索者の男から視界が外れる寸前。


 にたァ、と。

 悪魔の如き嗤いが映り――記憶と重なる。


 刹那、背後に感じた死の気配。

 しかし、それは吹き荒れた風と同時に消え去る。


「――ははっ、やらせないよ」


 そこでは長剣が納められた鞘のまま、男が繰り出した貫手と鍔迫り合いを繰り広げる士道さんの姿があった。

 貫手の軌道上にいたのは……俺。

 士道さんが咄嗟の判断で庇ってくれなかったら、今頃心臓を貫かれて死んでいた。


「……オカシイナ。キオクドオリニマネシタハズ」

「左手の薬指が欠けてるのにあの笑顔は無理があるよっ!」


 鞘で鍔迫り合ったまま変則的な抜刀、からの斬撃。

 しかし男も即座に反応して飛び退いたが構わずに士道さんは剣を振り抜き、不可視の斬撃が腹を横一文字に斬り裂いた。


 だが、傷口はゴポゴポと泡立ってみるみるうちに再生して元通りになってしまった。


「再生持ち。言葉を理解する知能もある。厄介な手合いだ」

「ジャマヲ、スルナ」


 ――こいつは、俺が殺す。


 芽生えた感情。

 偶然にしては出来すぎている。

 運命と呼ぶならば、このシナリオを書いた悪趣味な神を一発殴ってやりたい。


 二度目はないことくらい、俺にだってわかる。

 だけど、避けては通れないと本能で察した。


 覚悟を決めろ。

 今がその時だ。


「二人とも力を貸してくれ。一人じゃ厳しそうだ」

「当然です」

「当たり前よ」


 生きて帰るには勝利以外の道はない。


「クライツクシテクレル――ニンゲンッ!!」


 竹林へ響き渡った咆哮を開戦の狼煙として、化物との戦いが始まった。




 膝の屈伸を使って、予備動作に入る化物。

 踏ん張る地面がひび割れて砕ける寸前。


「離れろ!」


 士道さんの号令が響き、魔力強化を使用して同時に全力で後方へ飛び退く。

 そこへ竹をへし折りながら獣のように飛び込んできた化物の拳は地面を穿ち、爆音を響かせて重機のように大地を掘り起こした。

 根元から折れた竹が吹き飛び、遠くへ無造作に投げ出された。

 僅かに動きを止める化物へ士道さんが肉薄して切り結ぶ。


 秒間に放たれる無数の銀の剣閃はしかし、一つ残らず化物の素手で弾かれ有効打を与えられない。

 一対一ならば互角。

 なら、三対一なら――


「いくよっ!」


 凛華の掛け声に合わせて戦線へ復帰し、間隙を埋めるように攻撃を仕掛ける。

 誰にでも隙は生まれるものだ。

 それは士道さんほどの使い手であっても変わらない。


 魔力強化を最大限使用した状態で、ようやく俺と凛華は化物と渡り合える。

 いや、一歩か二歩――足りない。

 速さが、膂力が、技が、何もかもが足りない。

 されど数の暴力には叶わないようで、何度か化物は傷を負う。


 対してこちらは攻撃の大部分を士道さんが受け流しているため、目に見える被害は少ない。

 ……けれど、これではジリ貧だ。

 疲労は確実に蓄積する。

 その上、あの化物には再生能力もあるのだから、長期戦はやるだけ無駄。

 勝負を決めるには短期決戦しかないだろう。


「――吹き飛べ」


 士道さんの手のひらが化物の腹に触れたかと思えば、次の瞬間には弾丸のように遠くへ化物を吹き飛ばしていた。

 何あれ、人間業じゃないでしょ……。


「今のは発勁をさらに強化した結果の技だよ。練習すれば誰でも出来るようになるよ」


 いやいや無理でしょ。

 とはいえ一息つく時間が出来たのは嬉しい。

 数十秒の攻防ですら精神力を擦り減らす上に、体力の消費も尋常じゃない。

 俺も凛華も肩で息を整えているが、士道さんは体力的には余裕そうだ。

 だが、戦いのバランスとしては危ういものに変わりはない。

 士道さん一人にかかる負担が大き過ぎる。


「小技じゃ埒が明かない。かといって大技を撃つ隙もないときた。二人とも魔力量の余裕は?」

「あと半分ちょっとですかね」

「私はそれより少ないわ」

「あの短時間でそれだと……長引かせるのは得策じゃないね。何とかして隙を作れればいいんだけど」

「……隙を作れたら、倒せますか?」


 もし化物を倒せるとすれば、最大火力かつ最高戦力の士道さんだけ。

 なら俺と凛華が出来るのはお膳立てだろう。


「多分、倒せる。けど、溜めが必要なんだ」

「ならお……私が時間を稼ぎます。凛華も手伝ってくれ」

「当然よ。一人で行かせたらすぐ死にそうだから」

「不吉なこと言わないでくれ」


 自ら死地に飛び込もうとしているのに、凛華は着いてきてくれる。

 一人じゃダメでも、二人なら。

 いける気がする。


 いや、やるんだ。


「……本当に、いいのかい?」

「何度も言わせないで。そんなに信用出来ない?」

「なら二分……いや、一分でいい。それだけあれば、あの化物を倒せる」


 断言した。

 あれ相手に一分は相当だ。

 さっきは三人であれだけ厳しかったのに、二人になる上に時間も長い。

 けれど、やるしかない。


「どうやら時間切れみたいだ」


 飛ばされていた化物が戻って来た。

 人間の身体が少しずつ縮み、やがて俺が知る狐の姿へ変わった。

 いよいよ本気も本気という訳か。


「凛華。信じてる」

「私もよ、梓」


 二人で揃って前に出る。

 培ってきた全てを総動員して、やるべき事はただ一つ。


 ――斯くして最も長い一分間が、幕を開けた。

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