第5話 何もわかってない

 午後は主に小物を見たり、生活用品を買い足したりして帰宅することになった。

 アクセサリーの類に興味はあまりないはずなのに、キラキラとしたものを見ているだけで楽しめたのは意外だった。

 こういう精神的な面でも性別が変わったことが絡んでいるのだろうか。

 なんてことを考えつつも、日が落ちて気温が落ち着いてきた頃に家に着いた。


「やっと着いた……」

「梓姉、直ぐに夕食を作るから、それまで休んでて〜」


 まだまだ元気があるように見える伊織に片手を振って返事をして、手洗いうがいを済ませてからソファへとダイブ。

 クッションへと顔をうずめると、今日一日の疲労と相まって眠気が急に顔を出した。


「……いや、まだ、ねるな……っ」


 帰って早々、これでは眠ってしまうと思い、頬を抓って無理矢理眠気を遠ざけようとしていると、携帯からピロンッ、と着信を伝える音が鳴った。

 何かと思って見てみれば、カレンからだったので、直ぐに出ることにした。


「もしもし」

『もしもし、梓ちゃん。今大丈夫かしら?』

「大丈夫だけど、電話なんて珍しいな」

『ちょっと声が聞きたくなったって言ったら惚れるかしら?』

「……惚れる訳ねぇだろ。さっさと本題に入ってくれ」

『いつか惚れさせるからね……と、こんなことを言いたいんじゃないのよ』


 こんなことって……カレンの場合は冗談に聞こえないから困るのだ。


『一番近い日でどこか空いてる日はないかしら』


 一番近い日か……。

 部屋にあるカレンダーを見ながら、少しばかり考える。

 今日は七月二十日の土曜日で、明日は道場の方に行く予定があるから……。


「すまんが明日は空いてないから、明後日の月曜でいいか?」

『ん、ああ、そういえば日曜はあそこに行くんだったわね。それでいいわよ』

「それで、月曜に一体何をする気だ。仕事か?」


 カレンが俺を呼ぶ用事なんてそれくらいだろうと思っていたのだが、返ったきたのは否定の言葉だった。


『違うわ。昨日ダンジョンに行ったから、一応こっちでも検査しておこうってことになったのよ。ちなみに拒否権はないわ』

「……マジか」

『マジよ。だから、朝九時に三葉重工本社の研究棟に来てちょうだい。受付で名前を言えば案内されるように話は私が通しておくから』


 相変わらずの手際の良さである。

 ほんと仕事はきっちりこなすからなんとも言えないんだよな……。


「わかった。じゃあ、切るぞ」

『ええ。待っているわよ、梓ちゃ――』


 無性に甘ったるい声が聞こえてきたので、条件反射で電話を切った。

 ただでさえ電話を耳元にくっつけているのだから声が直に聞こえて、さらにあんな蕩けるような声を出されると興奮以前に薄ら寒いものを覚える。

 何せあいつ……カレンは所謂百合っ子なのだ。

 俺とカレンの出会いははっきり言って最悪だった。

 ……思い出したら悪寒がしたのでこれ以上はやめよう、精神的によくない。


「梓姉〜、ご飯出来たから食べる〜?」


 キッチンの方から空腹感を刺激する香りと共に、俺のことを呼ぶ声が聞こえた。


「ん、食べる」


 伊織の作る料理は美味しいからな。

 意識を切り替えて、残された時間を過ごして、今日も平和に終了するのだった。



 翌日、朝早い時間に俺は家を出た。

 伊織は今日は留守番である。

 ハーフパンツとTシャツという動きやすい服装に身を包み、タオルや水筒、着替えが入ったバッグを持って向かう先は、数年前からお世話になっている場所だ。


「……いつ来ても凄いところだな」


 目の前には歴史を感じさせるような、大きな暗色系の扉が聳え立っている。

 表札には『一ノ瀬』と書いてある。

 家……というよりは屋敷という方が正しいこの場所だが、ちゃんと現代らしくインターホンがついている。

 ボタンを押して少しすると、中から扉を開けてくれたようで、次第に横に長い建物と、目的地が見えた。

 そのまま先に長い建物……母屋へと向かい、挨拶を済ませることにする。


「梓くん、いらっしゃい」


 待っていたのは頬に手を当てながら、優しげに微笑む女性だった。


「お久しぶりです、奏さん」


 彼女は俺の事情を知っている数少ない人の一人なので、俺として返事を返した。


「今日も康介さんは道場の方にいるけれど、直ぐに始めるの?」

「そのつもりです」

「あんまり無理しちゃダメよ」

「わかってます」


 少しだけ会話をしてから、俺は道場に向かおうとしたのだが、視界の端に写った人影を見て、立ち止まった。

 白い道着を着た、濡れ羽色の長髪を揺らして歩く凛とした雰囲気を漂わせる少女――


「――凛華」


 彼女の名前を、小さく呟いた。

 しかし、凛華は聞こえていないのか、見向きもしようとしない。


「――凛華っ!」


 今度は聞こえるように叫んだ。

 すると、凛華はゆっくりと俺の方へと振り向いて――冷たい視線が突き刺さった。

 拒絶していることがはっきりとわかる漆黒の双眸が、ただ、何を言うでもなく俺へと向けられていた。

 数秒間、重い沈黙が場を支配して、俺は何も言えなかった。

 ……いや、俺に何かを言う資格なんてなかった。

 俺は、自分の都合で凛華を裏切ったのだから。

 この程度は当然の報いだ。


「……凛華」


 後悔に打ちひしがれる俺に代わって、奏さんも彼女の名前を呼んだが、その言葉すら無視して凛華は、道場の方へと向かったようだ。


「はぁ……ごめんね、梓くん。最近はずっとああなのよ。何を言っても上の空で、会話すらままならないくらいに塞ぎ込んでしまったの」

「……悪いのは全部、俺ですから。奏さんが気にすることじゃないですよ。それより、俺もそろそろ行きますね」

「……ええ。いってらっしゃい」


 不安と、無力さを感じながらも、なるべく平静を装って道場へと向かった。


 一ノ瀬家には、『一ノ瀬流』と呼ばれる流派が、昔から連綿と受け継がれている。

 内容は徒手空拳から剣術、刀術や槍術などを初めとして、マイナーな武器に関しても一通り存在する、万能な流派だ。

 これは、世界にダンジョンが出現するまでは国内にある一流派でしかなかったが、その後は理論に基づいた武術の重要性が政府や警察にも認知されて、今では京都府の主要な武術の一つとなっている。

 そのため、警察や探索者などがこぞって学びに来ているらしい。


 更衣室で道着に着替えてから、久しぶりに来た道場は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 一ノ瀬流の正式な継承者であり、警察のダンジョン探索課の隊長を務めている、一ノ瀬康介さんが上座に正座をしていた。

 凛華と同じく白い道着を着た優男のように見える康介さんだが、実力は探索課の中でも随一らしい。

 その前には先程見た凛華がいて、静かに目を瞑っている。

 俺が入ってきた音にも動じず、こっちを見向きもしようとしない。

 どうにも居心地の悪さを覚えてしまうが、それを作り出したのは他でもない自分なのだから、少なくとも今は甘んじて受け入れるしかない。

 こんな服装で着たことで若干のアウェー感を味わいつつも、気を引き締めて道場へと足を踏み入れた。


「失礼します」


 声を上げて一歩踏み出すと、康介さんが俺の方を見て、


「よく来たね、梓くん」

「お久しぶりです。今日からまた、お世話になります」


 康介さんはこくりと頷いて、


「ああ。よろしく頼むよ。……それじゃあ早速、始めようか」



 それから一時間、久しぶりに稽古に来た俺のために基本動作の確認に重点をおいて、程よい疲労感を感じたあたりで一旦休憩を入れることになった。

 康介さんは一度母屋の方へと戻っているので、今は凛華と二人きりだ。


「はぁぁ……疲れた……」


 夏場ながらひんやりとした床が、火照った身体から熱を奪ってくれるようで、ちょうどよかった。

 流石に床に伏せるようなことはしなかったが。

 タオルで汗を拭いて、水筒に入れてきたスポーツドリンクを喉を鳴らしながら飲んだ。


「ふはぁ……生き返る」


 一段落ついたところで凛華の様子を見てみると、こちらも同じように汗を拭い、水分補給を済ませていた。

 俺のように独り言は言っていないが。

 凛華の様子は今日初めて会った時とは違うもので、稽古のことしか考えていないように見えた。

 ……もしかしたら、意識してそうしているのかもしれないが。

 そのまま何となく眺めていると、急に凛華がこちらへ振り向いて、


「……何」


 どう考えても機嫌が悪いことがわかる声音で話しかけてきた。

 凛華の方から声をかけてくれるとは思っていなかったため、戸惑いつつも急いで思考をまとめて、


「……やっぱり、怒ってるか」

「…………」


 返ってきたのは沈黙だった。

 しかし、それが何よりも雄弁に凛華の心境を物語っているようで、心が痛んだ。

 けれど、何時までもこうしている訳にもいかない。


「黙って一人で勝手にダンジョンに行ったのは悪かったと思ってる。ごめん」


 既に独り言になってしまっているが、それでも言わなければならないと思った。

 俺が病院で昏睡状態だった時に凛華がお見舞いに来てくれたらしいが、それ以来顔を合わせたのは今日が初めてだ。

 連絡を送っても返信は返ってこないし、時間もなくて会うことが出来なかった。


「謝るのも、遅くなってごめん。許してくれなんて言うつもりはないけれど、俺のせいで凛華が機嫌を悪くしているなら――」

「――違う」


 ぽつりと漏れた否定の言葉は、震えていた。

 違うってどういうことだと困惑したままの俺へと畳み掛けるように、凛華は続ける。


「梓は、何もわかってない」


 そう言うと、ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、稽古で使っていた木製の長槍を握った。

 構えを取った凛華は長槍の先端を俺へと向けて、


「その腐った性根を叩き直してあげる。剣を握って……梓」

「なんでそうなるんだよ、凛華」

「言葉がわからないなら、身体に教え込むだけ」


 取り付く島もない凛華の様子に、俺の中に迷いが生じた。

 このまま話をしても埒が明かないのは既に明白だ。

 それに、少しだけ気になることもあるのだ。

 今の俺が、どこまで彼女に通用するのか。

 試すには絶好の機会だろうし、手加減なんてしないだろうから。

 勝負事に関しては、凛華はどこまでも信用出来るのだ。

 それなら……


「……わかったよ。昔みたいに負けて泣いても知らないからな」


 正面から向き合うために、俺も木刀を構えて向き合った。

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