第4話 女の子らしい日常

 


 日差しと人の視線を可能な限り避けながら向かったのは、自宅の近くにあるショッピングモールだ。

 とはいえ、公共交通機関を使っての移動なので、嫌でも人目にはついてしまう。

 俺の場合は珍しい白髪碧眼で、伊織も傍から見れば十分な美少女だっただけに、そんな二人が並んで歩いていれば、目立たずに行動することは恐らく初めから無理だったのだろう。


「……なんかもう疲れたよ」

「あはは……梓姉も大変だね」


 ショッピングモールに着いてから直ぐにお店へ……とはいかず、一旦カフェで一休みすることにしたのだ。

 夏の暑さに体力を奪われ、さらに精神的な疲労もあってか、伊織に同情されてしまうくらいには酷いことになっていたらしい。

 残念ながら俺はメニューを見てもよく分からなかったので、伊織に「甘いやつにして」とだけ伝えて一任した結果、ホワイトナントカという名前が長い飲み物を渡された。

 もちろんこんな暑い日にホットを飲む趣味はないので、アイスである。

 テーブル席に向かい合って座って、カップに山のように乗せられたクリームしか見えない飲み物を一口飲んでみる。

 味は注文通りの甘いもので、ほんのりとコーヒー風味があるくらいで、苦いものが苦手になった俺でも飲めるものだった。


「美味しいね、これ」

「そうでしょ?」


 伊織もまた、カフェラテを一口飲んで微笑んだ。

 女の子になってから、男の頃は入ることすらなかったオシャレなお店に来ることも多くなったなぁ、としみじみと思った。

 同時にこういうのを楽しいと思っている自分がいるのも理解していて、男としての何かが崩れ去っていく気がしてならない。


「あっ、梓姉。クリームついてるよ」

「えっ、どこ?」


 指摘を受けて、ナプキンで拭おうとしたのだが、あまり成果は得られていないようで、伊織が微妙な顔をしていた。


「……ちょっと失礼っ」


 伊織の白い指先が口元へと伸びてきて、残っていたであろうクリームを指先に付けた。

 そして、そのままペロリと舐めとってしまった。


「うん、甘いねっ」

「な、な、なっ!?」


 頬を赤らめながら笑顔を見せる伊織だが、俺は恥ずかしさで顔から火が出そうだ。

 だがしかし、ここで大声を出すわけにもいかず、睨みつけるだけに留まった。

 仲睦まじい姉妹の甘い空気を二人で作り出していると、不意に視線を感じた。


「……もしかして、見られてる?」

「だって、梓姉が可愛すぎるのが悪いよ」


 伊織に小声で聞いてみると、若干呆れたような表情で何故か俺のせいだと返されてしまった。

 何か変なことでもしていただろうかと考えるが、心当たりが全くない。

 しかし、居心地が悪い……というより、微笑ましいものを見るような視線なので、なるべく気にしないことにした。


「でも、こうしていると本当に女の子だよね」

「……これでも慣れてきたとは思っているからね。それに、今は外だし」


 前に垂れてきていた前髪を耳にかけて、視線を伊織へと送った。

 動き一つ取っても男と女ではまるで違う。

 身体的な違いや服装の違いなど、例を上げれば様々だが、やはり女の子になってからの方が人目を気にするようにはなったと思っている。

 それには例の仕事も関わっている気がしないでもないけれど……。

 それからもカップの中身がなくなるまでカフェで一息ついてから、買い物へと向かった。


 今日は平日で学生は夏休み期間だからか、予想以上に混みあっていた。

 若い人がほとんどで、わいわいと楽しそうに会話をしている光景がそこかしこで見られた。


「梓姉、こっちこっち!」

「わわっ」


 やけに元気な伊織に連れられてやってきたのは、色とりどりの洋服が所狭しと並ぶ、『女の子』なお店だった。

 伊織が昔から来ている店らしく、リーズナブルな割にオシャレなものが多いとか。


「いらっしゃいま……っ」


 俺と伊織の姿を見た店員さんが声をかけてきたが、途中で詰まらせながら凄い目でこちらを……特に俺のことを見ていた。

 穴が開くんじゃないかと言うくらいに凝視されていたが、直ぐに理性を取り戻して仕事へと戻っていた。

 ……正直怖かった。


「どうしたの?」

「ん、ああ、なんでもないよ」


 立ち止まっていた俺を気にしているようだったので、大丈夫だと返して、俺も店の中へと入った。


 ーーそして、それは始まった。


「……ど、どう?」


 言われた通りにくるりとターンをすると、ふわりと涼しげな水色のスカートが舞って、目の前でキラキラと目を輝かせながら激しく縦に首を振る伊織と、いつの間にかそこにいた店員さんにぎこちない笑みを向けた。

 出来れば俺だって仕事以外でこんなことはしたくない。

 伊織が服を選んでいて、それが俺に着せるためのものだったと理解した時には遅かった。

 ワキワキと手を踊らせながら逃げ道を塞ぐように追い詰められた俺は、やむなく試着室へと連行された。

 渋々伊織から渡された服を試着して外に出てみると、何故か伊織と店員さんが俺のことを話していた。

 それだけなら良かったかもしれない。

 今度は店員さんから服を手渡されたのだ。

 暗に「試着して」と言われていることを悟った俺は、心を無にして耐えることを決断した。

 それからはダムが決壊したかのように次々と二人が服を持ってきて、取っかえ引っ変えで着せ替え人形のような扱いを受けていた。


「……梓姉、反則すぎる」

「……激しく同意します。これは天使です」


 ……何も聞こえない、何も聞こえない。

 不自然にならないくらいに二人から視線を逸らして現実逃避を心の中だけですることにした。

 かれこれ一時間はこんなことをしているのだが、二人の服選びが止まらないのだ。

 いい加減俺も疲れてきたし、こんなことを外でするのは恥ずかしい。


「……伊織。これ、いつまでやるの」

「うーん、私としては一日中やってても飽きないんだけれど……嫌だった?」


 そう聞かれると少々受け答えに困ってしまう。

 こうしているのは楽しいし、何より伊織が喜んでくれるのなら多少のことは我慢出来る……はず。


「嫌じゃないけど、そろそろ疲れた……かな」

「……なら、今日のところはこの辺でストップにしようかな」


 助かったと思い安堵するが、あくまで「今日のところは」らしいので、次回は気をつけようと心にメモを残しておく。

 多分無意味になるだろうけれど、心構えが出来るだけマシだろう。

 試着室へと戻り着てきた服へ着替えてから、何着か見繕って会計を済ませた。

 昔ならかなり躊躇うような金額ではあったが、今の生活には余裕があるのでこれぐらいなら大丈夫だ。

 クレジットカードの役割も兼ねている探索者証明証を渡してスキャンして貰って、支払いを簡単に済ませたまでは良かったのだが、店員さんが、


「初めからずっと可愛いお客様だと思っていましたけど、もしかして……本人ですか?」


 無法地帯となってしまうダンジョン内で事件が起こった際に、直ぐに特定出来るように探索者証明証には個人情報が記載されている。

 本名や生年月日、顔写真や連絡先まで、凡そ全ての情報が載っている。

 恐らく彼女はそれを見たから聞いてきたのだろう。

 彼女が言う「本人」というのは、三葉重工が自社製品のプロデュースのために出版している雑誌のモデルである、梓なのではないか、という意味だろう。

 ……どうしたものか。

 こういう場合の対応はカレンから指導を受けているが、この場合は……


「ーーそうですね。今日はありがとうございました」


 礼儀正しく対応するのが吉である。

 無難であり、一般的なイメージを守るためにも、大抵はこの対応を心掛けている。

 俺の人気が雑誌の売上にも関わってくるので、イメージダウンなんてしてしまったら仕事が来なくなってしまうかもしれない。

 仕事がなくなったら、俺達は生きていけないのだ。

 なんとも世知辛い理由である。


「ああ、いえ、こちらこそありがとうございました! 私、初めて雑誌で見た時からファンで、その、握手して貰えませんかっ!?」

「もちろんですよ」


 差し出された手を両手で包み込むようにすると、店員さんは「ふぁぁぁ」と声を漏らしていて、微妙な気持ちになってしまった。


「梓姉、有名人だねっ」

「あはは……」


 ここでは強気に出ることが出来ないので、乾いた笑いを浮かべるに留まった。

 有名人と言われても、俺はまだこの姿になってから一ヶ月も経っていないはずなのに、よく知っているなあと思う。

 それほど三葉重工というネームバリューによって出版される雑誌の知名度が凄いのだろう。


 握手を終えて、「また来てくださいね!」と言われたのは予想外だったが、適当に返事を返して店を出ることにした。


「そういえば、今何時だろう」


 肩から下げたポシェットから携帯を取り出して時間を見てみると、お昼を回って一時手前だった。

 確かここに着いたのが10時過ぎだったはずだから、カフェで休んでいた時間を引けば、多分一時間強はさっきの服屋にいたのだろう。

 道理で疲れるわけだと一人で納得した。


「今日はここでお昼を食べていかない?」

「うん。たまにはいいかもね」


 伊織の合意も取れたことで、今日のお昼はフードコートで食べることに決まった。

 今から家に帰って伊織が作るのでは負担が大きいだろうし、この時間帯は日が強いのであまり外にはいたくない。

 そんな訳でフードコートへと向かい、席を取ってから遠目でお店を眺めた。

 有名なファストフード店から始まって、パスタやピザ、ラーメンなどなど大抵のものは揃っているようだった。

 中にはカラフルなポップに囲まれたスイーツの店なんかもあった。

 少しだけ興味を惹かれでないもないけれど、食べるにしてもデザートとしてだ。

 甘いものは別腹だ。


「伊織は何にする?」

「色々あって迷うけれど、私はパスタにしようかな。梓姉は?」

「私もパスタにしようかな。暑くてあんまり食べられそうにないし」

「じゃあ別々のにして分け合いっこしよ!」

「……まぁ、それくらいなら」


 一応女の子同士だしね、これくらいは問題ない。

 そもそも昔はよくやっていたことだから、今更だ。

 メニューが分からないので二人で店の方へいって、思い思いのものを注文した。

 俺はアサリのバター醤油風味パスタという和風よりのものを、伊織は柚子クリームパスタというのを頼んだ。

 数分ほど待つと、お盆に乗せられて美味しそうな香りを漂わせた料理が渡された。

 予め取っていた席へと運んで、少し遅めの昼食の時間だ。


「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」


 挨拶をして、直ぐに食べ始めた。

 思っていたよりもお腹が空いていたらしく、手が止まることは無かった。

 料理自体が美味しかったこともあり、とても満足できるものだった。

 さて、お腹もふくれたことだし、午後も頑張るとしますかね。


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