第1話 『白の天使』
未だに慣れない周囲からの視線を気にしながらも、俺は新たに自宅として使うように言われているマンションの鍵を開けた。
「おーい、帰ったぞー」
「梓姉っ! 大丈夫、怪我はない!?」
「大丈夫だって。それと、あんまりベタベタ触られると、ちょっと……っ」
肩口程の茶髪のエプロン姿である伊織に、帰った途端に抱きしめられて、柔らかな感触を全身に感じてしまい、恥ずかしさで顔が熱くなる。
しかも際どい部分も遠慮なく触ってくるので、俺としては変な声を出さないように取り繕うのが精一杯だ。
多少はこの身体にも慣れてきたとはいえ、俺は元々はれっきとした男なのだ。
「伊織、ちょっ、離れろっ!」
少し強めに抵抗すると、伊織も我に返ったのか直ぐに離れてくれた。
「……ごめん」
「あーもう、伊織は俺のことを心配してくれてるのはわかってるから。そんな顔しないでくれ」
しゅんとしてしまった伊織の頭を撫でようとしたが、縮んでしまった背では難しいことに気づいて、代わりに優しく伊織を抱きしめた。
こんなことをするのは当然ながら恥ずかしいけれど、今こんなことをしても仲のいい姉妹にしか見えないから複雑な気持ちではある。
年齢的には俺の方が上なのに、今の身長は俺の方が小さいし、女性特有の膨らみまでも負けている。
……悔しい訳じゃないが、なんか悲しくなってくるのだ。
そうして抱きしめていると、強ばった表情だった伊織は頬を緩ませて、頬を合わせてきた。
ぷにぷにとした柔らかな頬が擦り合うのがなんだかむず痒くて、温かかった。
「あら、おかえりなさい、四宮梓ちゃん」
その声が聞こえて直ぐに抱きしめていた伊織を離して、声が聞こえた方向へと視線を移した。
伊織は何か言いたげだったが、今は許して欲しい。
「……なんで三葉重工の一人娘のカレンさんがこんなところにいるんですかね」
ハーフらしく、日本では珍しいプラチナブロンドと、派手な赤いゴシックドレスに身を包んだカレンが、何故か俺達の家にいた。
ニヤニヤとした笑みを俺へと向ける彼女にふてぶてしい態度で返事を返すと、
「そんなの決まっているじゃない。梓ちゃんの話を聞きに来たのよ」
至って真面目な表情でそう返されたのだ。
表情の切り替えが早すぎて怪しさ全開な彼女だが、これでも俺の――ひいては俺達兄妹の恩人なのだ。
「それなら態々ここに来る必要はなかっただろ。呼ばれればそっちに行くのに」
「梓ちゃんは可愛いから、他の人の目に晒したくないのよ」
本来なら、俺の方が顔を出すべき立場なのだが、彼女はそうしなかったのは一種の優しさだろうか。
だが……
「……なら、俺を雑誌のモデルに使うのは止めろよ」
「それはやめないわよ。売上がかかっているのだもの」
俺は、この白髪碧眼の少女という容姿になってから、訳あってカレンにスカウトされて、雑誌のモデルをするようになったのだ。
こちらとしては生活に困っていた時であり、俺が身体を張れば伊織と二人で暮らせるだけの金額を稼げると思って引き受けたことだった。
……結果として生活に困ることはなくなったものの、カレンに絡まれることになってしまった。
プラスかマイナスかで言えば、間違いなくプラスであるのだが、個人的にはカレンのことが苦手だった。
だとしても、俺達が生きていくには必然的にカレンに関わらなければならなくなったのも事実ではあるのだ。
「……それで、俺は今日のことを話せばいいんだったか?」
早いうちに帰ってもらおうと思い、カレンの要件を先に済ませようとすると、
「梓姉、先に着替えてきたら?」
伊織が俺の格好を見て、そう言った。
そこで自分の格好を見てみると、ダンジョン探索用の服装のままだったことを理解した。
「俺は別に着替えなくてもいいんだが」
特に問題があるようには思えなかった。
けれど、二人は違ったようで、
「梓姉、ダンジョンに行ってきたんだからそんな服装で家にいるのはやめて。お風呂に入って着替えてきて」
「そうね。汗だけでも流してきた方がいいと思うわ」
少しだけ、ほんの少しだけショックを受けた俺は、彼女たちの言う通りにするのだった。
とぼとぼと着替えを持って脱衣所へ向かい、ダンジョン探索用の服装であり、三葉重工の最新式であるセーラー服型バトルドレスを脱いで、さらに下着へと手をかける。
まだこうしていることの恥ずかしさはあるが、そうも言っていられないのが現実だ。
薄い胸を覆う味気のない白のブラジャーのフロントホックを外して、同じく白のショーツも脱ぎ捨てた。
全裸になった俺は、洗い場へ繋がる扉を開けて、シャワーの温度を調節する。
始めの冷たいのが身体に触れると危険だということは身をもって知っているので、念入りに丁度いい温度になったのを手で確認してから、身体を流した。
温かいお湯が全身を蕩けさせるような錯覚さえ覚えさせるようで、心地良さに思わず頬が緩んだ。
「はふぁ……」
中身にそぐわない言葉を発しているが、つい出てしまうのだから仕方ない。
数分くらい、そのままシャワーを浴びてから、手慣れてきた手つきで髪と身体を洗って、お風呂から出た。
待たせている相手が相手なので、なるべく早く済ませて、部屋着のショートパンツとTシャツに着替えて脱衣所を後にし、二人が待っているであろうリビングへと向かった。
「あら、早かったわね」
「梓姉おかえり〜」
リビングの扉を開けると、二人はティータイムをしていたらしく、テーブルの上にはバタークッキーと紅茶のカップがそれぞれ一つずつ置いてあった。
一つはまだ中身が入っていなかったので、あれが俺のものなのだろう。
「梓姉は座ってて。私がお茶を淹れるから」
「わかった」
伊織が座っていた席の隣に座ると、斜め前に座っているカレンがクッキーへと手を伸ばしていた。
「これ美味しいわね。伊織ちゃんの手作り?」
「……そのはずだけど」
「毎日でも食べたいくらいに美味しいわね」
「それは本人に言ってやってくれ」
「毎回のように言っているわよ」
そうしている間にも、数枚のクッキーが減っているあたりを見ると、お世辞を言っている訳ではないらしい。
それから伊織が俺の分の紅茶をカップに注いで、席に座った。
そのタイミングで、カレンが口を開く。
「じゃあ、そろそろ話を聞かせてもらってもいいかしら」
「……って言っても、何を話せばいいんだ?」
「まずは梓ちゃんの体調と、これからどうするのか……かしらね」
俺の体調……か。
身体は男から女……それも少女と言っていいくらいのものになってしまってはいるが、体調的には問題は無い。
けれど、変化はあった。
「……結論から言えば、今もまだ女の身体のままだ。至って健康体だが、今日のダンジョン探索でわかったのは、筋力とか瞬発力……身体能力が前とは比べ物にならないくらいに底上げされていること……かな。これはテストでもわかっていたことだが。他に変わったことは特にないかな」
「……なるほどね」
俺が言ったことを簡潔にメモ帳に纏めたカレンは、少し考え込むような素振りを見せて、視線を俺へと向けた。
「生きていくのに問題はなさそうね。違いとかはあるでしょうけれど、それは頑張って慣れなさい」
「……まぁ、善処するよ」
歯切れの悪い返事を返して、カレンから視線を逸らした。
カレンの言う通り、生きていくのに問題は無いだろう。
むしろ、男だった頃よりも収入的な面では増加しているのも事実だ。
俺が伊織と暮らすには、女のままでいる方が都合はいいのかもしれない。
だけど、割り切れない部分だってある。
「梓ちゃんのそれは、ダンジョンの魔物によるものだから、恐らく元に戻ることは無いわ。そのことはわかっている?」
「……わかってる」
残念な事実だが、受け止めるしかないのだ。
敢えてカレンが言葉にしなかったことも。
気分を変えるためにも、紅茶を一口啜った。
「……苦っ。砂糖砂糖……」
砂糖を入れるのを忘れていて、変な顔をしながら角砂糖を三つほど放り込んだ。
「……そんなに入れたら甘くなっちゃうよ?」
「この身体になってから苦いのがダメになったんだよ。俺だって好きで入れてるわけじゃない」
様子を見ていた伊織が心配そうな声音で指摘してくるが、こうしなければ飲めないのだ。
ティースプーンでサッと掻き混ぜて、また一口飲んでみると、今度は難なく飲むことが出来た。
「ふぅ……。それで、これからどうするのか……だったか」
「ええ。梓ちゃんの意見は尊重するつもりだけれど、一応聞かせてもらいたいの。返事によっては援助を打ち切ることになるかもしれないけれど」
それは当然だ。
カレンだって完全な善意でやっている訳ではなく、ギブアンドテイクの関係性が作られるから、こうして俺達に援助をしてくれているのだ。
「俺としては、このまま三葉の方で援助を続けてもらいたい。そうじゃなきゃ、俺は伊織まで……」
「――梓」
カレンがそれ以上言うのを遮ったことで、俺は思考を取り戻した。
その声は普段の揶揄うようなものではなく、真剣そのものだった。
「そんなことはさせないわ。だから、顔を上げなさい。お姉ちゃんの梓がそんなんじゃあ、伊織ちゃんも笑えなくなってしまうわ」
急に話題を振られた伊織は、ぎこちなく笑みを返すばかりで、何かを思い詰めているようだった。
……でも、その通りだな。
「……じゃあ、今まで通り頼む。雑誌の撮影とか、そのくらいならいくらでもやる」
「わかったわ。白の天使さん」
「――っ」
一瞬で、顔が引き攣ったのが自分でわかった。
そして、それを待っていたと言わんばかりにカレンは微笑ましいものを見るような目を俺へと向けていた。
カレンが言った『白の天使』というのは、今の俺が巷で呼ばれているあだ名のことであり、消し去ることが出来なくなった不名誉な称号である。
「梓姉は可愛いんだから、似合ってると思うよ?」
「……伊織、それは慰めになってない」
項垂れながら、そう返すしかなかった。
「じゃあ、これからのことも聞けたことだし、私は一度帰るわ。仕事の予定とかは後で連絡するから、不都合があったらその時に言ってちょうだい」
「わかった」
カレンは帰る前にクッキーをもう一枚頬張り、残っていた紅茶を啜った。
そして椅子から立ち上がって、何かを思い出したかのように俺の耳元に寄ってきて、
「馬鹿なことは考えないようにね。今の伊織ちゃんには、あなたしかいないんだから」
伊織には聞こえないであろう声量で囁かれたその言葉に、『俺』の部分が過敏に反応するが、どうにか表面上だけは取り繕って、
「……わかってるよ」
一言、それだけを返して、帰るカレンを見送った。
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