『白の天使』と呼ばれた探索者は、ダンジョンの魔物に姿を変えられた元男らしいです

海月くらげ@12月GA文庫『花嫁授業』

prologue

 自生するルクスリーフの淡い光が灯る洞窟の中で、迫ってくる緑色の異形を見て、少しだけ緊張が走った。

 子供くらいの背丈で、粗末な布を腰に巻き付け、荒削りの棍棒を持った異形――小鬼だ。

 そして、これから殺し合いをする相手である。


 緊張していたのは一瞬のことで、俺の右手は左の腰へと吊るされた一振の刀へと伸びていた。

 真白い鞘に納められている刀が命を預ける獲物であり、尤も得意するものだ。

 三葉重工の最新式である白を基調としたセーラー服に似たバトルドレスのスカートと白色の長髪がひらりと舞うのも気にせずに、俺は刀を居合気味に抜き放ち――一閃。

 銀色の閃光が横薙ぎに走り、異形の肉を切り裂き骨を断つ感触が刃を通して伝わってくるが、それを気にする時期はとっくの昔に過ぎている。

 飛び散る血を鬱陶しく思いながら僅かに後ろへ下がって刀身についた血を払って、納刀。

 キンッ、と涼やかな音が鳴り、保っていた緊張を少し緩めた。


 胴体を真っ二つにされた異形が速度を失い、べチャリと水っぽい音を立てて地面へ残骸を投げ出した。

 赤黒い血液がドロリと溢れて、土気色の地面に彩りを加えている。


 普通なら吐き気を覚えるような光景だろうが、これが俺の……俺達の日常だ。

 そうしているのも束の間、ズルズルと地面に死体も血液も引っ張られていき、濃紫色の小さな結晶を残して消えた。

 その結晶を拾い、軽いままの背嚢へと放り込んだ。


「……やっぱり明らかに速度も威力も上がってる」


 少女のように可愛らしい声で呟き、同時に苦笑を漏らした。

 すっかり変わってしまった自分の身体は、わかってはいたことだが以前とは比べ物にならないほどに身体能力に影響を及ぼしていたらしい。

 一撃で仕留めることなんて前までは出来なかったのに、今では容易に出来るのだ。

 その違いをデータではなく現実として実感した俺は、心の中で歓喜の声をあげた。


 すると突然力が抜けてしまい、地面へとへたり込んでしまいそうになったのをぐっと堪えた。

 まだ余裕かと思っていたが、久しぶりのダンジョンだったからか、精神的には相当効いているようだった。

 疲労で動きが鈍くなる前にダンジョンから抜け出さなければ、危険は比例するように高まる。

 その点も踏まえて出した結論は、


「今日は帰ろう。命大事にって言われてるからね」


 何度も言われていた言葉を口ずさんで、俺はダンジョンから脱出するべく出口へと向かった。



「……おい、あれって」

「うわ、本物の梓ちゃんっ!?」

「……えっ、可愛い」


 口々に聞こえてくる声を意識的に耳に入らないように務める俺は、居心地の悪さを感じざるを得なかった。

 何せそれらの言葉はひとつ残らず自分に向けて発せられているものであり、彼らの視線が集中しているのが嫌でもわかる……わかってしまう。

 好意的な視線がほとんどではあるが、中にはスカートから覗く白い太ももや薄い胸に向けられているものもあって、嫌悪感を抱いてしまう。

 以前はこんな風に視線を感じることはなかったのに、今ではその手のことに敏感になってしまっているのは仕方ないことだろう。

 さらにはマナー違反である無断撮影を行っている人もいたが、その人は警備員に捕まって、どこかへ連れていかれていた。

 俺のせいで迷惑をかけていると考えると本当に頭が上がらない。


 心の中でお礼を言いながらダンジョンを抜けると、まだ日は高く、夏らしい暑さを感じた。

 こんなに暑いと胸元をパタパタとさせて熱気を逃がしたいところではあるが、こんな場所でする訳にはいかない。

 ここはまだ外なのだから、俺は『私』として振る舞わなければならない。


「……はぁ」


 周囲の人には聞こえないように、小さくため息をついて、気持ちを切り替える。

 誰にも違和感を覚えさせないように注意すればするほど、精神的に疲労が溜まってしまうので、こうして定期的に吐き出さなければやっていられない。

 それでも俺の日常が守れるならば、やらない手はないのである。

 いい加減に慣れてきたのか、スカートの中身が見えないように歩くのも、女の子らしい仕草をするのも自然に出来るようになってきた。

 喜ぶべきことなのだろうけれど、俺の昔のことを考えると素直に喜べなかった。


 何故なら俺は――女の子の姿になってしまった、元男なのだから。



 2030年、世界中に突如としてダンジョンが出現してから、15年もの月日が経った。

 依然としてその構造や生態は謎に包まれているダンジョンだが、宝石や鉱石などの資源を初めとしたものが発見され始めると、各国の政府が主体となって攻略に乗り出した。

 ダンジョンの中には魔物と呼ばれる異形の生物が生息していて、それらを討伐すると残される魔石は、新たなエネルギー資源として注目を浴びていた。


 そして、政府がそれらを効率よく確保するべく、ダンジョンを攻略する人材――探索者という制度を導入した。

 彼らがダンジョンで集めた魔石を国が買い取るということで、ある一定の人間はコンスタントに稼ぎを出して、文字通り職業としている時代。

 賭けるのは己の命、一獲千金の夢を求めて、人々はダンジョンへと向かった。

 俺もその一人ではあったが、至って平凡な探索者だった。


 ――身体がとある魔物の仕業によって変えられた、あの日までは。

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