生命保険と宇宙の揺り籠
木沢 真流
第1話 生命保険はドル建てが良いらしい
「ねえ、あなた。もうこれに決めましょうよ」
「え、あぁ……」
私は目の前にある用紙、たくさんの数字が散りばめられたそれと、向かいに座る白鳥さん、そして横で肩をすり寄せる妻に目をやった。それからもう一度入り乱れた数字達を見つめる。一つ唾がゴクリと喉元を通り過ぎた。
「あの、白鳥さん。もう一度説明してもらってもいいですか?」
白鳥さんは一糸乱れぬ高そうなスーツ姿で背筋をすっと伸ばす。そのまま作られた笑顔で応えた。
「ええ、もちろん。何度でもご説明いたしますよ。この生命保険のプランですと旦那様に万が一のことがあっても、これだけの保証があります。それだけではありません、およそ10年すると損益分岐点に到達します。これを超えると……」
あぁ、そうだった。それ以上はプラスになっていき、払ったお金以上をもらえるようになる。そしていずれリタイアしてもそのお金は老後の年金として使える。だから老後も安心。
つまり、「今も安心、老後も安心」これがこのプランのウリだった。
がさっ、と小さな音がした、隣の部屋だ。畳に敷かれた布団の上には先日生まれたばかりの娘、百合が寝息を立てる。
一人の社会人、一家の大黒柱として生命保険にしっかり入ろう、ということで妻の知り合いのつてで白鳥さんを家に招き入れたのだった。
「——ということで、30年後はこれだけの貯蓄があることになります。仕事を辞められてからでも海外旅行、ゴルフ、お孫さんとの楽しい時間。それらにこのお金は充ててください。こんなことができるのも、ドルで運用するからなんです」
そういえばさっきもこの話は聞いた。そうだった、思い出した。
30年後か……それまでは年に一回、安い車でも買えそうなこの大金をドルにして、生命保険料として払い続けるのか。
見ず知らずの人に、私の汗水垂らして稼いだお金を毎年捧げ続けるわけだ、これから。
そもそもこの白鳥さん、30年後も生きてるのか? 自分がリタイアした時に、ふがふが、どる建て? それはなんのことじゃったじゃろか……なんて言われないだろうか、そんなことをぼんやりと考えていた私の頭を妻は揺すった。
「ね? 白鳥さんもこんなに言ってくれてるんだし。もうこれにしよっ! いいよね?」
一応許可は取ってくれるが、我が家では実質主導権は妻が握っている。妻の提案に首を横に振ったことは一度もない。今回もこうやって契約は成立していくのだろう。
結局そのまま私はいくつかの書類にサインし、為替変動のリスク確認などをした後、晴れて被保険者となった。
これでいつ死んでも大丈夫、そして老後は積み立てたお金でパラダイス、きっとそうなるはずだ。
ほんとかな。
その夜、まるでもやがかかった状態で眠りについたものだから、変な夢を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます