第二話 穀雨:菊咲翡翠
「何で君は、そんなに美しいんだ。」
重く、甘さの乗った言葉が、一人の少年の、小さな口から呟かれた。
あまりにも
「はぁ~」
空を泳ぐ
君の瞳の色をした
「ねぇ
君は今日も僕に語りかける。
日本人形より
「ごめん
用事なんてない。
ただ、君といると苦しい。
胸が締まって、視界が
「そうかぁ...じゃぁ、なた今度ね!!」
幼さを残す君の声は、教室内の恵風を静かに揺らす。
「はぁ~」
背を向ける彼女を視界に、再びため息が漏れる。
今日も、言えなかった。
去年の文化祭に置いてきた一言を。
口元に残る、たった一言を。
***
「愛してる。」
幻想的なまでに
「
放課後。僕一人を残した教室で、僕はスマホ片手に、彼女の名を呟く。
最近ハマった恋愛ドラマ。スマホの画面に映るそのクライマックスを見つめながら、僕は軽くため息をつく。
こんな主人公みたいに、素直になれたらどれだけ幸せだろう。
「おぉ
ガラガラと、無駄に大きな音をたてるドアと共に、老いた教師の声が届く。
「すみません...」
スマホの電源を落とし、ズボンのポケットに落とす。
「失礼します。」
徐に立ち上がった僕は、イヤホンをつけたまま、教室を後にする。
「気を付けて帰れよ。」
不安げな視線で見送る先生を無視し、僕は1階の下駄箱へと足を進めた。
僕はあの先生を少し、尊敬している。
僕の大好きな物理を極め、黒板の前でその美を披露する先生は、男の僕に『カッコイイ』と言う表現を覚えさせた天才だ。
それなのに、僕は先生と碌に言葉を交える事もできない。
イヤホンを外すという簡単な動作さえも、
目線を合わせるという
僕には出来ない。
そんな自己嫌悪に浸りながら、僕は校舎を後にする。
そんな僕の視界に映ったのは
何か欠けている、
赤にも、黄色にもなれなかった、僕みたいな色。
どうすればいいのか分からない、誰にも近づけない、素直になれない。
そんな僕を、表しているように思えた。
だから嫌いだ。
そんな、
***
交通量の多いとある交差点。
僕は人混みに身を任せながら、近くの図書館へと向かっていた。
家に帰っても特にやりたい事がないので、適当に時間を潰すつもりだ。
「この春なのです!!あのお方はこの春!降臨なさると仰っていたのです!!」
辺りの喧騒を押し潰す、一人の少女の声が轟いた。
僕は人の波に逆い、声の根源へと足を運ぶ。
「13年前の真実を握るあの方が!この春!!」
そこにいたのは、幼き少女。その声を響かせながら、ビラを配っていた。
幼さを感じさせる顔付きに、彼女を印象付ける茜色のツインテールに赤黒の洋風ドレス。
僕は素直に、彼女を『綺麗』だと思った。
「一つくれる?」
気付けば僕は、彼女の前に立っていた。
こんな僕、あり得ない。
人と接する事を拒絶する僕が、交差点で、始めて会った少女に、話しかけている...
いつもの僕ならあり得なかった。例え少女が綺麗だったとしても、話しかけるなんて、絶対にしない。
でも、僕は近づいた。
言葉を送った。
自分でも良く分からない...ただ、少女の茜色の瞳が、僕を呼んでいた気がした。
僕はそれに、答えただけ...
「お暇な時にでも遊びに来てくださいまし。」
受け取ったのは少女の笑顔と、一枚の紙切れ。
そんな少女に
***
時刻は7時半。
紙切れは赤を主体とし、黒のインクで書かれていた為、非常に読みずらかったが、それ以上に、不気味だった。
あの『綺麗』だと思えた少女の印象がひっくり返るくらい、この紙切れは恐ろしかった。
正確には、紙の中央に描かれていた少女が。
少女は背を向けていたため、表情は見えなかったが、その長い黒髪は邪気のような物を放っていた。
「あの子は、何者だったんだ...」
僕を
「もう、こんな時間か...」
僕の視界に映ったのは、黒に染まった空。
そろそろ帰らねば、流石に家族も心配するだろう。
ゆっくりと立ち上がった僕は、イヤホンを外し、少女から受け取った紙をカバンに入れた。
***
帰り道、とある大通り。
じゃれ合う恋人に、談笑する親子が支配するこの大通りで、僕は彼らの波に乗り、家へと足を進めていた。
すると突然、人の波に乗る全ての人間を硬直させる、凄まじい衝突音が大通りに響き渡った。同時に、あちこちから悲鳴も聞こえてくる。
僕はそんなざわつきに引き寄せられ、気づいたら、目の前に彼女がいた。
「近づくな察共!!」
「
何年ぶりだろうか...声を荒げたのは...
人と言葉を交える機会なんてなかったし、気力もなかった。そんな僕が、大声を上げたのなんて...下手したら始めてかもしれない。
「
彼女の声は、酷く震えていた。
声だけじゃない。唇、そして手足。体全体が震えていた。
そんな彼女を見て、僕は、じっとしていられなかった。
僕と彼女の間には警察、そしてナイフを持った男。どう考えても理系の僕に対処できる問題じゃない。なのに、僕の足は動いた。
冷静に考えなくても分かる事だ。変に僕が出しゃばれば、ナイフを持った男を刺激してしまうかもしれない。ここはプロである、目の前の警察の人に任せた方が
でも、僕は
そんな僕は、警察の包囲網を後ろから掻い潜り、ナイフを握る男と、苦しむ
「近寄るなクソガキ!!この女が...!どうなってもいいのか!!」
震える男のナイフと、
「待ってて
僕は焦りを見せてしまった。傷つく彼女の肌を目の当たりにして、怒りを覚えてしまったのかもしれない。
僕は目の前の状況だけに意識を集中させ、再び一歩を踏み出す。
「まて、少年。」
そんな僕に、幼げで、覇気のない、男の子の声が届いた。
振り返ると、そこには真っ黒なスーツに身を包んだ少年の姿があった。
僕よりも小柄で、左目は病的なまでに白く、右目は大自然を連想させるような緑の輝きを放っていた。
そんなオッドアイだった少年は徐に僕の肩に触れる。
そんな少年の行動に、僕は少しだけ苛立ちを覚えた。
理由は、僕が冷静じゃなかったからだ。
一刻も早く、彼女に駆け寄りたい。一刻も早く、ナイフを握るあの男から、彼女を守りたい。そんな思いが一つの怒りの感情に変化したんだと思う。
「何ですか!僕は彼女を一刻も早く...!」
僕は人生二度目の大声をあげてしまった。しかも幼い少年に...
しかし、少年は僕の叫びを気にも留めず、拳を強く握り締め、回転を加えながら、その拳を僕の腹部にめり込ませた。
「っっぁ...!!」
思わず漏れてしまう、声なき悲鳴。
「翡翠くん...!」
震える
そんな中、元凶である少年は、薄っすらと口角を上げ、ほのかな笑みを露出させる。そして、僕の耳元で囁いた...
「今、面白いところなんだから、じっとしててよ...」
何を言っていたのか、一瞬理解できなかった。
いま、この瞬間も、彼女が苦しんでいるというのに...
「ちょっと警部!その子一般人でしょ、やり過ぎどころの話じゃありませんよ!」
地面に膝をつけた僕を見て、一人の男性が近寄ってきた。男性は少年と同じようなスーツで身を包み、腰につけていた拳銃を取り出していた。
「すまない、悪い癖だ。」
「俺じゃなくて、この子謝ってくださいよ!問題になったら警部の首なんてスッポーンですよ!息子さんだっているんですし、仕事無くなるの嫌でしょ。」
「そうか。すまないな、少年。これからは気をつけよう。」
この人達は、今何が起こっているのか、分かっていないのか?
「お前ら!!この女がどうなってもいいのか!!!」
それは僕が聞きたい。
僕は立ち上がる、彼女を助けるため、警察だかなんだか分からない人達に、彼女を任せてなんていられない。
「おっと、動かないでねぇ。」
そんな僕の唯一の思いは、届かなかった。
黒服の少年によって、誰だかも分からない、今さっき会った少年の手によって、僕の思いは踏みにじられた。
「なるほどねー」
少年は地面を這いつくばる僕の上に乗り、吞気な言葉を漏らす。
すると、少年は突然重いため息をつき、徐に立ち上がった。
「
少年は腰の拳銃に手をかざす。
「うるせぇ...」
男はそれに続くように、ポツリと、言葉を漏らす。
「はぁ...仕方ない...」
頭を抱える少年。
なんの
「うるせぇぇぇぇ!!!!」
その瞬間、男は大声を上げ、ナイフを振りかぶった。
「ちっ...」
少年は走り出す。
しかし、ナイフを振り下ろす男のスピードの方が、圧倒的に早い。
でも、僕は必死に立ち上がる。
そんな僕を止めようとするスーツの男性が視界に入る。でも、僕は気にしない。気にしてられない。そんな時、僕に残されていない。
「っ...ぁ..」
「
湿りだす瞳。
漏れ出る涙。
「あああぁぁぁああぁぁぁああ!!!!」
何も聞こえない。
何も見えない。
ただ、僕の頭の中に、あの瞬間が、彼女の最後の悲鳴が、繰り返し映される。
「19時54分.....確保...」
「救急車だ!急げ...!!」
「少年、大丈夫か!しっかり..しろ...!!」
好きだったよ、紫陽花...
あの日の言葉が、過去形になった瞬間であった。
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