第4話 ハートのK

 武蔵野に日が傾きかけていた。関係各所への手配を済ませた城熊警部は、息抜きのつもりで宮輝氏の書斎を訪れた。扉を開けると、去水隣太郎は遮光カーテンを閉ざし、薄暗いランプ一つだけの点る書斎のテーブルに座って、タバコを濛々と燻らしていた。

「捜査方針は立ったのかね?」去水が尋ねた。城熊はその沈鬱な声色に、何か冷たいものを背中に浴びせかけられたような気がした。

「なに。奇妙な書置きが出てきたからといって君を煩わせたが、やるべきことはいつもどおりさ。付近の聞き込み、交通関係各社への手配書配布。そして執事の証言の裏取りなんだ。捜査方針そのものが立たなかったこれまでの事件にくらべれば、至極平凡な事件だといえるだろうね。君の方はどうだったのだ? 勉強は進んだのかね?」

「ああ。久しぶりにハートのKに出くわした気分さ。時にまだ、執事はこの屋敷に残っているのかね?」

「ハートのK? なんの謎かね。執事はまだ残してある。署に戻す前に実況検分をしておけば、今後の手間が省けるからね」

「ここに呼べるかね?」

「ここへ?」

 城熊は、去水の力のない声に不安をかきたてられた。

「大丈夫か。この数時間ですっかり憔悴しているようだが」

「なぁに。昼食を途中で放り出してきたからさ。しかし、おかげでうまい夕食が食えそうだよ。君も一緒にどうだ?」

「まさか。この一件が片付づかなけりゃ… おいっ君、まさか!」

 去水は暗がりで微笑んだ。

「執事をここに連れてくる前に、二つ手配してくれたまえ」

「何をだ?」

「まず犬だ」

「犬を? どうする?」

 去水は「“白き犬水に飛び入るうつくしさ鳥鳴く鳥鳴く春の川瀬に”」と呟いて、

「この敷地内に乾草を貯蔵しておく小屋があるだろう。そこにナイフで自分を刺した宮輝氏が埋もれているから」

と、平然と指示した。そして唖然としている城熊に向かってさらに、

「宮輝が見つかったら、娘の方も教えるよ。その後、執事と三人で話そうじゃないか。僕はすこし休む」

 城熊は大急ぎで警察犬を手配し、宮輝の匂いで敷地内の乾草小屋を探させた。犬はすぐに乾草に鼻をつっこみ、激しく吼えた。中に、血のついたナイフを握った松濤宮輝の刺殺体が埋もれていた。

「宮輝が君の言うとおりの場所で、君の言ったとおりの状況で発見されたぞ。一体、どんな魔法を使ったんだ。霊媒か? 千里眼か?」

 興奮する城熊の声を無視して去水は例の巻紙に目を落とした。そして、「次は白栗鼠だな」と呟いた。

「なんだって?」という城熊の質問を去水はまたも黙殺し、今度は

「“ゆく水に赤き日のさし水車春の川瀬にやまずめぐるも” 

 “黒曜の石の釦をつまさぐりかたらふひまも物をこそおもへ”

 “薄暮の水路に似たる心ありやはらかき夢のひとりながるる”

 “にほやかに女の獨唱の沈み行くここちにかなし春も暮るれば” 」

と立て続けに読み上げて、

「娘は水車小屋さ。今時分は小川を流れて水車の下敷きになっているんだ。石でできた箱のようなものが河床に埋めてあるはずだから、それをここへ持ってくるように伝えてくれないか。中を濡らさないようにね」

 城熊は半信半疑で捜索を続けさせ、首を絞められた跡のある鈴香の刺殺体が、水車と小川の底に挟まっているのが発見された。石でできた箱も去水の言う通りであった。

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