第24話 月下の攻防

 月明かりに照らされる中庭。


 そこへと飛び出したのはアシリカとウルナだった。


 人間の前だとか、そんな事は関係ない。

 彼女たちは己の全力で立ち向かうべく、妖術を発動させる。


「『羅刹閃』!!」


 アシリカの握る刀に沿って立ち上る火炎。

 その威容は周囲の魔素を食い散らし、凶刃を覆っても更に膨らみ燃え上がる。

 全てを焼き尽くさんと溢れる劫火は、のたうち回り荒れ狂う。

 振り抜かれた刀の軌跡をなぞる形で、女性の視界を埋め尽くすように紅蓮の煉獄が飛来した。


「『餓刻砕』!!」


 ウルナの拳は世闇を真昼のように染め上げる。

 空からの儚い光は塗りつぶされ、網膜を焦がすは光の暴力。

 爆発的に膨れ上がる魔素を強引に球形へ。

 留めた純粋なエネルギーの塊は、アシリカの放った飛燕の後ろを追従するようにほとばしった。


 魔素を外界から取り込み放つ。

 この流れは正しく「魔術」と一緒である。


 八歳の時から一緒に過ごしてきたアシリカとウルナ。

 一体どこでどのように訓練していたのか。

 それは僕も詳しくは知らないが、この場においてこれほど心強い事はない。

 人間よりも優れた戦闘能力を有する妖怪に対抗するのは至難の業だ。


 しかし、女性はその”至難の業”を会得している輩であった。


「飛天のいななき、益荒男ますらおはかく申した……」


 迎え撃つ女性は口の端を吊り上げると、


「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を――『雲壌の須賀』」

「なっ!?」


 上げたのは誰の声であったのか。


 僕かもしれないし、ミカゲ、アシリカ、ウルナだったかもしれない。

 妖術とは知らない姫様や井伊だったかもしれない。


 それだけ目の前で起きた事が許容できなかった。


 女性の刀から揺らめき流れたのは幻想の雲。


 澄んだ白は妖術により照らし出された庭を夢幻の世界へと誘うよう。

 湧き立ち昇る幾層の雲河が立ち込め、襲い来る焔と雷をまるごと包みかき消した。


 紛れもなく、それはアシリカとウルナが用いた技と同類。


 女性もまた「妖術」で妖術を打ち消したのだ。


「驚いた。お嬢ちゃん、あんたたちそこまで使いこなしてたんだね。すごいすごい」


 女性は刀を鞘へ収めると、一人パチパチと拍手をする。

 場違いな喝采に誰もが呆然とした。

 未だに何が起こったのか良く分からない。


「貴女……本当に人間ですか?」

「それは傷つくなあ。これでも人間やってますよ? ていうか、それを言ったらお嬢ちゃんたちも人間?」


 女性の言葉にアシリカは無言だ。

 彼女の質問の意図が読み取れない。

 けれども、アシリカが問いただした意味は分かる。


「神通力を極めると――。すなわち『神術』。それは一部の才能ある達人にしか至れない極地のはずなんだけどなあ。まさかお嬢ちゃんの年でそこまで行ってるとは予想外」


 人間に扱えるのは神通力。

 そして、神通力は体内においてのみ作用する力。

 その根底が覆された。


 神通力を極めた先にある業――『神術』。


 宿命通の記憶をもってしても始めて聞く単語に焦りと動揺が生まれる。


 落ち着け。冷静に相手の能力を見極めろ。

 名前が違うだけで僕は同じものを知っているじゃないか。


 すなわち、「妖術」もしくは「魔術」。


 先ほどのアシリカとウルナの攻撃前には魔素の変化をはっきりと感じた。

 これも記憶の封印が解けた副産物だろう。

 以前よりもその変化を感じやすくなっている。


 これに対して、彼女たちの技を女性は神通力の発展『神術』であると考えた。

 アシリカの発した疑問も「人間であるのにどうして妖術が扱えるのか」という意味のはず。


 つまり、「神術」と「妖術」、その本質は一緒であるという事だ。

 それならば、恐らく魔術もその範疇に入るのだろう。


 女性の言った事が本当かどうかは分からない。

 しかし、アシリカとウルナが妖怪であると気付いた様子がない事から考えると、彼女の術は神通力である事もまた本当だろう。


「酒井はん」


 どうにか冷静になろうとしているのか。

 眼前で起こっている戦いなど、きちんと理解できていないだろう。

 それでも、声に焦燥を含ませながら、ゆっくりとした口調で井伊が僕を呼ぶ。


「まずはここを離れて人の多い安全なとこまで動くんがええ。うちが先導するさかい、離れんといてな」

「姫様を置いていくんですか!?」

「さっき賊は姫様を吹っ飛ばした時、殺そう思うてたら殺せたはずや。つまり、あん女に酒井はん以外を傷つけるつもりはない言う事でっしゃろ。だったら、まずは酒井はんを守る方が先や」


 井伊が苦しそうに答える。

 彼女も断腸の思いなのだろう。

 そう感じながらも、


「井伊の大老様から、僕を守れと言われたからですか?」


 僕の口から飛び出てきたのは、彼女を訝しむ言葉だった。


 井伊が困った様に笑う。

 そして、自らの言った事を自覚した僕は愕然とした。


 流石にこれは井伊の想いを踏みにじる発言だ。

 どうしてそんな事を言ってしまったのか。

 激しい後悔の念を抱きながら慌てて訂正しようとするも、


「それもあるかもしれへん」


 井伊は静かに首肯した。

 これには別の意味で驚く。


 しかし、続く言葉に、僕は二の句を告げなくなった。


「でも、これはうちの意志や」


 それだけ言うと、井伊は僕の手を掴んで走り出す。


 自分の意志。

 僕にはどれだけあるのだろうか。

 しつこく絡みつくのは恐怖。


 ここにいる皆は自らの意志で刀を握り、僕を護るために力を振るう。


 彼女たちに守られるだけの価値が僕にはあるのだろうか。

 違う。

 渡された分だけ、僕は返さなければいけない。

 僕の価値は自分で決めるものではなく、他者から決められるものだとしても、自分を卑下する理由にはならないのだから。


 アシリカとウルナ、それに姫様たちも加わった怒号のような撃剣の音が響き渡る。


 これだけの騒ぎだ。

 直ぐに城内に詰めている兵たちが集まってくるだろう。

 如何に実力者と言えども、数の暴力には成す術なく取り押さえられるはず。

 そうだと言うのに、僕に付きまとう不安を拭い去る事ができなかった。


「うーん。お姉さん的には逃げられるのは困るかなって」


 はっきりと聞こえた声。

 距離が離れたにも関わらず追いすがるように耳朶を打った音色に思わず振り返ると、女性がペロリと口元を舐める姿が目に映った。


 次の瞬間、


「積み重なる『慟哭』」


 重力が何倍にもなって体を地面へ縫い付けた。


 女性の放った一言。

 それはの「神術」。


 以前シュトラさんも用いていたが、指向性を明言する形で術を補助する詠唱は熟達者において省いてしまえるものである。

 この考えはあくまで魔術の理論だが、過去シュトラさんに実践された手前、同じ理屈であるだろう。


「がはっ」

「ぐうう!」

「ぎゃっ!」


 姫様と井伊の従者たちは濁った悲鳴を上げる。

 意識を刈り取られたのか、続く言葉は聞こえなかった。


「若、様!」

「くぅっ、なんなん、これ……!」


 辛うじて耐えられたミカゲと井伊も呻くくらいしか反応できていない。


 「神術」と女性が言う技の本性はまだ知れない。


 しかし、


「払い、奉る……『清浄の鈴』!」


 妖術と打ち合えた魔術なら、相手の効果を打ち消せるはず!


 相殺する形で発動した僕の魔術によって、不可視の縛鎖は断ち切られた。

 既に昏倒している人が殆どであるが、これで命の危険はなくなっただろう。


「……やるねえ」


 けれども、やはり女性は動じない。


 魔術、神通力、神術、妖術。

 これら技術は根っこで繋がっている。

 そう確信に至るだけの状況証拠は出そろった。

 ただ、ここでその是非を問う事には意味がないだろう。


 既に打ち消したとはいえ、身体に大きな負荷が掛かったのもまた事実なのだ。

 ほぼ無傷である女性をどうやって退けるか。

 でもしなければ、僕に未来はない。


「ここで倒れる訳にはいきません」


 皇国に蔓延る違和感。

 それを見定めると決意したのだ。


 こんな所で殺されてやる謂れはない。


 そんな僕の側には、


「ミナヅキの後ろで怯えているなぞ、どうして許せるか。私は幕府の次たる将軍。貴様に垂れる頭はない!」

「ふふっ。姫様、恰好付けても遅いんちゃいます? でも、うちも似たようなもんやなあ。男の子の前でくらい、強がらなあきまへん」

「先ほどの醜態、自らの行いで雪いでみせましょう。ご主人様、我が神よ。貴方様を害する者は全て我らが殲滅してみせます」

「ウルナもいるからナ。なんも心配はいらないナ!」


 心強い仲間がいる。

 それだけで、僕は僕として立ち向かえるのだ。


「あちゃー、アタイ、完璧に悪役じゃん。まあ、そうなんだけど……眩しいなー!」


 お茶らけた反応をする女性に刺すような視線を向ける。

 彼女は強い。

 殺す覚悟で挑まなければならないだろう。


 僕らの決意を読み取ったのか、女性は不敵な笑みを返した。


「では、ま、お手並み拝見といきましょうか」


 第二ラウンドが始まる。

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