第23話 迫る殺意
誰もがその存在を今の今まで知覚できていなかった。
女性のクスクスと笑う声は毒を含むかのよう。
僕らの体は硬直し、身じろぎする事すら許されない。
そこにいるだけで肌にビリビリとした痺れる気配を感じる。
そして、押し潰されそうなほどの圧迫感。
この人、只者では無い。
「じゃ、死んで?」
感じる凄味とは真逆の気軽さで、その一言が聞こえた時。
僕は怖気で総毛立った。
一陣の風が吹き抜ける。
同時に、女性の目の前で凄まじい衝突音が鳴り響いた。
その勢いは余波をもって物理的な衝撃になるほど。
至近距離での轟音に耳がキーンと遠くなる。
状況は唐突に変化した。
「焦る女は嫌われるよ?」
「早くご主人様を!!」
女性の言葉を無視してアシリカが怒号を発する。
それだけでアシリカに余裕などない事が見て取れた。
動いたのはアシリカとウルナ。
二人揃って女性へと攻撃を仕掛けた。
腰に佩いていた太刀を素早く抜き放ち大上段から振り下ろしたアシリカと、正拳中段突きの形で拳を女性の腹部へ振るったウルナだが、そのどちらも際どい所で防がれている。
ここ、江戸城は幕府最高権威である将軍の住まう場所。
そう簡単に侵入できるはずがない。
ところが、この女性はまるで始めからそこにいたかのようだった。
また、城内には何人もの兵が詰め、夜間には見回りもしている。
しかし、不審人物を見つけた様な騒ぎは全く起こっていない。
つまり、誰にも見つけられる事なくここまでたどり着いたということだ。
彼女の飄々とした態度は城の警備など歯牙にもかけていない。
普通に表から入ってきましたよ、と言わんばかりだ。
先ほどの圧迫感もあり、それだけで彼女の実力が相当である事が伺える。
「はあああああ!」
「ガアアアアア!」
普段は声を荒げる事もないアシリカの咆哮が轟く。
ウルナの猛々しい雄たけびは獣のそれだ。
彼女たちの戦う姿は初めて見たが、その気迫は鬼気迫るものを感じた。
「ははっ! やっぱりお偉いさんの側近にもなると強いんだねえ!」
アシリカとウルナの実力を僕は正確には把握していない。
それでも、一合斬り合っただけで女性は妖怪たちの実力をある程度理解したようだ。
彼女たちの次手を後方に一歩動いただけで紙一重に躱す。
相手を強いと称賛しながらも、その攻撃を軽々といなす女性には強者の余裕を感じられた。
「ウルナ!」
「はいナ!」
これぞ阿吽の呼吸。
言葉少なに呼びかけたアシリカにウルナが応える。
彼女たちは左右に分かれ一斉に女性へと躍りかかった。
アシリカが部屋の奥へと追い込むように相手の右前から一歩を踏み込む。
対してウルナは相手を挟み込む形で左手後方へと回り込んだ。
「せやあああっ!!」
言葉で切り刻めるほど鋭い一声の気合い。
津波の如く押し寄せるアシリカの連撃は激しい火花を撒き散らした。
先の一撃を防いだ際に振るわれた女性の太刀。
いつ折れてもおかしくないその細い刀身にどれだけの技巧が備わっているのか。
アシリカの熾烈な斬撃を片腕一本であしらっている。
加えて、ウルナの豪拳。
風を切り裂き飛来する流星の煌めきをもって、相手の牙城を突き崩そうとする。
しかし、これを体裁きのみで華麗に躱す女性は踊っているようにしか見えない。
「うーむまだまだ、と言いたいところだけど、この人数を相手にするのは骨が折れるかな」
切迫した状況にようやく態勢を立て直した姫様と井伊の侍従たちが加勢する。
いつも空気のように存在感を消している彼女たちだが、アシリカとウルナに続くべく刀を抜き放ち女性を囲むように素早く動いていく。
これを察知した女性は面倒臭そうにぼやいていた。
言葉とは裏腹に自分の劣勢を意に介した様子はない。
その光景を見据えながら、油断なくミカゲに姫様、井伊は僕を護るように前に立った。
姫様の実力は毛利さんとの果し合いで垣間見た。
しかし、次期将軍ともあろうお方が直接に賊と打ち合うのは、もしもの事を考えれば避けたい。
井伊もそう考えたのか、姫様よりも一足早くその前へと割って入る。
「姫様とミカゲはんは出来るだけ酒井はんの側に。さっきの賊の存在感の無さは脅威どす。いつまたうちらが抜かれるか分かりまへん」
僕を狙ってきた女性に対して頭に血が上っているであろう姫様は、グッと奥歯をかみしめるように言葉を飲み込む。
井伊の言葉は最もである。それを理解したのだろう。
大人しくこの場は引き下がり、僕を守るように部屋の外へと連れ出すため手を握ってきた。
姫様の温かい手。
そこに力強さを感じるのは、この世界で言う僕が男だからだろうか。
寄り添うように側へ近づいたミカゲもいつもより頼もしく感じる。
「それは困るなー」
直後、背筋を這うような甘ったるい声が僕の真後ろで囁かれた。
「ナっ!?」
ウルナの驚愕の声が上がる。
今まで打ち合っていたはずの相手が煙のように消え、いつのまにか僕の背後にいるのだ。
起こった出来事を理解するのに、一拍の間がかかる。
「アタイが狙ってるのは坊ちゃんだけなんだよねえ。ちょっとどいてくれる?」
「ぐっ……!?」
反射的に僕と女性の間に入ったであろう姫様だったが、女性が振るった腕の一閃で簡単に吹き飛ばされる。
そのまま部屋とは反対の方向、庭へと障子を突き破りながら宙を舞う姫様。
心臓が止まりそうになったが、態勢を崩しながらもなんとか着地した姫様が視界の端に入った。
「やっほー」
狼狽する僕を余所に、あまりにも気の抜けた挨拶をされる。
女性に気負った様子は見られない。
僕を守ろうとする人たちや、言霊の加護など壁にすらならないと言わんばかりの余裕。
そこに底知れぬ恐怖を呼び起こされる。
「させまへん!」
「おっと」
幸か不幸か僕の側に残った井伊が一刀で牽制をする。
姫様を害されたにも関わらず、そこに荒ぶる怒気は含まれていない。
場を凍らせるように練り上げられた闘気は、極寒の殺意となって女性へと叩きつけられる。
「てやあああ!」
次いで烈昂の気合で振るわれたのはミカゲの刃。
いつの間に鍛錬していたのか。その太刀筋は僕から見ても目を瞠るものがあった。
「おー。男子もやるねえ」
しかし、これしきで女性は崩れない。
何がおかしいのか、口元にニヤニヤと笑みすら浮かべていた。
しかし、二人から距離を取るように庭へと女性は移る。
そこへウルナとアシリカが地を割るような勢いで駆けだした。
「牙を砥げ、肉を削げ。
紡ぐ言の葉。
妖怪たちの周囲で魔素が急激に変異した。
「お?」
何かを敏感に感じ取ったのか。
女性が眉を跳ね上げる。
初めて構えらしきものを取ると、向かい来る二人に備え腰を落とした。
「震え、
アシリカの刀は焔を纏い、
「
ウルナの拳は雷光を纏う。
人間にとっては異質な光景。
常識の神通力では無しえない、明らかな暴威。
妖怪が恐れられる由縁が一つ、
「『羅刹閃』!!」
「『
ついに「妖術」が女性へと牙を剥いた。
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