第21話 胡蝶の夢

『ミカゲよ。僕は間違っていると思うかい?』

『……御心のままに』

『はは。それは答えになっていないよ』


 若様は困った様に軽く笑うと、空を仰ぐように顔を上げた。


 雲一つない快晴。蒼天の空。

 遠くでは民衆の活気ある声が飛び交い、反して城内は穏やかな空気が流れている。


 風に舞い、一枚の梅の花が散った。


 梅の花は桜のように一斉に咲かない。

 枝の根本から一つずつ、静かに咲いていく。


 目立たず、しかし華憐に。

 そして人知れず、ひっそりと。

 一輪ずつ散っていく。


 大衆には豪勢な桜が好まれるが、選民の方々は風流と言って梅の花を好むと聞いた事があった。


『きっと僕は間違っているのだろう。いかに正当性を主張しようとも、皇国の民を苦しめる事には他ならない。後の世にも、僕は大罪人として名を遺す事になるだろうね』

『若様……』

『けれども、このまま見過ごす訳にはいかない』


 一転して柔和な面持ちに影が差す。


 決して華やかな雰囲気ではない若様。

 普段から物静かで、自身から率先して表に立とうとはしない。

 そんな若様が決意をされた。

 叛逆の決意を。

 ならば、若様の侍従である僕はついていくだけだ。


 しかし、せめて若様の理解者がもっといれば。

 詮無き事を考えてしまう。


『ミカゲ』

『はい』

『世話をかける』

『ははっ!』


 例え若様に寄り添う者が僕一人であろうとも。

 この身。この命。全ては若様のために。

 そこに一切の迷いなし。


 僕に大望や正義はなく、あるのはただ――忠義のみ。




 △▼△




「若様!?」


 ミカゲの声が聞こえる。

 僕はゆっくりと瞼を上げた。


「お目覚めになられたのですね若様! お加減はどうですか? 遠慮なく申してください」


 顔を傾ける。今にも涙を零しそうな潤んだ瞳のミカゲが目に入った。

 未だぼんやりとした頭。

 状況を上手く把握できない。


「僕は、どうなりましたか?」


 スルリと言葉が口から出てくる。

 普段なら鉄板のように固い口であるにも関わらず。


 ミカゲは驚いたように目を見開くが、すぐさま真剣な表情に戻った。


「若様は突然倒れられました。未だ顔色もよろしくありません。もう少し安静にしていてください」


 珍しく僕が喋ったからか。

 少しだけ柔らかくなった表情でミカゲが言う。


 しかし、何か夢を見ていた気がするのだが、今一つ思い出せない。

 何か、とても重要な出来事だったと思うのだけれど……。


「大丈夫、です」

「若様……!」


 片手で額を抑えながら僕は上半身を起こす。

 慌てるミカゲにもう片方の手を上げ「心配ありません」と再度告げた。


「何を言っているのですか! そんな顔で大丈夫と言われても信用できません!」


 悲鳴のような声を上げたミカゲに体を抑えられる。

 え、そんなにヤバそうな顔してる、僕?


 自分で自分の顔を軽く触ってみる。微かに眉間に皺が寄っていた。

 自分の顔ながらよく分からない。

 普段、僕はどんな顔をしているのか。

 あ、無表情か。


「いつもと違ってよくお喋りになるのも誤魔化そうとするためですね。駄目ですよ。暫くは絶対安静です。ご心配なく。周辺はアシリカとウルナ、それに僕も四六時中控えておりますから。寝ずの番を組んだので」

「ありがとう、ございます」


 怒涛の如く捲し立てるミカゲに気押され、僕は大人しく布団へと身を収める。

 呆気にとられてしまったが、そうだ、僕は暗殺されそうな身だった。


 再び横になり、何かに駆り立てられるようだった不安が落ち着いていく。

 何に焦っていたのだろうか、僕は。

 いや、別に呑気にする訳ではないのだけれど。


 しかし、口が大分軽くなっている。


 これまでは思った事も脳内での独り言で留まっていたのだが、今では一文程度の語りであれば自然と発していた。

 何か変わったのか?

 確かに、一旦冷静になってみると以前よりも頭がクリアだ。

 何というか、枷が外れたような気がする。

 倒れる直前は何をしていたっけ。


「あっ」

「若様?」


 思わず出た音にミカゲが振り返る。

 ここまでお喋りな僕は見た事がないだろうし、彼が瞠目しているのも無理はない。


「な、なんでもありません」


 誤魔化すように再び口を開く。

 ミカゲの目が零れ落ちそうだ。


「わ、若様? 本当に大丈夫ですか? 何か隠していません?」


 今度は意識してゆっくり首を横に振って見せる。

 気を抜くと「本当になんでもありません」と口にしてしまいそうだった。

 この状況でそれは悪手だろう。


 どういう事だ!

 口が本当に軽くなっている!?

 いや、それよりも記憶だ!


 さっきは無意識に呟いてしまったが、その理由は自身の記憶に変化があったためだ。


 倒れる原因となったもの。

 それは過去世における”酒井ミナヅキ”について思い出そうとした行為だ。

 今回は問題ない。依然思考はオールグリーン。


 すなわち、参照できる記憶が増えていた。


 こういうと何だかデータバンクのようだが、宿命通によって得た僕の過去世は正直他人事だ。

 あながちその表現も間違ってはいまい。

 しかし、その中で強い感情を想起される過去世があった。


 ミカゲの人生だ。


 まさか目の前にいる人物の人生を、自分が過去世として体験していたとは思ってもみなかった。

 これって、宿命通の能力を超えてない?

 いくら過去世を把握できると言っても、今の自分からすれば、それは他人の人生である。

 もしかして、僕の神通力は宿命通ではないのか……?


 気になる所だが今は意識を無理矢理逸らす。


 過去世のミカゲの記憶、そして感情。

 これが今の僕に大きな影響を与えている可能性は高い。

 なぜならば、僕の性格だと考えていた皇国の未来に関する考えと、呼び起こされた過去世のミカゲの考えがとても近いのだ。


 未だ全てを思い出した訳ではないので少し曖昧な部分はある。


 どうも、”酒井ミナヅキ”に関する記憶には何重にもセーフティが掛かっているらしい。

 一部のロックが解除されたような感覚だ。

 もしかしたら、口数が増えたのもこれに関係しているのかもしれない。

 そうであれば、今後も記憶を得たとして、僕が普通に笑ったり泣いたりする日も来るのだろうか。


 だが、何故こんな事になっている?


 まるで催眠術にでもかかっていたかのように封印されていた記憶。

 どうしたって他者の介在に発想は至る。


 ……分からない。


 ただ、分かった事もある。


 僕は「皇国なぞ滅びても良い、知らん」と思っていた。

 けれども違う。そうじゃなかったんだ。

 


 本当は――自身が殺されようとも皇国は滅びるべきだと思っていたんだ。



 それは今世においては無自覚な願望。

 過去世のミカゲの決意。

 いや、”酒井ミナヅキ”の意志を汲み取ったミカゲの想いか。


 つまり、”酒井ミナヅキ”が天照様を殺したのは、皇国を滅ぼすための手段に過ぎなかったという事。


 よほど強い思いだったのだろう。

 今世の思考にすら影響するとは、彼らがそれだけ皇国を恨んでいたという事に他ならない。


 ……違う。

 何かが違う。


 この感情は恨みではない。


 ではなんだ?


 ……救済?


 皇国が滅びる事で救われるがあったのか?


 過去世に引っ張られそうになる思考を振り払う。


 そうか。

 僕に与える影響が大きすぎるから、体の防衛反応として記憶をセーブしていたとも考えられるのか。

 無気力であったのは同様に、その感情を無意識の内に拒絶していたのかもしれない。


 どこからが「今世の僕」でどこからが「過去世の僕」の考えなのか分からない。

 

 まるで怨霊のようにつきまとう想いの強さに畏怖すら感じる。

 懸命に自我を保とうときつく目を閉じた。


 意志を保て。

 過去世の記憶に惑わされるな。

 過去の亡霊に憑りつかれたりなんてしない。


 そういえば、過去世で知ったラノベという読物の中の設定の一つとして「異世界転生」なるものがあった。

 それは過去の記憶を活用する主人公が大半だったのだが、自分が体験してみると前世という他者に体だけでなく意志すら乗っ取られるような恐怖を呼び起こす。

 一つの記憶が鮮烈に過ぎると、こういう事になるのだろうな。

 ぼんやりとした考えがよぎった。


 ははっ。

 どうでも良い事に思考が飛ぶ癖は”僕”特有であるだろう。

 まさかの自分らしさを発見し、乾いた笑いが漏れそうになる。

 おかげで少し気が楽になった。


 今回の暗殺しかり、皇国には不可解な点が多すぎる。


 今の僕の周りには大切にしたい人がいるのだ。

 ならばこの記憶を、この感情を。

 拒絶するのではなく、受け止めなくてはならない。

 恐らくそれが宿命通という力に目覚めた、僕の果たすべき役割なのだろう。


 ”酒井ミナヅキ”は何故、皇国を滅ぼすべく動いたのか。


 今まで関わりたくないと思っていた政争。


 その真実に僕はこの時、初めて真正面から向き合う決意をした。

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