第20話 対策
「心配ないと思うとりますけど念のため。これから話す事は他言無用でよろしゅうお願いしますえ」
井伊はそう切り出すと、今までよりも一段声のトーンを落として語り始めた。
「まず主犯どすが確信はあらしまへん。ただ、酒井はんは大老四家のご子息。そないなとこに喧嘩売ろう思っとる家というだけで限られてきます。そもそも、うちが酒井はんをどうこうする意志が上にあるゆうのを知ったのは母様から『酒井はんを守れ』いう指示を受けたからや」
「井伊の大老から?」
姫様が怪訝な表情で問いを口にする。
僕を暗殺するのは上の意志。
そういったそばから今度は同じく”上”の存在である井伊様が「僕を守れ」と言う。
明らかに矛盾していた。
姫様の疑問ももっともである。
「つまり、上も一枚岩ではない。という事でしょうか」
「恐らくそやろな。母様の思惑はうちも正直よう分からん。せやけど、母様がそないな嘘をついても得になる事はあらしまへん。それに、うちかて酒井はんが傷つけられるん分かってて黙っとる事なんかできひんしな」
考え込むように呟いたミカゲの言に井伊はそう返す。
井伊の言葉に少々驚きはしたものの、井伊様の損得勘定で考えるならば僕には生きていてもらった方が良いのだろう。
何もなければ「僕を守れ」と言った井伊様に当然損はない。
まあ、僕の神経が磨り減るが。
そして、もし本当に起こったとしても、事前に対策を促しておけば僕に対して恩を売れる。
つまり、どちらに転んでも大丈夫。
そういう事だろう。
しかし、何故そもそも僕をそこまで排除したいと思う人が出てきたのか。
僕が戦技館で取った行動は、民衆における人気の獲得に繋がるとしよう。
そうすると、天照様の信仰を集めたい神社は平和の象徴として僕を担ぎ上げる。
これだけならば幕府にとって美味しい話が無くなっただけだ。
わざわざ危険を冒して僕を暗殺するには至らないはず。
では、何故?
「母様は細かい理由までは話さへんかったけど、ただ一つ」
思案にふける皆に井伊は話を続ける。
注意を引くように言葉をいったん区切ると、ぐるりと一同を見渡し、
「『ちょうど良い火種になる』。母様はそう言うとった」
「なんだ、それは……?」
意味深な言葉。
姫様に限らず、皆の顔には不信感が募る。
「分かりまへん。多分、政争に関する事なんやけど、流石にこれだけじゃうちも分からんわ。せやから皆の耳にも入れといた方がええやろ思うてん」
どういう事だ?
暗殺を企てたのが井伊様にとって対立する相手だった?
それならば、何故井伊様はその情報を手に入れる事が出来たんだ。
それに、僕へ恩を売ったところで僕が力になれる事など高が知れている。
今一つ井伊様の思惑を捉えられない。
他の皆も同じなのだろう。
一様に黙り込み、誰もが二の句を告げないでいる。
「致し方ありません。上の思惑はともかく、ここは暗殺があるものと考えて対策を考えるべきかと」
しばらく場を静寂が支配した後。
神妙な表情でミカゲがそう切り出した。
「そうだな。まずはミナヅキの安全を確保するべきだろう」
「私が身命を賭してお守りします」
「ウルナもナ!」
一も二もなく即座に名乗り上げる二人。
姫様はそれに不敵な笑みで応える。
彼女たちを眺める井伊も普段の微笑を浮かべた。
とりあえず、いつもの雰囲気に戻ったらしい。
結局、「よくわからん」でまとまってしまったのだが、それでいいのだろうか?
如何に大人びているとは言っても所詮は十歳。
上手く答えを出せないのも無理らしからぬ事だろう。
ここは僕が少し探ってみるべきか。
しかし、当の暗殺対象である僕が動くのも得策とは思えない。
どうするべきか。
「井伊様。暗殺に関して他に情報はありませんか?」
「そやなあ。もし事が決行されるんなら早いうちにやってまうやろな。日が経てば経つほど酒井はんを慕う声は大きくなっていくやろし」
「それもそうだな。では、しばらく兵をミナヅキの寝所付近に控えさせるか?」
「そないな事したら相手にバレバレやけど、それで相手が諦めるかもしれへんしなあ。ただ、これが上の意向やったら姫様の命令も揉み潰されるかもしれへんし」
「どのような輩が来ようと私が仕留めてみせます。他の者など不要です」
「ウルナもナ!」
「まあ、アシリカはんとウルナはんの実力はよう知ってるはるし、そこは心配してへんのやけど、相手は出来れば生け捕りにした方がええやろな。何か知ってる事を引き出せるかもしれへん」
僕が黙考している間、他のメンバーが各々の考えを述べていく。
ところで、ウルナの口調は許されているのか。
あと、井伊がアシリカとウルナを同格くらいの扱いでいる事に少なからず驚く。
いつの間に君らはそんなに仲良くなっていたんだい?
さて。
”酒井ミナヅキ”が暗殺される流れは過去世で見た限り一通りではないが、どの時も言霊の加護を失った後の話だ。
そのため、今回の暗殺も似たような手法を取るとは到底思えない。
つまり、言霊の加護を、神の神力を破る程の神器を持ち出してくる事が考えられる。
”酒井ミナヅキ”が天照様を殺せたのも、その神器を用いたためだ。
ただ、”酒井ミナヅキ”に関する記憶は靄が掛かったように判然としない。
まるで虫食いのように記憶の所々が欠如している。
――何かがおかしい。
宿命通は過去世の記憶全てを会得する神通力であったはず。
確かに累計何千年分もの記憶を所持しているなど訳が分からないのだが、それでも度忘れとは違った違和感を感じる。
僕は何故か生への執着が少なく、「将来は罪人として殺されるし皇国も滅ぶのかあ」と納得した思いを漠然と抱いていた。
そのため、”酒井ミナヅキ”に関する記憶を積極的に探った事はない。
暗殺の二文字を井伊から伝えられるまで、「酒井ミナヅキの最後は暗殺である」という事すら忘れていたのだから。
これを僕は刹那主義で性格によるものだと勝手に思っていが、本当にそうだろうか?
焦燥にも似た思いが鎌首をもたげる。
どうして、僕は未来を変えるのではなく受け入れている?
身近な人が傷つくのは嫌だと考える癖に、どうして僕を大事に思ってくれている人が僕を失った時の事を考えていない?
今までどこか避けてきたような自問自答を繰り返す。
上手くかみ合わないパズルのピースを無理矢理はめ込もうとするような。
どうにも何かがずれている感覚。
くそっ!
何だよこれ。
思い出せ。
どうやら、過去世にて”酒井ミナヅキ”本人であった事はなく、彼の身近な人物であったようなのだが……。
もしかして――ミカゲ?
『この身命は若様……御身のために』
一瞬、ミカゲの声が脳裏にて再生される。
現在よりも成長した声色。声変わりもしている。
何か悲壮感を秘めた、自らを押し殺すような、そんな声が。
途端、
「……!!??」
凄まじい頭痛が僕を襲う。
まるで脳みそを直接かき混ぜられたかのよう。
吐き気と鋭い痛みが体中を駆け巡る。
全身は震えだし、目の前でチカチカと星が瞬くように視界は明滅を繰り返した。
「若様!?」
「ご主人様!?」
「ご主人!?」
僕の様子にいち早く気付いた侍従三人組が叫ぶ。
しかし、彼らに反応をするのが億劫になるほどの倦怠感が今度は僕を包み込んだ。
一体、なに、が……。
ハチの巣をつついたような騒ぎを遠巻きに、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
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