第19話 暗殺

「馬鹿なっ!?」


 誰よりも早く反応したのは姫様だった。


「そんな事が!」

「あるんどす。それと、あまり大きな声は出したらあきまへん姫様。どこで誰が聞いとるか分かりまへんから」

「し、しかし!」

「姫様」


 ピシャリと姫様の言葉を遮る井伊の声は慌てていない。

 思わずといった形で立ち上がった姫様に憤怒の形相で見下ろされるも、まるで動じていなかった。


 姫様は姫様で井伊の言葉が許せないのだろう。

 泰然とした井伊に怯むことなく厳しい目を向けたままだ。


 しかし、暗殺なんて突飛すぎる。


 皇国において選民は守護神である天照様の加護を授けられる。

 そのため、命に係わるほどの重症を負う事は滅多にない。

 まあ、元服の儀にて名を与えられない平民は別だが、暗殺の対象になるとすれば大抵が選民だ。


 よって、暗殺には相当のリスクが生じる。


 まず第一に、加護の効果がどういった形で現れるかが定かでない。

 結果的には暗殺が失敗に終わっても、どこでどう失敗するのかは運とも言える。

 傷つけられても奇跡的に一命を取り留めるのか。それとも対象に近づく前に暗殺者が取り押さえられるのか。

 未来予知でもできない限り、実際に動いてみないとどうなるか分からないのだから、対策の立てようがないだろう。

 そして、失敗した場合は主犯への手掛かりを相手に晒す事に他ならない。


 つまり、労力と成果。この天秤のつり合いが取れていないのだ。

 だから皇国で暗殺を実行されるのは余程の事だ。

 宿命通での記憶の中でも一人くらいしか聞いた事がない。


 ……そうだ。一人いたわ。


 一人いたぁぁぁ!?


 すっかりと忘れていた!

 僕が「今後の人生なんて知らん、今を楽しく生きてやる」と考えた諸悪の根源。

 最近は記憶にない出来事ばかりだったからすっぽ抜けていた。

 そうだ、何で忘れていた!



 過去世での酒井の末子――酒井ミナヅキが大罪人であった事を。



「差し出がましくも具申致したく存じます」


 僕が一人でテンパっていると、いつもは黒子に徹しているミカゲが声を上げた。

 しかし、僕はそれどころではない。

 過去世では皇国の動乱ばかりが鮮明な記憶として残っており、そもそもどうして酒井ミナヅキが事を起こしたのか。その部分が曖昧であった。


 何回か経験した皇国での人生。

 そのどのルートにおいても酒井ミナヅキは暗殺されている。


 理由は簡単だ。

 皇国が滅亡する原因。

 天照様の殺害――神殺し。

 それが過去世における、酒井ミナヅキが犯した罪。


 暗殺なんて生易しいものじゃないかもしれないが、人知れず酒井ミナヅキは殺された。

 神をも殺した者に真正面から挑むのは、天照様とその加護を失った人々にとっては自殺行為だ。


 そうして行われた暗殺にて天誅を下す事には成功したが、既に荒廃した皇国に国としての体裁を維持する力は残されていなかった。


 こうして、皇国は何度も滅亡する。

 僕の記憶の中で。


 しかし、酒井ミナヅキが暗殺されるのは天照様を失った後、つまり言霊の加護が無くなってからだ。

 今回の暗殺とは同じように考えられない。

 そもそも、僕はまだ何もしていない。


 ……五年前に霊峰の頂上を吹っ飛ばしちゃったけど、今回の件とは関係ないよね?

 シュトラさんから氏神を倒したとか言われたけど大丈夫だよね?

 妖怪ちゃんたちは感謝していたし、問題ないと信じよう。


「ミカゲはんか……。姫様、よろしおすな?」

「ああ」


 ちらりとミカゲを見やった井伊が姫様に問いかける。

 姫様は渋々といいた様子で承諾した。

 僕の方を一瞬見た後、ミカゲは二人の方へと居住まいを正し話始める。


「ありがとうございます。まず、そのお話の信憑性に関して疑問が残ります。若様は既に名を頂戴している身。簡単にはいきますまい。それが分からないとは到底思えないのですが」

「ごもっともな意見やな。せやけど、逆に言えば事を荒立てても最小限の範囲で収まるのが、名を頂いた今やない? これから先、酒井はんはより一層有名になっていくやろな。そうなったら、消したい思うてもどんな邪魔が入るか分からん。せやったら、今の内に消しとこ思うても不思議やない」

「不安の芽は”芽”の内に摘む、と?」


 井伊が静かに頷く。

 その顔を見れば冗談でない事は嫌でも分かった。


 しかし、その情報はどこで手に入れたのか。

 僕に伝えに来たのだから、少なくとも敵ではないと思う。

 けれども、それすら相手の策略だという考えもできる。


 井伊への信頼感が微妙だから決定打に欠ける。


 やはりここは誰か大人に助けを求めた方がいいのか?

 僕が頼れる大人ってあんまりいないしなあ。

 姫様や井伊に任せるのも、ついさっき自分の行動を反省したばかりだし。


 やっぱりここは、


「では、誰の手によるものか。既に井伊様は分かっていらっしゃるのですか?」

「それは――」


 井伊が言い淀んだ時。


「お母様」


 僕の口から最悪のタイミングで名前が出てきた。


 皆がギョッとした顔で振り返る。

 え?


「そ、そんな馬鹿な事があってたまるか!!」


 姫様が再び立ち上がる。

 その背後には阿修羅もかくや、様々な感情が宿ったドス黒いオーラを幻視した。


 あ、違う。あの、逆、逆。母様に頼った方が良いかなって、そう思ったの。

 本当よ? だからそんな顔しないで、みんな。

 これじゃ僕、凄い親不孝者じゃん。

 確かにあまり可愛がられていないし便利な物みたいな扱いだけど、だからと言ってそこまで悪い人とは思ってないよ?


 慌てて姫様の袖口を引っ張ると、途端姫様は顔を悲痛に歪める。

 姫様は愛されて育ってきただろうからね。

 もし親からそんな事をされると言われれば烈火のごとく怒るだろう。

 僕の事も同じように考えてくれるのは嬉しい。

 けれども、不用意な発言のせいで彼女を悲しませるのは本意ではなかった。

 はやく訂正しなければ。


「酒井はん、もしや分かってて……?」


 ところが、だ。

 井伊がそんな事を呟いたものだから、今度は僕の度肝が抜かれた。


 嘘。


「どういう事だ、井伊!」


 呆然とした僕は姫様から手を放してしまう。

 すると、姫様は井伊へと掴みかかるように詰問をした。


「それは……」


 井伊は気まずそうだ。

 とてもレアな井伊の表情なのだが、そんな事はどうでもいい。

 本当にどういう事なのか。


 母様が、僕を、暗殺?


 いくら宿命通による精神補正があったとしても、実の親からそんあ考えを持たれていると知ればショックを受ける。

 特に仲が悪い訳でもなかった。

 ただ、冷めきっていただけだ。

 なのに、何故?


「ご主人様に一番近づきやすい人物で暗殺を企てるとなれば妥当かと。恐らく、ご主人様への贈り物に毒を仕込むのでしょう。建前は、そうですね。神子を拝命した祝いとでも言えば問題ないかと」


 淡々とした冷ややかな声が部屋に響く。

 驚いて顔を向ければ、無表情のアシリカがいた。

 しかし、その目を見て背筋にゾクリと震えが走る。


 怒り、侮蔑、嘲笑、憐憫。

 僕を害するであろう人物に対して、容赦のない様々な感情が渦巻いていた。


 部屋にはいつの間にか冷気のように魔素が這い回っている。

 もし目で見る事ができるなら、さながらドライアイスのようだっただろう。

 出どころを追えば、中心にはウルナ。

 アシリカとは対照的に敵意を滾らせている。

 今にも誰かに噛みつかんと牙を剥き、興奮のあまり瞳孔を開いている姿は正しく鬼であった。


 これには姫様ばかりでなく井伊もビクリと後ずさる。


「我が神を愚弄する者に容赦はしません。万死に値します」


 それだけ言うとアシリカが立ち上がる。

 次いでウルナも立った。


 そして、戦意を迸らせたまま部屋を辞そうと動き出す。


「待ちなさい」


 妖怪たち以外に動ける者はいない。

 彼女たちの殺気と魔素に当てられては、十歳には荷が重いだろう。

 ここで咄嗟に声を出せたのは僥倖だった。


 何故止めると目線で訴えかけてくる妖怪ちゃんたちの圧が凄い。

 これだけで身の竦む思いだ。


「そうです、二人とも。姫様方の前で無礼ですよ」


 こんな時にも頼りになるミカゲ君、流石です。

 渋々といった様子で座り直す二人を視界の端に収め、僕は背を伸ばした。


 ふう。

 妖怪ちゃんたちのお陰で僕が少し冷静になれた。


 ここからどうするべきか。

 まずは本当に母様が僕の暗殺を考えているのか。

 その辺りを井伊から聞く出すべきだろう。


 無言で井伊へと向く。

 顔を強張らせる井伊は、諦めたように訥々と語り出した。

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