第18話 今後

「これで僕達がどのように行動するかもはっきりしました」


 一頻り話を終えるとミカゲはそう切り出した。


 ミカゲの言う通りならば、戦技館での僕の振舞いは幕府派にも皇族派にも手を貸さない事を示したことになる。

 つまり、侍従である彼らも主人である僕の意志に則った行いをしていく事が決まったのだ。


 僕の一挙一動に何故か意味があると確信している三人。


 前にも言ったが、刹那主義的な考えを持っている僕は特に後先をどうこう考えている訳ではない。

 その期待というか信頼に顔が引き攣りそうになる。


 しかし、主人である僕が彼らを窮地にも追い込む可能性を忘れてはならないだろう。


 僕はそういう立場の人間なのだ。

 改めて思い知らされる。


「という事は徳河様とも井伊様とも少し距離をとった方が良いのでしょうね」


 アシリカがふむと再び顎に手を添えて考え込む。


 やっぱりそうなるのかなあ。

 井伊は別としても、正直姫様は単純だから無暗に悲しませたくないのだけれど。


「いや。そうとも限らない」


 けれども、ミカゲはアシリカの意見をばっさりと否定する。

 アシリカと僕は驚き彼を見つめた。


 ウルナはいつも通りよく分かってなさそうだ。

 どこから取り出したのか、櫛で僕の髪を梳き始める。

 どうしてこのタイミングでそんな事をするのか。

 別に構いやしないのだけど、せめて聞く姿勢だけでもとっていた方が良いと思う。


「若様は幕府派の重鎮、大老四家が一つ酒井家のご子息。あからさまに疎遠となると逆に怪しまる。果し合いの際はあくまでも他の方々がそういう風に考えるように仕向けたに過ぎないのだから」

「という事は、基本的には今後もいつも通りに過ごし、相手の出方を伺うべき。先輩はそう考えているのですね」

「うん」


 ミカゲとアシリカは言葉を選ぶように慎重に議論を進めていく。

 僕とウルナは蚊帳の外だ。


 いやあ、優秀な部下を持つと楽でいいね。

 なんだか大変な事になったと思っていたけど他人事のように感じちゃうよ。


「安心しろ、ご主人! ウルナがしっかり守るからナ!」


 うんうん、頼りにしているよ。下手な人間よりよっぽど。

 少なくとも肉親よりかは数段階上の安心感がある。


 髪に通される櫛の心地よさに目を瞑って体をウルナに預ける。

 「むふー」と満足そうに鼻息を吐くウルナが微笑ましい。



「ミナヅキ、いるか?」


 ミカゲとアシリカの会議をBGMにしばらくのんびりとしていた時だった。


 閉じられた障子の向こう。

 廊下の方から姫様の声がした。


 幾分か沈んだ声色であるのは、果し合いにて毛利さんに言い負かされたからだろうか。


 確かに、あの時の毛利さんは正論だった。

 でも、僕は知っている。

 何も世の中、正論のみが正しいのではないという事を。


 毛利さんは正論という暴力で姫様をたこ殴りにした。

 一般的には毛利さんに味方がつく結果だとしても、対象が僕であるのならば、どちらに寄り添うかは僕が決める事だ。

 昨日知り合ったばかりの毛利さんに正論を振りかざされるよりも、数年間一緒に過ごしてきた姫様の肩を僕は持ちたい。

 これに学んで、次また同じ失敗を繰り返さないようにすればいいのだ。

 姫様ならそれが出来る。

 だったら、僕はこれからも姫様を邪険にすることはないだろう。


 ちょっと我儘で自信家で。けれども真っ直ぐな姫様を、僕は嫌いにはなれない。


 伺うように僕へと集まった視線に頷きをもって返す。

 ミカゲは軽く会釈を返すと立ち上がり、スっと静かに障子を開けた。


 予想通り、そこには姫様がいた。


 キュっと結んだ口元が悔しさを表している。

 毛利さんとの果し合いの結果か、それとも上の方々にこってりと絞られたのか。

 どちらにしろ、後悔というよりも悔しさや憤りを強く感じられる面持ちだった。


「酒井。今日はすまなかった」


 一歩部屋へと進んだ姫様は正座で僕の前に座り姿勢を正すと、第一声で謝ってきた。


 ほらね、これが姫様なんだよ。

 今度はわざわざ苗字で僕を呼んでいるのだから。


 内心でクスクスと笑ってしまう。

 それを表すように、首を左右へとゆっくり振った。


「実はあの後、井伊に言われた」


 僕の反応を見てから、少ししょげた様子で姫様は語り出す。


「ミナヅキは神子となった自分の立場をしっかりと受け止めている。姫様も幕府次期将軍としての責務をしっかり自覚しろ、って」


 思い出したのか苦々しい顔。

 これまた正論でボコボコにされたらしい。

 頑張れ、姫様。


 というか、井伊。貴様は一体どこで何をしていんだ?


「ミナヅキは城を出るのか?」


 ここにも井伊の姿は見えない。

 姫様一人で僕のところに来たのは彼女の差し金なのか。

 やはり何を考えているのか今一つ分からず、どうしても不気味に思ってしまう。


 そんな事を考えながら姫様の後ろ側、廊下の方へ意識を飛ばしていたら、姫様が殊更沈んだ声で尋ねてきた。


 何となくウルナの様子と被る。犬っぽい。

 僕にとってのご主人様は姫様の方のはずなんだけどね。


 しかし、この質問にはどう返そうか。


 先ほどのミカゲの言を借りるなら、どうやら僕はここにいても問題はないようだ。

 ただ、素直に姫様へと伝えても大丈夫なのだろうか。

 会議の途中からウルナを愛でてしまっていたので、正直彼らの話を聞いていなかった。


 自分の事なのだからもう少し真剣に考えろよと自分にツッコむ。

 姫様と毛利さんの果し合いに割って入った時には感謝を何か形にできないかと考えていた。

 それが自室に戻って落ち着いたらこれだ。

 猛省案件である。


 勝手に一人で駄目だしをしながら、チラリとミカゲを見やる。

 彼は真剣な眼差しで僕を見返すだけだった。


 ああ、その全面譲渡の構えはどうすれば良いのか僕が分からない!


「姫様のお側に」


 苦渋の決断。

 物理的とも精神的ともとれる返答でお茶を濁す。


 もう一度ミカゲを横目で盗み見ると、特に変わった様子もない。

 どうやら間違いではなかったらしい。

 ホッと胸をなでおろす。


「そう、か」


 姫様も肩の力を抜いて長い溜息を吐いた。

 しかし、安心したという反応とは別に眉間に皺が寄ったままだ。


 姫様からの問いを考えても、ミカゲが語ったのと同じような内容を井伊が姫様に聞かせたのかもしれない。

 例え僕が城に残ったとしても、以前と同じ関係ではいられないと考えているのだろう。


 どう反応したら良いのか僕が迷っていると、


「酒井はん、少しよろしおす?」


 くだんの井伊が現れた。

 内心で「げぇっ!」と品のない叫び声が上がる。

 慌ててミカゲに視線を投げると、コクリと頷きが返ってきた。


 やっぱり入れますよね。そうよね……。

 何となく気まずい。


「失礼します。今日は大変やったなあ」


 挨拶もそこそこに、井伊はいつもの微笑を浮かべながらそうのたまった。

 井伊が言うだけで意味深に聞こえる。何故だ。


「しかし、ほんまに神子になるとは思うとりまへんでしたわ。これも言霊の類なんやろか」


 コロコロと声を転がし嫋やかに笑っている。

 いつまで笑っているつもりだ、この子。

 段々馬鹿にされている気になってきたぞ。


 姫様も突然やってきた井伊に困惑気味だ。

 怪訝な顔をしたまま固まっている。


「さて。酒井はんもお疲れやと思いますし、要件は手短に済ませた方がよろしおすな」


 ここで、顔は微笑みを象ったまま井伊の様子が切り替わった。


 スイッチでも付いているのではないかと疑うほど。

 その変化はまるで背に重しを乗せられたかのようなプレッシャーからもはっきりと感じられる。

 姫様も豹変した姿に瞠目して井伊へと向き直った。


 そして、


「酒井はん、気を付けなはれ。貴方の暗殺を企んどる者がいはる」


 とんでもない事を言ってきた。

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