第16話 果し合い

「構え……はじめっ!」


 ミカゲの声が鋭く天を刺す。


 ワァっと被さった歓声に後押しされるよう、一歩を踏み込んだのは姫様だった。


「はあっ!」


 短くも鋭利な呼気の音。

 まだ十歳だと思っていたが、動きは素人のそれではない。


 一足飛びに彼我の距離数メートルを詰める。

 姿勢は低く、毛利さんの左脇から右肩に抜ける形で打刀が翻った。

 この間、一秒にも満たない。

 普通に考えれば神速の領域だ。


 女子なのだから鍛錬はしていたのだろう。

 だが、それでもここまでとは考えていなかった。


「くっ」


 眉間に皺を寄せた毛利さんは合わせるように一歩を引くと、構えた刀を払うように下段へ。

 ガキンと鈍い音。

 噛み合ったのは刃をつぶした凶器。

 いくら切れ味がないとはいえ、それすなわち鉄の棒だ。

 普通に殺傷能力はある。


 それでも彼らには、神通力があった。


「はあぁっ!」


 甲高い声ではなく、腹に響くどっしりとした咆哮。

 小袖をはためかせ毛利さんが切り返す。


 身体能力を純粋に強化できる神通力。

 この力の行使に長々とした詠唱は必要ない。

 普段の生活で使う異能力は、体にもう一本の腕が生えているようなもの。

 その存在を自覚してさえしまえば後は慣れの問題である。


 だが、


「始めから全力で行かせてもらいますわ!」


 剣術においてはその限りではない。


 姫様の斬撃を弾いた太刀を毛利さんは再び下段に動かす。

 そして、


ひしめく砂塵、樹上の楼閣。風馳せる紺碧の空――」


 彼女が紡ぐは『言祝ことほぎ』。

 神へと捧げる祝詞とは異なり、言霊を用いて神通力に指向性を持たせる術だ。


 正直言うと、その術式は

 ただ、大気中の魔素を事象へと変換させる魔術と違い、言祝ぎは自身に宿る神力を用いて行動を最適化させる。


 まあ、なんとなく魔素と神力の関係性に気付いてはいるのだけれど……。

 細かい話は天照様にでも聞こう。

 後日、神託するって言ってたし。


 さて。では「神力を用いて行動を最適化させる」とはどういう事なのか。


「『地穿つ五月雨さみだれ』!」


 毛利さんが言祝ぎを終える。

 手に持つくろがね。その先が消えた。


 刺突。


 稲光さえも置き去りにする瞬息の刃は、長さという概念を凌駕した。


 普通ならば明らかに届かないと思われる距離。

 これを身体の動きのみで埋める。

 無駄な所作は一切なく、ただ純粋な点を突く。


 これに対し、姫様はあろうことか手元の太刀を鞘へと納めた。

 そして、彼女も言祝ぎをもって迎え撃つ。


「我人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり――」


 瞬間、キン、と超音波のような微かな音が聞こえた気がした。


「『る事あたわず』」


 瞬間移動のように間合いを縮めた毛利さんの凶刃が姫様へと吸い込まれる。


 しかし、無音だった。


 毛利さんの太刀の先端。僅か数ミリの厚さ。

 腰を落とし、地面とほぼ平行に掲げられたそこに、姫様の腰から生えるような、半ばまで抜かれた刀が添えられていた。


 姫様の太刀の刃渡り。

 僅か数ミリの厚さのそこに。


 重なりあう――超常の技の攻防。


 これが言祝ぎの凄まじさ。


 僕は人知れずゴクリと唾を飲み込む。


「徳河様が狙ったのは衝突をいなしての反転ですね」

「でも、相手に見切られてたナ。あっちもやるナー」

「最低限の牽制……。防がれた攻撃を一転して相手の反撃を阻害する、ですか。人間の技も侮れません」


 僕の左右背後から解説が聞こえた。

 妖怪ちゃんたち、ありがとう。

 神通力で強化した視力じゃないと何が起こってたか分からなかったよ。

 宿命通による経験値は逼迫した状況じゃないと咄嗟に出てこないらしい。

 まあ、城に来てからは鍛錬なんてしてなかったからなあ。


 恐らく、当てているようにしか見えないお互いの刃を挟んで様々な攻防が繰り広げられたのだろう。


 視力、反射神経、筋肉の一筋に至るまで、正に一切合切の無駄を削いだ、これがこの世界の剣術。


 神通力に任せた力任せの剣ではない。

 技術と理論によって実証された”術理の剣”。

 故に、剣術には流派が存在するのだ。


 これでまだ十歳なのだから末恐ろしい。


 いや、彼女たちの実力は同年代でも群を抜いているだろう。

 それでも、たった今目の前で繰り広げられた曲芸とも言える妙技は、神通力を扱う剣術の異常さを感じるに十分であったと思う。


「ふん。中々やるな、毛利」

「それはどうも。貴女こそ相当ですわね」


 お互いの息を崩そうと太刀を合わせたまましばらく睨みああっていた二人。

 だが簡単にはいかないと察したのか、同時に相手を押し出す形で飛び退った。


 途端、一瞬の応酬を目に焼き付けんと息を殺していた人々がワッと拍手喝采を送る。


 姫様をはじめとした幕府派の人々は「神威抜刀しんいばっとう流」。

 毛利さんをはじめとした皇族派の人は「天壌無窮てんじょうむきゅう流」の門戸を叩くのが多い。

 多い、というか派閥争いのせいでほぼその通りに二分化されている。

 他にも細々と道場を開いているところはあるものの、流派と言えばこのどちらかだ。


 そのため、この場は皇国を代表する二大流派の威信を賭けた果し合いともなっている。

 姫様と毛利さん、それぞれの剣術指南役も話を聞いてすっ飛んできていた。

 彼女らの顔には不安と困惑が見て取れる。


 そりゃそうだ。

 何でこんな事になってるだって思うよ、うん。


 思わず舞台上から意識を飛ばしていた僕だが、一転して激しい打ち合いをし始めた二人へと視線が吸い寄せられる。


「ミナヅキに何をしようとした! 答えろ!」

「私はただミナヅキ殿を気遣っただけですわ! その内容まで貴方に答える義理はありません!」

「ならば何故、彼はあんな目をしていた!」


 死んだ魚の目か。

 そのせいか。


 すり寄り、振り上げ、切り下ろし。

 流れるように戦う姿は剣舞を見紛うばかりだ。

 しかし、合間合間に交わされる会話は僕にダメージを加えていく。


「それこそ私が話しかけた理由ですわ。貴方は一体、彼のどこを見ているのですか!」


 一刀の下、姫様の言葉を切り捨てる毛利さん。

 これには姫様は喉奥から絞り出すような声を漏らした。


 当初からは大分荒々しくなってきた二人の剣戟。

 流石に十歳でそこまでの冷静さは伴っていなかったらしい。

 一応気合を入れ直した神通力のせいで「帰ったら鍛錬のし直しだな」とか呟いた指南役がたの言葉を拾えた。

 お手柔らかにお願いします。


 しかし、これではどちらかが怪我をしてしまいそうだ。


 名を得た事による言霊の加護も、どこまで彼女たちを守ってくれるか定かではない。

 刃傷沙汰が殆ど起こらないからこその弊害ともいえる。

 それは贅沢が過ぎるか。


 無表情とは裏腹に内心でハラハラとし出した僕は、そこでチラチラとこちらを伺うミカゲの視線に気づいた。

 ん? ここで僕に何かを期待している?

 な、何をすればいいんだ?

 別の意味でハラハラとしだす。


 いくら神通力があると言っても、所詮は人の子。

 ゼロコンマ一秒の争いをそう長々と続ける集中力はない。

 そもそも、彼女たちは本気で刀を向け合う果し合いなど初めて。

 いい加減どこかで妥協点を見つけなければならない。


 そう考えた時だった。


「貴女はミナヅキ殿に相応しくありません!」

「な、なん……!」

「貴女の行いは自らの善意を押し付けているにすぎませんわ!」


 おぉぉぉい!?

 毛利さん! 僕の事を思ってくれるのは嬉しいけど、あんまり姫様を煽らないで!?

 姫様は姫様で僕の事を大事にしてくれてるから!


 本気で不味い。


 直感が囁く。


 僕は今後の身の振り方も思い付いていないのに、舞台の上へと躍り出た。


「え……」

「ミナ、ヅキ?」


 どちらも僕の事を思ってくれている。

 姫様はもちろん、皇族派である毛利さんは、本来僕とは相容れない立場のはずなのに。

 僕は無表情で、無愛想で、無口で、他人任せで……。

 あ、段々凹んできた。

 違う。今はそういう事じゃない。


 突如果し合いに割って入った僕に皆が呆気に取られていたが、徐々にざわめきが広がっていく。


 一つ、静かに深呼吸。

 よし、やれる。


「そこまでです」


 それだけで静寂が訪れた。


 姫様は顔を青ざめさせ、毛利さんは可愛らしい顔を不満そうに歪めている。


「ありがとうございます」


 そして、僕はお礼を言った。

 自分でもよく分からないのだが、始めに言葉に出てきたのはその一言だった。


「貴女方に、最大限の感謝を」


 僕は皆に支えられている。

 姫様やミカゲ、アシリカ、ウルナ……井伊にも。

 だから、まるで姫様を悪と糾弾するようなこの場をどうにかしなければならない。

 それがせめてもの、彼女たちに対する小さな恩返しになれば。


 感情が先走った結果だろう。


「わ、笑っ……て!」

「なんと、お美しい……」

「あの方が、酒井様。今代の……神子様」


 僕は微かに笑えていた。

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