第14話 放り込まれた道

「うむ、良きかな良きかな。では、『神託』を後日告げるとしようかの。今は下がるがよいぞ」


 したり顔で頷く天照様に呆気にとられる。

 思わず言われた通りに一歩下がって、儀式を受ける子の列へと戻ってしまった。


 何で神子みこになる事が決定しているのだろう。

 僕はまだ返事をしていないはずなのだけれども。

 周りの唖然とした空気に気付いていないのか、天照様は言葉を続ける。


「静かながらに凛とした鈴の音、かのう。”清”の波動を含む良い声じゃ。お主の祝詞はさぞ心地良かろうな」


 段々と独り言を喋るように声量が小さくなっていく。

 目は細められ、どこか意地の悪そうな光が宿り始めていた。


 そんな時、「声」という言葉で一つの考えが浮かぶ。


 ――神子になるが良い

 ――は?


 先ほどの最後のやり取り。

 この「は?」が「はっ!」として受け取られたのだろうか。

 あれだ。了承の意、畏まりましたの「はっ」。

 驚きすぎて口から零れ出たような音量だったが、無表情と相まって静かに頷いたように見えたのだろう。


 いやいやいや。

 冗談じゃない。


「数十年ぶりの神子みこの指名だと言うに、全く神力が乱れておらん。大した胆力よの。しかし、ここにおるのに、主はまるで遙かに浮かぶ月のように遠く儚い。不思議な存在じゃよ。水に映る月ではなく、月そのものじゃ。水の無い、月そのもの」


 続く台詞は的外れも良いところだ。

 ドヤ顔で語っている天照様には申し訳ないが。


 僕は現在進行形で絶賛動揺、混乱中なのです。

 感情表現に乏しいだけで、感情は割りと豊富ですことよ?

 月とか言われても乾いた笑いしか返せません。


 しばらくの間静寂に包まれていた広間だったが、我を取り戻したのか背後の気配がざわざわとし始めた。

 振り返る勇気などなかったけれど、僕の背中へ好奇の視線がビシバシと刺さるのを感じる。


「さて、とりあえずは目の前の名付けかの。次の子よ」


 さりとて、今行われているのは神事。

 護国の神である天照様の言葉に逆らえる者などこの場所にはいない。


 問い質したい気持ちをグッと堪えて、僕は列の中で大人しくしている事にした。

 僕と同じかそれ以上に心を乱された大宮司様も、険しい顔のまま祝詞の奏上へと移っている。

 ここで喚きたてる人物などただの馬鹿だ。


 先ほどよりも、妙に緊迫感の増した中。

 元服の儀はその後、滞りなく最後の一人まで名付けを終えた。


「では人の子らよ。またの」


 天照様はそれだけ言うと、溶けるようにその姿の消したのだった。




 △▼△




「お待ちくださいな!」


 神社の境内。

 眩い陽光を手で遮りながら、よく晴れた空の遠く流れる雲を見つめる。

 大人に子供にとにかく質問攻めにされ心身供に疲弊した僕は、死んだ魚のような目になっていると思う。


 吸血鬼にでもなった気分だ。日差しで灰になってしまう。

 それとも死んだ魚の眼に倣って生鮮食品らしく腐るとでも言えば良いだろうか。

 僕の心は腐りそうだ。



『神子』とは天照様の意志の代弁者ともいえる役職で神職の一つである。


 ただし、どういった役目を持っているのか。

 実のところ、僕は詳しい事を知らない。


 神子は便宜上「神社」の所属となる。

 清廉潔白を旨として、日々を慎ましく生きていく教えを広めているのが神社だ。

 そのため、公明正大な判断をする皇国の司法を象徴しており、幕府派と皇族派に分かれて争う皇国上層部の潤滑剤としても機能している。

 神社が中立の立場として両派閥の仲を繋いでくれていなければ、皇国は国としての機能をもっと早くに失っていただろう。


 では、神子に幕府派の重臣が選ばれたらどうなるか。

 不祥事は握りつぶしてほしいと山吹色のお菓子を渡される事だろう。


 これは政争待ったなし。

 僕の理想の生活が凄まじい勢いで逃げていく。


 これだけでも、いかに皇国という国が危ういバランスで成り立っているかが分かる。

 僕の宿命通のように未来を見る力などなくとも、本当に皇国の未来を憂いている人ならば、皇国があと十年後に滅びると聞いてもその内容を真剣に考えてくれることだろう。


 しかし僕の実家を代表とする姓持ちの家は、自分の利益しか考えていない。

 如何に対立派閥の家を出し抜いて自分の地位を盤石とするか。

 相手を蹴落とし、成り上がる道はないか。

 宿命通を通した記憶での姓持ちなど、そんなやつらばかりだった。


 こんな現実を知ってしまえば、皇国を救うために動くのも馬鹿らしいと感じる。


 井伊の何を考えているか分からない微笑みに嫌悪や恐怖を覚えていたのも、今思えば宿命通の記憶によって刷り込まれた姓持ちへの偏見だったのかもしれない。

 姫様の方が例外だったのだろう。あの笑顔に裏があったら、僕は本気で人を信じられなくなる。


 だから権力争いになど興味は無かったし、関わる気もなかった。

 ただ、酒井の人間になった時点で無関係ではいられない。

 けれど、僕は男子で末子。そこまで大事な地位や役を任せられるとは思っていなかった。

 せいぜいが姫様の側室とか、そんな形だろうと高を括っていた。


 何が『月の神子』だ。

 何が『さすがは酒井様の子』だ。


 始めは困惑ばかりを感じていたが、人々に囲まれズカズカと心の内に入ってくるような質問をされれば、次第に怒りの気持ちが滲みだしても仕方ないのではないだろうか。


 望んでもいない力に目覚め、知りたくもない未来を知って、普通に過ごせば陰口を叩かれて。

 それで今度は何だ。

 平穏に暮らす事すら、僕には許されないとでも言うつもりか!


 宿命通のおかげで達観した精神を持ったとしても、ストレスは溜まっていたのだろう。

 ここにきて、僕の堪忍袋の緒が切れた。

 我慢の限界だったとも言う。


 感情の乱れによって周りで荒ぶっていた魔素を強制解放。

 周囲の人には僕を中心としたつむじ風が起こったように見えたはずだ。

 ついでに怒りの感情をこれでもかと乗せたので、風を受けた人には心胆の底冷えする何かが想起されたことだろう。

 いい気味である。


 周りを振り切るようにして社殿を飛び出した先。

 それでも追いすがろうとしていたミカゲや姫様たちに内心でばつの悪い思いを抱いていた時だった。


 甲高く耳に障る声。

 足首まで垂れた豊かな黒髪。

 よく動けるなと感心するほどに着込んだ煌びやかな裳着もぎ

 いつもなら余裕たっぷりに相手を見下すであろう勝気な吊り目も、この時ばかりは焦りの色が見えている。

 合わせたように八の字を描く綺麗に整った眉を見ていると、何故か笑いがこみあげてきてしまった。

 流石に人の顔を見て笑うのは失礼だと思うのでおくびにも出さないが。


「お待ちくださいな!」


 社殿を飛び出るまでは良かったが、外で太陽を浴びてハタと冷静になった。

 この後もどうせ輿に乗って帰るのだ。みんなと歩調を合わせて。

 ただただ皆と顔を合わせるのが気まずくなっただけである。

 どうしたもんか途方に暮れ、手傘で空を仰いでいたのだから、僕が立ち止まっているのも彼女からは見えていたはずなのだが。

 よほど慌てているらしい。


 しかし、どうして彼女がアタフタとしているのか。

 その理由が僕にはわからなかった。

 分からなかったので、そのまま彼女が来るのを黙って待つ。

 重装備の彼女の足はそれ相応の速度なのだ。


 ようやくたどり着き、陽光も相まって暑苦しいのだろう。

 僕の目の前でハアハアと息を荒く吐いているのは皇族派の双璧が一人、毛利さんだ。


 今では『毛利シンラ』という立派な名前を持っている。

 多分、”森羅万象”の「シンラ」だろう。派手好きな毛利さんらしい。

 とても合っている名前をよく一瞬で思いつくなと、変な感心を天照様に抱く。


 辿り着くまでの時間で侍従三人組が社殿から出てきた。

 毛利さんの様子が気になるので、彼らには少し待っていてもらおう。

 ふいと手を軽く上げ合図を送った。

 これで僕の意図をおおよそ理解してくれるのだからありがたい。

 ミカゲたちは心配そうな顔をしながらも、砂利を踏む足をピタリと止めた。


「な、なんですの?」


 ここで毛利さんから驚きの声が上がる。

 息が整ったのか顔を上げた毛利さんの目の前に、僕が頼りなさそうに上げている手があった。

 これは失礼しました。


 スッと手を降ろすと毛利さんを見据える。

 さあ、話を聞こうじゃないか。


 僕が姿勢を正し聞く姿勢になった事を察したのだろう。

 何故か残念そうだった毛利さんも緊張をにじませた固い顔で向き直る。


 しかし、目線は左右に泳いでおり、今一つ落ち着きがない。

 頬も紅潮している。なんだか具合でも悪そうだ。

 黙してひたすらに待っていた僕だが、段々と心配になってきた。


「……!」


 ようやく喋る。

 そう分かるくらいには毛利さんが口を開いた瞬間だった。


「何をしているんだ!」


 静かな空気を切り裂くように、一つの声が木霊こだました。

 その声は普段から聞きなれているもので、しかし、始めて聞くほどに怒気を孕んでいる。


 これはまた厄介な事になりそうな予感をヒシヒシと感じますね。

 何でそんなに怒っているんですか、姫様?

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