第10話 姓持ち
「お綺麗ですよ、若様。本当に」
着付けを手伝ってくれていたミカゲが僕の腰辺りから顔を上げる。
眩しい太陽を見上げるように、その目は細められていた。
いや、巣立ちを間近に控えた子を見送る親のよう、と言った方が近いかもしれない。
ミカゲと僕は同い年のはずだし、宿命通で過去世を経験している僕の方が精神的には圧倒的に老成している。
とは思うのだけれど、心持ちとしては、何故かミカゲが僕の親のような立ち位置になっていた。
中々に不思議なのだが、何より僕自身がこの関係性に心地よさを感じているのだから、きっと今後もこの関係は続くのだろう。
そういった意味では、「苦労をかけます、今後も」とミカゲに伝えた事があるのだが、それはもう顔を真っ赤にしたミカゲが「喜んで!」と答えた時には少し引いてしまった。
ドMだったのか、君は。知らなくて良い情報を知ってしまったよ。
さて。
今日、僕は元服を迎える事となる。
元服とは、簡単に言えば十歳になったら行う「成人式」のようなものだ。
しかし、皆が行うものではない。
「
この世界には二種類の人間が存在する。
「姓持ち」かどうかだ。
姓を持たない者はいわゆる”平民”であり、姓を持つ者が”選民”と皇国では呼ばれている。
平民は産まれた時に個々人の『名』を親などから与えられ、主に家業を継ぐか選民の家へと奉公に出る。
それに対して選民の子は産まれた時に『名』を貰えず、元服までは「姓」を名乗る。
例えば、僕は「酒井の末の息子」とか、単純に「酒井」などと同格以上の方々からは呼ばれたりする。
平民の人たちからは「若様」や「若君」、「酒井の若様」と呼ばれる事が多いだろうか。
いうなれば、平民は産まれた瞬間から労働力として期待されている”一人前”なのに対し、選民の子は十歳まで親が保護して大切に育てられる”子供”。そのため、「お前はもう大人だよ」という証拠が『名』なのである。
つまり、元服とは姓持ちの家に生まれた子供たちが十歳の折りに個の『名』を頂戴する儀式で、一人前として認められ大人たちの仲間入りを果たす儀礼とも言える、大変重要な儀式なのだ。
まあ、もう一つ重要な行事が元服の儀には用意されているのだが。
よって、一般的な「元服の儀」というものは国事として、それはもう盛大に執り行われる。
その年で十歳になる選民の子の数などたかが知れているが、それでも権力者たる選民の子の一世一代の晴れ舞台とも言えるのだ。決して手の抜けるようなものでもないのだろう。
しかし、今年はそれだけに治まらない。
何せ、儀式に参加する人々が何かの因縁なのか運命なのか、とにかく凄まじい顔ぶれとなっていたからだ。
皇国の経済を司る幕府の最高権力「征夷大将軍」徳河家の長女。
幕府の最高幹部「大老四家」の井伊家の次女と酒井家の末息子。
さらに、皇国の政治を司る皇族の第二皇子。
その皇族を支える皇族派の双壁、「左大臣」嶋津家の長男と「右大臣」毛利家の長女。
これら全ての家の子が同時に十歳の節目を迎えた。
皇族派と幕府派が長年争っているという事実を知っているなら、今年の元服の儀がどうなるかなど馬鹿にでも分かる未来だ。
圧倒的権力争いの臭いがぷんぷん漂っている。
僕は今からげんなりだ。
せめてもの救いは皇族派筆頭「関白」の子の元服は来年だという事だろうか。
結局、来年には学舎で一緒になる事を考えると、厄介事を先延ばしにしているだけのような気がしないでもないのだが。
そんな僕の内心に呼応してか、
「ご主人、大丈夫かナ?」
ウルナが俯き気味だった僕の眼前ににゅっと顔面を突き出してきた。
僕の表情から内心を読み取るのは困難らしく、こういった心配をされるのは未だに慣れていない。
ウルナ、アシリカ、ミカゲの三人くらいだ。
姫様はそういった心の機微には疎そうだし、井伊は……考えるのをやめておこう。
何でもない事を伝えようと片手を左右に振ってみる。
すると、何故か侍従三人組は「ああ、なるほど」と得心顔になった。
何を察したのだろう。
「確かに、いつもお召しになっているものよりも重いですが、この度の儀式は見た目も肝心です。少々の動きにくさは我慢してください」
「人間どもの価値観に興味はありませんが、ご主人様の装いは大変にお美しいです」
「ご主人、凄い綺麗だナ!」
ああ、着物が気になっていると勘違いされたのか。
城に移ってからはそこまで軽装ではなかったと思うのだけれど。まあ、もっと煌びやかな方が似合うと思っているのだろう。
先日、適当に聞き流してしまっていた姫様との約束によって渡されたのは、思ったよりもドッシリとした
十二単みたいな十重二十重に着る形態の着物であるため、着付けが非常に大変だった。
その分、色々な色が目に鮮やかであり、流石姫将軍から下賜されただけあって、外衣の刺繍にしたって相当手の込んだものとなっている。
また、僕の髪は肩に触れるほどの長さに整えられており、結い上げるには些か足りないためそのまま降ろしているのだが、代わりのように頭に花簪が添えられていた。
自分で言うのもなんだが、それなりに似合っているのではなかろうか。
ウルナが持ってきた姿見に映る自分を見て、なんとなくクルクルとその場で回ってみる。
「ああ、若様が普通の男の子のようにはしゃいでおられる」
「はい、これは、何と言いますか、とても心がホッコリと致しますね」
「ご主人、可愛いナ~」
くそう、何故か負けた気分だ。
普通に少しはしゃいでしまったぞ。
「酒井! 用意は出来た、か……」
微笑ましい視線を誤魔化すように顔をふいと背けた時、スパーンと勢いよく
振り返ると予想通り姫様が立っていた。ただ、何故か目を見開いて固まっている。
そんな姫様の後ろから井伊が顔をひょっこり覗かせると、
「あら、よう似合うてはりますなぁ、酒井はん。いつも以上に華憐で可愛らしゅうありますよ」
すぐさま男を褒める井伊の伊達女ぶりにちょっと引く。
対して、目玉を零さんばかりに見開いている姫様は怖い。
気を取り直して二人の様子を見てみると、姫様はさすが”姫”といった出で立ちであった。
煌びやかで圧倒的な存在感を周囲に放ちまくっている。
まるで「私を見るが良い!」と喧伝しているようだ。僕には決して着れない。
対して、井伊は思ったよりも落ち着いた装いだった。
親が絶対に目立たせるように仕向けると思っていたが、言ってしまえば地味だ。
「ふふ。うちらは姫様の引き立て役どす。脇役らしく、そっと側におればいいでっしゃろ」
くすくすと笑う井伊。
またしても心を読まれた。本当にホラーである。
僕の無表情、無口という鉄壁をもってしても内心を読まれるのだから、交渉事などで将来大活躍だろう。
僕?
僕はいいんだよ。研究室に籠って実験をしているから。
「ほら、姫様。いくら酒井はんが綺麗やからって、あんまり凝視しすぎるのはあきまへん。はよ神社に向かいまひょ」
姫様の背中をとんとんと井伊が軽くたたくと、石像のように硬直していた姫様の呪いが解けた。
真っ赤になって井伊の言葉を否定しているが、井伊は可笑しそうにニヤニヤとしている。
そうか、そんなに可愛い感じになっていたのか僕。
馬子にも衣装ってやつだろう。
井伊に褒められたからか、姿見で見た時よりも自分の姿を可愛らしく思えない。
奴の言葉は呪いか何かか。
姫様たちがやってきたからか、黒子のように存在感を消していた侍従三人組に視線を向けてみると、何故か満足気だった。
うん? ここは素直に誉め言葉を受け取るべき?
分からん。
そもそも、何故、僕は真剣に「自分は可愛いのか」を考えているのだろう。
不毛だ。実に不毛だ。
僕は虚しい思考を断ち切り、とりあえず早いとこ行きましょうとアピールする事にした。
未だにじゃれ合っている姫様たちの脇を通って廊下へと出ると室内を振り返る。
すると何故か青くなっている姫様と、「あーあ」って顔の他四人がいた。
本当によく分からない。
いや、だから早く行こうよ。
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